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エントツのある街
異世界転生という言葉に、心躍らないニンゲンって、どのぐらいいるんだろう。
最初から興味のないヒトや、現実が充実しているヒト、創作で語られる『虚構』が、馬鹿馬鹿しい嘘にしか思えないヒトもいるだろう。
でも、全体から見れば、『興味アリ』のヒトが多いんじゃないかな。
実のところ、僕も興味アリの一人、だった。
それは、想像していたのとはすこし違う形で、実現していた。
きっかり六時半。
いつも通り、目が覚める。
転生する前から、目覚まし要らずで起きられるのが、平凡な自分の数少ない取り柄だ。
「さて、華の金曜日だ。今日もがんばるかぁ」
上半身を起こし、大きく伸びをしつつ、声を出す。
一人住まいの下宿だから、答えるヒトは誰もいない。
ベッド一つにクローゼットと小さなテーブル。照明器具は結晶ランプが一つ、本棚には漫画や、こっちに来てから読むようになった小説がいくらか。
ガラス窓の外で、太陽も昇らない、だしぬけな明るさが広がっていく。
「……廃材の精錬炉、ようやく直ったのか」
僕の下宿は雑居ビルの三階。
窓の外に広がるのは、この街の『工業団地』のようなエリアだ。
平屋の建築にいくつもの煙突が立ち、白煙を上げている。中でもひときわ高い煙突をそびえさせているのが、回収された金属パーツを溶かして再利用する精錬所。
一度、見学しに行ったことがあるけど、悪臭と熱がとんでもなかったな。
それ以外にも、食品の燻製加工やパンを焼く製パン所なども、僕が起きる前から仕事を始めている。
「あ……着替え、洗濯に出すの忘れてた……」
クローゼットの前に置いたかごに、結構な量の着替えが溜まっている。ここにはコインランドリーもないし、電気で動く洗濯機もないから、不精をするとすぐこれだ。
とはいえ。
「いざとなったら『着ない』でもいいのが、模造人のいいとこだな」
クローゼットを開け、内張りになった姿見に顔を移す。
芝っぽい雑種犬の顔が、こちらを見返す。
そのまま、工場支給のツナギを素肌、というより毛皮の上に着こんだ。
さすがに『人間』だったときの羞恥心はまだあるから、完全に服を着ないわけではないけど、家にいる時や、近所の買い物程度なら『そのまま』うろつくこともある。
身支度を済ませ、僕は一階に造られた食堂に入った。
「おはようございます、朝定一つで」
「朝一つね。今日の晩飯は?」
メニューはいつも通り。バケットサンドとスープ、サラダに果物。
カウンターから差し出されたトレーを受け取ると、店主であるウシの模造人に、軽く頷いてみせた。
「今日はいいです。給料日だし」
「はいよ。土日の予定はちゃんと書いといてね」
「じゃあ、今書きますね」
朝と夜が出る下宿で、月にログボチケットが四十五枚。高いか安いかは判断付きにくいけど、強盗や窃盗の心配がない寝床というのは、この街では優良物件だ。
少し考えて、土曜日の食事は断って、日曜日はどちらもアリにした。
「そういや、いよいよ『崩落』だってねぇ。Pの館から通知が来たよ」
僕以外に客がいないせいか、店主はこっちにお茶をサービスしながら、のんびりと話しかけてくる。
「うちの工場も、それに合わせて来週は残業あり、土曜日も出勤ですよ」
「『新皇』も帰ってきたし、そっちの仕事もあるんだろ? おつかれさんだ」
「そうですね」
そんなことを話しつつ、長テーブルの隅に置かれていた朝刊を、ざっと流し見する。
一面にあるのは当然、今度やってくるという『二重崩落』についての記事。
二重崩落自体は数年に一回の頻度でくるけど、肉獄と緑獄の二重崩落は大きな被害を出すことで知られており、特集記事も組まれていた。
気の滅入るような内容を読み飛ばし、自分に関係のありそうな内容が無いことを確認すると、食事を終えて立ち上がる。
「それじゃ、行ってきます」
「気を付けてね」
そのまま大通りに出ると、いつもの賑わいがあった。
配送のために荷車を引くヒト、荷物を携えて仕事に向かうヒト、あるいは大あくびをしながら、これから家に帰るらしいヒト。
それぞれ目的はあるけど、せかせかした空気はない。緩い川の流れを泳ぐように、それぞれが行きかっていく。
時刻は午前七時を回り、大半の商店が営業を始めていた。
通勤する連中に、朝食や昼の弁当を出す店、届いた商品を運び入れていく雑貨屋。
店の前を掃き清めたり、ガラス窓を磨く姿もあって、地球のどこか、日本じゃない海外の町にでもありそうな光景だ。
群衆を構成するのが『人間じゃない』のを除けば、だけど。
「おはよ、まっちゃん」
「おはようございます、先輩」
後ろからするっと近づいてきたのは、僕よりも背の低いトカゲの模造人。朝飯代わりの煮卵を、飲み込むようにしてぱくついている。
「昨日、帰り際、工場長に言われた。インスピ向けの部材、今日中に出荷だって」
「じゃあ、新人さんの作業、引っ張っときます」
「ありがとね。俺もできるところ、手伝うから」
僕らは大通りを西に進み、工場町のある通りへと左に折れる。
そこからは、大気にうっすらと、切削油や金属くずの放つ、尖った匂いが漂い始めた。
むき出しになった土の地面には、ところどころに油の黒い染みがあり、工場に向かう模造人たちの服装も、頑丈な繋ぎや作業服のヒトたちが大半だ。
「そういやまっちゃん、うちに来て二年だっけ」
「ですね。誘って貰って感謝してます」
「折角の腕、遊ばせたらもったいないからね」
「まさか、こっちに旋盤やフライスの仕事があるとは思ってませんでしたよ」
僕が勤めている職場は、似たような工場の間にある建屋だ。
建物は元からあった廃墟を改装したものだけど、門と塀は石材とコンクリートで仕上げてある。
「おはよーっす」
「あ、おはようございます」
同僚たちが先になり、後になり、挨拶してくる。
そんな彼らと一緒になって、僕らは大きな屋根のある平屋の工場の、正門をくぐった。
「皆さん、おはようございます!」
始業前の朝礼。
朝礼台で声を張り上げるのは、横幅の太ましい、ネズミの模造人。
この工場を取り仕切る工場長は、全員を見渡して言葉を続けた。
「昨日、Pの館から正式に通達があり『獄層崩落注意報』が発令されました。この工場も来週土曜日の操業が終了次第、崩落の終了宣言まで休業となります」
僕を含めた工員たちは、軽く緊張を顔に浮かべている。
いまいちピンとこない顔をしているのは、半年ぐらいの間に街へやってきた連中だ。
「あの……崩落って、そんなにすごいんですか?」
隣に立っていたウサギの模造人が、不安そうに尋ねてくる。自分の所の部署に入ってきた新人君だ。
「何度か経験あるけど、すごいよ。地震と津波がいっぺんに来る感じ」
「……だ、大丈夫なんですか?」
「ちゃんと避難所にいれば問題ない。対処組に入らなければね」
なんて語ってしまったけど、正直、僕もいまだに怖い。
アレを体験する前とした後じゃ、街に住んでいる感覚が違ってくる。住民の中には崩落恐怖症で精神を病むヒトも出ていた。
「でも、いいこともあるよ。避難した住民全員に、プラチケが配られるから」
「避難したときの補償、ってことですか」
「崩落イベントの時は、塔も機能を停止するからね。滞留更新期限も警戒解除の一週間後までは延長するし」
そんな雑談の合間にも、工場長は色々な仕事の注意点を話していた。
注文の入った仕事は来週の水曜日までに仕上げて、金曜日までは工場建屋の補修、土曜日は操業再開の準備をして半日上がりになる。
「来週は残業続きになるから、服とか食事とかは気を付けてね」
「同居人が冒険者で自由が利くから、そこは大丈夫です。けど……」
「もしかして、対処組に入ってる?」
新人君は頷き、それから不安そうに空を見上げた。
僕たちの町には、巨大な『覆い』がある。
街の中央にそびえる『塔』、その上に開いた、四枚の花弁のような形状の『獄層』だ。
南と東の部分が、目で見ても分かるほど、大きくはみ出しつつあった。
「先輩、二重崩落って、あったことあります?」
「ないよ。僕もこれが初めてだ」
連絡事項を伝え終わると、工場長は一呼吸おいて、締めのあいさつに入った。
「それでは、今日も一日、ゼロ災で行こう、ヨシ!」
『ゼロ災で行こう、ヨシ!』
そうして、いつも通りに僕らは仕事に入っていった。
うちの工場の規模は、金属加工を請け負う他の所よりも大きい。
旋盤加工機が十台、フライス盤が十台。大型車両や作業機械用の、大規模加工機が二台あって、だいたい三十人ぐらいが工員として働いている。
そんな作業場の隅で、細かな金屑を散らしつつ、新人君が回転する部材を削っていく。
使っているのは発掘部品から再構築した、手動の旋盤加工機。
僕が向こうで使ってたのはコンピュータ制御のCNCで、手動式なんてほとんど使ったことがなかったけど、慣れれば苦も無く扱えた。
「――こんなかんじで、どうですか?」
削り終わったものは、軸受けに使う円筒形のパーツだ。
受け取り、削り面の仕上がりを確かめ、テスト用の軸にはめ込み、具合を確かめる。
軸にはめ込んだパーツは、ねばりつくような抵抗を感じさせ、ぴったりとはまった。
「ごめん、あと0.04ぐらい削ってくれる?」
「図面通りにしたんですけど、ダメでした?」
「材質にもよるけど、軸受の時は『交差』内でプラス気味に削らないと。軸の熱膨張で、動きが悪くなったり割れたりするから。仕上がりは問題ないから、残り全部その感じでよろしくね」
指示を終えると、僕も自分の作業に入る。
この工場で造っているのは、『インスピリッツ』で使われている車両や作業機械の動作パーツだ。
クランクシャフトや軸受け、時には手持ちグレネードランチャーの砲身なんて、日本では想像もしなかった仕事も飛び込んでくることがあった。
「こんにちはー! インスピリッツでーす! 発注しておいた浄水器用の交換パーツ、受け取りに上がったんですがー!」
工場の騒音に負けないほどの大きな声。カピバラの模造人が、入口のところに立っていた。
「どうもです、和久井さん。あとちょっとで終わるんで、少し待ってもらえますか?」
「はい! 増山さんもお疲れ様ですっ!」
その後ろには、いつも一緒にいるウシの模造人の大きな体がある。僕は自分の旋盤を止めて、工場の隅に積み上げられた完成品の所に案内した。
「急ぎの仕事で申し訳ありませんでした。崩落の前に、南の森からできる限り水を回収しておきたかったもので」
「新人君の練習にもなったんで、むしろ助かりました」
そして、新人君が仕上げた製品が届き、それらのパーツの出来を、カピバラさんがマイクロメーターや検査用の軸を使って、軽く検品していく。
「いい仕上がりです! 新人さんも、だいぶ上手になったみたいですね!」
「ありがとうございます。よかったね、クライアントのお墨付きだよ?」
検品する様子を見ていたウサギの模造人は、鼻の頭にしわを寄せつつ、照れくさそうに頷いてみせた。
そこでちょうど、昼食休憩を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「折角なので、お昼をご一緒にいかがですか? 現場の様子とかも聞かせていただきたいので!」
「……はい。じゃあ、休憩所で」
和久井さんは、とてもヒトなつっこくて、この調子でぐいぐい距離を詰めてくる。
そのまま休憩所に入ると、仕出しの弁当を受け取って、適当な場所に座る。
今日は肉入りすいとんがメインで、縞瓜と豆腐の白和えと、若芽のてんぷらだ。
「そういえば、『新皇』から新しい依頼を受けたそうですね?」
「依頼自体はずっと前からだったんですけどね。この前、提出した試作品にGOが出て、正式に制作に入ることになりました」
この街の外に遠征を繰り返す、街最大のギルド『奈落新皇軍』。
以前から補修用のパーツやちょっとした加工部品を受けることはあったけど、今回はかなり大規模なラインを組むことになっていた。
「こちらの工場にも熟練工が増えて来たし、専門性を打ち出せるのはいいことだと思います! ただ、うちとしては痛し痒しですけど」
「西田さんの工場は、どんな感じですか?」
「うちから技術指導のために、メンバーを出したばかりですから。育成にはまだまだ時間がかかりますね」
もちもちと、すいとんを頬張りながら、カピバラは真面目に近況を説明する。
モック・ニュータウンの科学技術の最先端を扱うギルド『インスピリッツ』は、同時にこの街の技術の底上げにも力を入れている。
本人たちが研究、あるいはリバースエンジニアリングした技術を、うちのような工場へ提供し、部材の量産を任せてくれていた。
「そういえば増山さん、仕事の方はどうですか?」
「楽しいですよ」
彼女からこの質問をされるのは、覚えているだけで二度目だ。
最初のは、先輩に誘われて工場に入った、三か月ぐらいの頃。
『……仕事は、仕事ですから』
新人だった僕を目ざとく見つけて、色々と聞いてきた彼女を、当時は少し面倒だと感じていた。
地球でもやっていた仕事だったし、同業種に行きたいと思いながら、結局果たせなかったから、ここで働くこと自体に抵抗はなかった。
それが楽しいかと言われれば、そうでもないと答えるしかない、はずだった。
「和久井さんは、みんなにそれ、聞いてるんですか?」
「どれ、ですか?」
「仕事のことですよ」
「あー、そうですね。なんか癖というか、そういう感じなんです。嫌でした?」
その質問には答えず、デザートについてきた柑橘っぽい果物をむいていく。
「和久井さんはどうですか、仕事」
「とっても楽しいですよ! もちろん!」
「どうして?」
美味しそうに、緑の葉っぱをもくもく噛み砕きつつ、彼女は笑う。
「わたしの作ったものが、いろんなところで活躍してる。それと、わたし自身もそれを使っていろんなことができる。そういうのが単純に面白くて、楽しいです!」
僕もそうだ。
自分が出荷した製品が『どこかの何か』じゃなくて、『この街のなにか』を、少しずつ良くしていくと実感できる。
「大変なこともありますけど、楽しいですよね。全部がシンプルで」
「シンプル、ですか」
「僕も和久井さんと同じです。自分の仕事が目に見える成果になって現れる。しんどいこともあるけど、分かりやすいし、楽しいです」
すべて分かった、とでも言うように、彼女はどんぶりのスープを飲み干した。
それから、小声でささやく。
「よかったら、うちでもっと、楽しいこと、しちゃいます?」
「……インスピリッツで、ですか?」
「自分で引いた図面を形にするのも、楽しいですよ?」
この工場に、彼女たちが出資するもう一つの理由。
ギルドの仕事を任せられるメンバーを育成する、ファームとしての役割だ。
僕は少し考えて、首を横に振った。
「折角のお誘いですけど、やめときます」
「わかりました。それじゃ、今後とも、いい製品をお願いしますね!」
意外にあっさり引き下がると、彼女は食べ終わった食器を手に去っていく。
裏表も嫌みもない態度。ああいうヒトだから、ギルドマスターの補佐なんて重責をこなせるのかも知れない。
「いいのかい。インスピ行きなんて、大抜擢だよ?」
いつの間にか、僕の後ろにやってきた先輩が、顎をさすりつつ問いかける。
「僕は、ここでいいです。いや、ここがいいです」
「身の丈に合った立場が、気楽でいいってこと?」
「そういうのもありますけど、それだけでもないです」
それ以上のことは聞かずに、先輩は去っていく。
僕も食器を片付けて、始業再開までの時間を、ぼんやりと過ごした。
「はい、今月もご苦労様」
給料の手渡しと言うのは、ここに来て初めての経験だった。封筒に入っているのは、分厚いログボチケットの束と給与明細。
明細の内容を確かめ、中に入っているチケットの数を確認する。
ログボチケットは、お札と違って両替が効かない。封筒に入っている分は『当座金』という形で、事前に申請した分を貰うようになっていた。
残りは会社からその都度引き出す形で、傷病手当用の積み立てと、プラチケ購入費が引かれたものが月の給料だ。
「増山君、今日この後の予定は?」
「折角の給料日なんで、ちょっと贅沢しようかと」
「一緒に付き合っては……くれないんだろうなあ」
「すみません」
苦笑する工場長に挨拶をすると、家への道をたどる。
五時を過ぎると、街の空は次第に薄暗くなっていく。夕日も一番星もない、電灯が消えていくような黄昏時だ。
工場勤めの連中は、途中まで同じ道をたどりながら、少しずつ列を崩して途中の店や家にある小道へと散っていく。
僕は北前通りを東に進んで、アパートに行く通りを過ぎて、大きめの雑居ビルにたどり着いた。
スーパー銭湯メイドカフェ『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』。
いつ見ても、変な店だ。
「いらっしゃーい。あら増山さん、こんばんは」
この店の店主である金髪の女性――ラミアという魔物らしい――が、笑顔で声を掛けてくる。
店には結構な数の客が入っていて、『メイドさん』の姿をした模造人たちが忙しく行き来していた。
「今月もお疲れ様でした。お風呂、今空いているから」
「ありがとうございます」
この店には、街でも珍しい『銭湯』がある。店主である彼女の『ギフテッド』で出したお湯によって成立している、と聞いていた。
月に一度、給料日に風呂へつかるのが、僕の楽しみの一つだ。
言われた通り、ビルの地下に造られた銭湯にヒトの姿はなかった。
「――ありがとうございます。ごゆっくり」
愛想のないロップイヤーのウサギにチケットを二枚渡し、そのまま脱衣所で服を脱ぐ。
風呂場の造りはとてもしっかりしていて、空気に漂う湿気のおかげで、全身の毛皮がしおしおと濡れそぼっていた。
湯船に入る前に、掛け湯場で毛皮に絡みついた金屑や油かすを流していく。
それから、全身を据え付けの石鹼とブラシを使って、汚れをこすり落とした。
下宿でもシャワーはあるんだけど、こういう風呂ほどきれいには落とせないからな。
そして、
「あぁ……」
どっぷりと湯船につかり、吐息を吐いた。
仕事は満足してるけど、当然のように体は疲れる。こうして、広くてたっぷりした湯船につかれるのは、本当にありがたい。
なんて一息ついていると、別の客がやってきた。
「あ、先輩。お疲れ様です」
新人君ともう一人、背の高いイヌ顔の模造人が入ってくる。毛皮の色からするとハイエナかと思うけど、動物には詳しくないからわからない。
「あ、どもです。ダチがお世話になってます」
「同居人の冒険者、のヒト、だよね? あんまり大したことはしてないよ」
二人とも全身の汚れを落とし、そのまま僕の隣で湯船につかった。
「今日給料日だって聞いて、折角だから風呂でも行くかってなったんすよ」
「もしかして、塔からの帰り?」
「そです。『崩落』が近いとかって、滅茶苦茶混んでたんすよねー」
そう語る彼の頭や二の腕に、はっきりと分かる『毛が薄い部分』がある。おそらくは、冒険で受けた傷痕だ。
「そうなるみたいだね。崩落前に、各層の素材に駆け込み需要がでるとかなんとか」
「十階以下だと、三層と四層、それから八層がめちゃ込みで。今の時期はプラチケよりそっちのが重要とかで、いつもと違うからきつかったっすよ」
「普段は、やっぱり十階踏破?」
彼は首を振り、お湯の暖かさで、のんびりとあくびをした。
「うちはリーダーが素材確保中心で、引率はほとんどやんないすよ。十階行くのも、パーティの誰かが更新するときで」
「君は、こっちに来てどのぐらい?」
「そろそろ半年っすね。次の『崩落』が、はじめてっす」
あまり意識しないようにはしていても、やっぱり『崩落』の話題は、自然と住民の口から出てしまう。
僕は内心の不安を紛らわすように、腕を伸ばしてコリをほぐした。
「先輩さんは、崩落は何回ぐらい見てるんすか?」
「だいたい四、五回かな。二重崩落はこれで二回目だけど」
「普段なら、フリーの冒険者は任意参加らしいんですけど、二重崩落は戦える奴、全員召集掛るみたいっすね」
だいぶ体の中がほてってきたのを感じて、僕は湯船からあがる。ハイエナの彼は、こっちを目で追いながら、声を掛けてきた。
「オレら、この後飯食いに行くんすけど、先輩さんもどうっすか?」
「……そうだね」
実のところ、この後は売れ残りの総菜と、ビールか何かを買って部屋でダラダラするのが定番なんだけど。
少し考えて、僕は頷いた。
「どっかいい店とか知ってます? オレもこいつも、いつも安い飯屋か総菜ばっか食ってるんで」
「少し歩いてもいいなら、ぱちもん通りまで行ってみる?」
「EAT UPっすか?」
「いや」
せっかくだから、定番は外そう。
「辛いものとか平気?」
ぱちもん通りで食事という時、『EAT UP』か『大しけや』が、この街に住むヒトの第一候補に挙がる。
味も量も文句なし、値段もお値打ちとくれば当然だ。さすがに、ギルド直営の店は一歩抜きんでていた。
とはいえ、それ以外の店にも美味しい所はある。
「ぶえなす・のーちぇーす! いらっしゃーい、空いてるとこ座っちゃってよ」
中肉中背の、ジャガーの模造人が、気の抜けた笑いで出迎えた。
エプロンには店の名前である『Santana』と、刺繍してある。
BGMに流されているのはレゲエ、と呼ばれるジャンルらしい。この街に来て初めて知ったものの一つだ。
「そういやこの店、入ってみようとは思ってたんだよな。仲間から、うまかったって聞いてたし」
「なんか言ってたね、変な店だって」
「おっ、新顔さんか。変な店にようこそぉ」
席数はカウンターが六卓に、四人掛けのテーブルが二組と、畳敷きの座敷に座卓が二組ある。今は、僕らを含めて八人ぐらいが入っていた。
手渡されたメニューを見て、同行者の二人は微妙な半笑いを浮かべた。
「なにこの、『タコスっぽいの』とか『ワカモレ的アレ』って」
「『名前を言いにくいあのビールっぽいビール』? なんだこりゃ」
「だって、しょうがないじゃん。ここ、地球でもなけりゃ、使ってる食材も『それっぽいもの』だしさ」
そう、ここは『メキシコ料理っぽい何かを出す店』だ。
僕も始めにここに来た時は、あまりのふざけぶりに、そのまま帰ろうかと思ったほど。
「嘘ついたって言われるのも嫌だし、それでもできる限り、アレっぽい料理とか、それっぽいお酒を用意してみたわけ。そもそも、ここって『ぱちもん通り』っしょ?」
「って言われてもオレ、メキシコ料理なんて、食ったことなかったからなあ」
「先輩のおすすめは?」
僕は笑顔で請け負い、適当に料理を注文することにした。
「『店長の気分次第の前菜』に『タコスっぽいの』三つと『アホっぽいバカなソパ』、あとは『あのビール』三つ」
「ライム的なものは入れちゃう?」
「おねがいします」
そのまま店長は厨房に入り、大きなボウルに山盛りになった『三角形のスナック菓子のようなもの』と、小ぶりの瓶ビールに柑橘を刺したものを三つ置いた。
「え、なんでこれ、ビンに直接刺してんの?」
「そうやって飲むとうまいの。奥まで押し込んでもいいし、そのまま飲むのもいいよぉ」
「なんというか……雑だね」
僕らはそれぞれのビンを手にすると、軽くお尻の部分を打ち合わせた。
「おつかれさんでした! 乾杯っ!」
「おつかれ。先輩も、お疲れ様です」
「うん。二人とも、誘ってくれてありがとう」
二人はそれぞれのやり方でビールの飲むのに奮闘し、僕はさっさとライム的なそれを、ビンに突っ込んで、軽く振ってのんびり味わった。
「二人は同居してるって聞いたけど、いつぐらいから?」
「オレとコイツ、同じぐらいの時期に来たんすよ。オレの方は、はじめっから冒険者やりたくて、掲示板にあったパーティ募集に喰いついたんすけど、こっちは、な」
「あの時は仕事もお金もなかったから、助かったよ」
実際、この街で独り暮らしができるニンゲンはまれだ。『塔チカ』に住めるような一流冒険者ならともかく、夜露がしのげて持ち物が盗まれない住処というのは、それなりにお金がかかる。
僕は会社から勧められたアパートがあったけど、大抵は顔見知りになったヒトたちで、ルームシェアをするのが一般的だった。
「下手に路上生活なんてすると、病気にかかったり追いはぎに合ったりするからね」
「……正直、工場の工員募集に受かれてラッキーでした。冒険者向いてないって、思い知らされてたし」
新人君はつくづくと、ため息をついた。
「いちおう、塔の一階は回れたんですけど、二階で……すごいの見ちゃって」
「毒ガスとか酸とかのトラップが、多めの時期だったんすよね。で、その犠牲者的なもんを見たらしくて」
「もうダンジョンはいいやって。それにしばらく、肉食べられなくなったし……」
僕は頷き、やってきた前菜を、ねぎらうように二人の前に押し出した。
この街には、地球の異世界転生物では見ることのない『現実』が、溢れている。
便利な魔法もチートスキルもない、傷ついても持ち前の回復力以外は、原始的レベルまで退化した医療しか利用できない。
そして、死んでしまえば、二度目の人生もあっけなく終わりだ。
「そっちは大丈夫だったの?」
「最初はキツかったっすけど、だんだん慣れたって感じかな。何度もゲロ吐いたけど!」
「やめろよ、飯食ってる時に」
「お前だってグロ死体の話してんだろ」
「へいお客さん、そんな君らにグロいのいっちょう!」
などと言いつつ、店長さんが湯気の上がる小ぶりの鍋をどんと置く。中身はほぐし身になった肉と、ニンニクのような香りのするスープだ。
「カッコよく言うと『牛肉入りニンニクスープ、モック・ニュータウン風』だよぉ」
「おぉ、マジでニンニクっぽい匂いだ」
「にんにくが『アホ』で、牛が『バカ』でしたよね」
「それと、こっちがタコスっぽいのね。トウモロコシ粉がないから、モドキモドキ、みたいな感じになっちゃうけど」
そう言えば、タコスを包む皮の部分は、本来ならトウモロコシの粉で作るんだっけ。
半円にたたまれた丸い生地の中に、ぎっしりとひき肉を炒めた者が詰まっている。
「うおっ、スープもそうだけどタコスも辛ぇっ」
「ちょっと食べにくいけど、美味いね。向こうでも食べてたら、味が比べられたかも」
「きつかったらヨーグルト頼むといいよ。混ぜて食べると辛さが和らぐから」
二人は初体験の料理にはしゃぎつつ、新たにビールを注文する。僕の方はジュースに切り替え、ゆっくりとスープをすすった。
「先輩さんは、ダンジョン行かないんすか?」
「……僕も荒事苦手でさ。一回だけ入ってみたけど、それっきりだよ」
実際、僕の周りでもそういうヒトの方が圧倒的に多かった。職場にやってきた工員のみんなもそうだ。
『結晶ゴーレムだっけ、あれに攻撃弾かれた時、思ってたんと違うってなってさ』
『トラップ、想像以上に殺意高かった。シリンダーロックやるようにはいかんかった』
『ドーブツっぽい見た目になったからって、野性が目覚めるわけでもないんすねー。中身がヘタレのままじゃ、戦いなんてムリムリ~』
当たり前の話だけど、『見るとやるでは全然違う』ということだ。
ダンジョンに潜れるヒトには、それぞれ何らかの素質があって、僕らにはそんなものはなかった、ということなんだろう。
「前に工場長から聞いたけど、街の住民の八割が戦闘以外の仕事で、残り二割が冒険者らしいんだよね」
「二割って聞くと、多いような気もするけど……」
「でも、あんまり実感ねえなぁ。塔に入る面子、フリーの奴より『甲山組』とかの方がよく見るぐらいだし」
「ああ、その二割の内の大半が『新皇』のお侍さんなんだってさ」
奈落新皇軍は、この街の最大戦力を保有している『軍隊』だ。巨大な移動要塞を保持していて、兵士を育成して壁の外への遠征を繰り返している。
「確か千五百人くらいって聞いた。街の総人口が一万人前後だから――」
「――ああ、後は『ホライゾン』に『甲山組』と『山本工務店』、『ローンレンジャー』……はこの前潰れたけど、を入れれば、だいたいそんくらいなのか」
「あとは、パートみたいな感覚で入る、兼業のヒトたちですよね」
僕らの異世界転生生活は『プラチナチケット』という鎖につながれている。三か月と言う猶予期間があるけど、納品できなければそこでゲームオーバーだ。
とはいえ、塔や廃墟、あるいは獄層で戦い続ける過酷な日々を、誰もが送れるわけじゃない。
普段は別の仕事をしつつ、必要に応じてダンジョンに入るニンゲンも、そこそこ存在していた。
「結局、兼業の方がいいのかなあ、プラチケ自力で取れるのは強いし」
「そうでもないぞ。うちのパーティにも何度かそういう奴、入れてきたけど。週一、週二のレベルじゃ、どうしても追っつかないって、やめてくし」
「トラップの仕様も、敵の配置も移り変わり激しいって聞くね」
「三層と八層が結構引っ掛かるっすね。あそこ、魔界のどっかの地形を、そのまま切り取ってるとかって話だし」
こう聞くと、つくづく冒険者にならなくてよかったし、それ以外の仕事があることが、心底ありがたいと思える。
僕らは新しく頼んだドリンクで、もう一度乾杯した。
「で、こいつはどうっすか。ちゃんとやれてます?」
「大分上達したよ。このままいけば、インスピリッツから声がかかるかも」
「マジで? やったじゃん!」
「そ……そうかな。それなら、いいんだけど」
照れくさそうに笑ったウサギの新人君は、口元をすぼめて、ビンを握り締めるようにして、うつむいた。
それから、ぽろっと、涙をこぼした。
「お、おい!? どうした、腹でも痛いのか!?」
「……な、なんか、うれしくて……こんな風に、なるとは、思ってなかったから」
切れ切れに息を吐きだしながら、彼は心をなだめるように、語り出した。
「向こうにいた時は、仕事も無くて、どこにいっても、うまく行かなくて……それで、ここに、生まれ変わって来て」
「あんまり、思い出さない方がいいよ。あっちのことは、もう終わったことなんだから」
「それでも……欲しかったものが、手に入って、よかったなあって」
僕はそれ以上何も言わず、彼の友達が声を掛けるのを見ていた。
新人君の気持ちは、共感できる。この世界は、どうしようもなく過酷で、向こうでの記憶や経験に『刺される』こともあった。
姿かたちも変わり果てて、属する世界からも切り離されて、本当なら向こうで手に入れたかったものも、たくさんあるけど。
ここでは確かに、自分が主体で動ける世界なんだと、感じられたから。
「そろそろお開きにしようか。来週も忙しいし、しっかり休まないと」
「……はい」
「よかったらメシ、また一緒に食いましょうよ」
「そうだね」
店を出て、そのまま僕らは、それぞれの家路をたどった。
下宿の一階は食堂ごと閉まっているから、いつも通り裏口から鍵を使って入る。
自室から窓の外を眺めると、煙突が暗い夜空に白煙をたなびかせていた。廃材やダンジョンからの収穫物は、この街にとって大事な素材だから、夜勤も当たり前にあった。
そのまま眠る気にもなれず、ベッドのそばにあるナイトスタンドに、ランプを灯して適当な本を手に取った。
「誰かと一緒に住むのって、どういう感じだろうな」
うちの下宿は一人用だから、その選択肢もないんだけど。
そうして、いつものように眠気が来るまで、ぼんやりと過ごす。
エントツ街での生活は、そうやって、今日も過ぎていく。
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