Remnant cace:01「edification(啓発)」 0、転がる岩のように

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Remnant cace:01「edification(啓発)」 0、転がる岩のように

 自殺は本人の意思じゃない、って話がある。  死を選んだんじゃなく、現実から逃げたくて、たまたま手にした選択肢が、死だっただけだと。  俺がまだ、世間を知らなくて、元気なワカゾーだったころは、そんなの信じなかった。  でも、 「あ……」  滑り込んでくる電車が、やけに大きく見える。  通勤に使う駅のホームには、飛び込み防止用のホームドアが付いてなかった。  向かいの一番線、昇りの方にようやく設置が始まったところだ。  もし、ここの『黄色い線』から、一歩踏み出したら。  月曜から土曜まで、出社のたびに繰り返した妄想。  安い発泡酒を浴びるように飲んで、洗い流してきた逃避への誘惑が、最後の一線を越えてしまった。 「や、べ……っ」  いやちがうんですごめんなさいちょっとまってゆるしてかみさま。  でたらめな祈りと謝罪が、一瞬で過ぎ去る。  その後に湧き上がってきたのは、過去だった。  遠いガキの頃――友達、ゲーム、親戚の家に泊まりに行ったこと。  高校生――パソコンに向かう、ネットとチャットソフト、流れてくる世間の暗い話題。  就職――思い出したくない、重くて辛い、闇色の日々。  追憶はそこまでだった。  無料視聴動画の合間に差し込まれる、十秒CMのような薄っぺらさだ。 「こんなもんかよ、俺のじんせ――」  がつんっ。  衝撃と激痛が、安い走馬燈と意識を、残らず()きつぶした。  途切れたはずの意識は、まだ残っていた。  まばたきして、辺りを見回す。  真っ暗で、何もないような空間に、立ち尽くしている自分がいた。 「選べ、ガラクタ」  聞いたこともない、重々しい響きが世界を震わせた。  言葉じゃない、スピーカーからの音声でもない、それは誰かの『(こえ)』としか言いようがなかった。 「新たな生か、消滅か」  俺の周りにある闇に、圧力を感じた。絶対に逃がさない、とでもいうように。 「生と死、じゃなくて……消滅?」 「生の対義、それは消滅。死などは無い」  妙な物言いだ。生の反対が死じゃなくて、消滅。 「つまり、それって、天国とか、地獄とか、生まれ変わりとか、そんなのないって、言いたいのか」 「無い。命、生の終わり、消滅のみ」  声の主は、イラついていた。  なんでそんな分かり切ったことを聞くんだ、という、職場で散々浴びてきた、無能な上司の口調にそっくりだった。 「新たな生、ってのを選んだら、生き返るのか?」 「我がガラクタとなり、新たな生を受ける」  ちょっと待ってくれ。  このシチュエーションって、もしかして。 「あんた、神様って感じでもなさそうだけど、もしかして俺を」 「――問答はせぬ。もういい、消えろ」  ぞんざいな言葉と共に、圧力が薄れていく。  飽きたおもちゃを放り捨てた子供のように、何かが去っていく。  手足が消える、自分という存在が、塵さえ残さずに闇に溶けていく。  嫌だ、そんなの。 「わ、分かった! 選ぶよ! 新しい生って奴を! だから行かないで!」  ため息、イラつき、それでもそいつは戻ってきた。  同時に闇の圧力が、ぐっと強まった。 「では、差し出せ。お前の全て」 「わ……分かった! 好きなようにしろ!」  体が、不意に持ち上がった。  摘まみ上げられ、逃げることも出来ずに、運ばれていく。  クレーンゲームの景品が、樹脂製の出口を目指すように。 「お……おい、ちょっと、なに――」  ぽいっと、放り捨てられた、次の瞬間。  俺の全身を、不快感が押しつぶした。 「っげええええええええええええええええええっ!?」  それは八月の炎天下、生ごみを放置した三角コーナーの臭いと、湿気を吸ってアオカビが染みついた畳の臭さと、繁華街の路地裏に溜まった泥と反吐の気持ち悪さを、一億年ぐらい溜めて煮込んだような、猛烈な悪臭だった。 「や、やめ、おぐっ、ぐへぇっ、た、たすけ、っが、ぎゃあああっ!?」  おそらく、そいつの舌、のようなものが、俺の全身をこそげおとしていく。ざらついた猫の舌よりも鋭い、拷問器具のような代物が、魂を削いでいく。 「凡庸な味だ。食い飽きた毒だ。だが、これこそガラクタ」  勝手なこと言いやがって。  悪臭と激痛の中で、そいつに対する恨み言を吐いた時。  俺の手に、なにかが収まった。  それをとっさに握りしめる。 「見つけたな。似合いのガラクタを」   これがいったい、なんだって言うんだ。  問いかける間もなく、俺の足元の方でもごもごと、うごめく感触がした。  今、俺はこいつに食われている。   その『口の中』で、こんな動きをするってことは。 「え、まさか、おまえっ」 「魔界の果ての果て、塵芥(じんかい)の底で、這いまわれ。神無き星の、哀れなガラクタ」  下の方から強烈な、押しあがってくる感覚。 「やめろおおおおっ!」  べぇっ。  吐き出された、吐き捨てられた。  噛み終わって味の無くなったガムか、食いちぎれなかった肉の筋みたいに。  そして、まっしぐらに落ちていく。  暗い空間が遠ざかり、うすぼんやりとした、光が辺りを満たす。  見回せば、どこまでも広がる空の中に、投げ出されていた。 「お……おちる、おちてるって、おい!?」  叫んでも誰も答えない。太陽もないのにぼんやりと光る空と、見下ろせば黄土色の、緑もない大地。  落ちていく視界の先に、何かが現れた。  それは、天を突くほどに巨大な、花のような代物。  だが、まともな植物じゃない。  それぞれのはなびらが、全く別の材質でできていた。  うごめく肉塊。  鋭くとがった結晶。  剥き出しの鉄骨とコンクリートのビル群。  毒々しい色をした木々や草。  その中央に、灰色のつぼみのような塊。  不気味な花弁状の構造物を通り過ぎ、なおも落ちていく。 「あれは――街、か?」  高い城壁で円形に囲われた、雑多な建築物の群れ。  いくつもの人影が大通りを過ぎていくが、どんな姿かは分からない。  落ちていくスピードは止まらない、勢いが全く落ちない。  「ど、どうすんだよこれ! このまま落下死とかじゃないよな!?」  街並みが、どんどん大きくなる。  土と石でできた建物の群れ。その中の一つ、雑居ビルのような建屋の外壁に、色とりどりのペンキで描かれた文字が目を惹いた。 『スーパー銭湯メイドカフェ、ムーラン・ド・ラ・ギャレット』  日本語の看板、スーパー銭湯、メイドカフェ、なぜかフランス語から取った店名。 「ツッコみきれねえんだよバカァアアアアアアアアッ!」   そして再びの衝撃が、意識を押しつぶした。  生きてる。  最初に思ったことがそれだった。  目を開くと、辺りは薄暗い。鼻をくすぐるのは、酸っぱくて不潔な匂いだ。  でも、あの強烈な異常存在の臭気に比べれば、そうとうマシな部類だろう。 「く、そ……大丈夫、なんだよな?」  痛みはないが、違和感はある。全体的にごわごわして、サイズの合っていない服を身に着けたような感覚。  体を起こし、息を飲んだ。  自分を囲む暗がりの中に、無数の何かがいる。  乏しい灯りを反射して、こちらを見つめている連中。  その中のひとりが、進み出た。 「ひ……っ!」  ネズミだ。一メートル越えの、二本足で立ったネズミが、手に灯りを持っている。  だが、動物にしては体型がどこかおかしい。顔かたちはネズミだが、人間の特徴を混ぜたような奇妙さを感じる。  そいつは、きしるような声を上げた。 「縺昴≧縺九€ゆサ雁コヲ縺ッ縺雁燕縺ョ逡ェ縺九€�」 「え、な……なに?」  周りのネズミたちが、同じような声で鳴く。こっちを指さして、鼻面をしかめている奴もいる。  明らかに歓迎されていない。これはどう考えても、敵対の気配だ。 「陦後▲縺。縺セ縺医€りヲ九★遏・繧峨★縺ョ逡ー驍ヲ莠コ縲√○縺�●縺�€√%縺ョ繧ッ繧ス貅懊a縺ョ荳ュ縺ァ縲∬�逕ア縺ィ繧�i繧定ャウ豁後@縺ェ」  目の前のネズミの声に、群衆の気配が変わる。ぐずぐずしてたら、襲われて食い殺されるかもしれない。  一歩、二歩、後ずさり。 「――っ!」  背中を向けて、一気に走り出す。  取り囲んでいた連中の、一番薄い所へ。ネズミの群れが驚いて道を開け、訳も分からないまま、ひたすらに走る。  いったい、なんなんだこの状況は。  通勤電車にうっかり飛び込んで。死んだと思ったら、妙な化け物に喰われたあげく、バカでかいネズミの群れに放り込まれるとか。  おそらくここは異世界。あの変な奴に、転生させられてここにいる。  それにしたって、 「こんなクソみたいな展開ありかよ!?」  薄暗い路地を、わき目もふらずに逃げる。  少なくとも、表通りに出れば何とかなるかもしれない。  あのおかしな看板。少なくとも日本語は通じるらしい。とにかく、人気のある方へ。  走っていく先に、光と大きな通りが広がっていく。  通りのあちこちに書きつけられているのは、間違いなく見慣れた文字列だ。 「た、たすか――っ!?」  脱出口の先を、何か大きなものがふさいだ。  駄目だ、止まれ、足を踏ん張る、でも勢いが止まらない。 「ぶはあっ!?」 「うあああっ!」  今日、三度目の激突は、一番やさしかった。  というか、肉厚でやわらかな、マットレスのような感触だ。  こっちが素早く起き上がるのと同時に、相手ものっそりと体を起こした。 「で……っ、か」  自分よりもはるかに高い目線。巨人ではないだろうが、五十センチ近くは差がある。  横幅もでかくて、胴回りがたっぷり、肥えて膨れていた。  見下ろす表情は影になって、良く見えない。だが、絶対に人間の顔じゃなかった。 「あ……あの、大丈夫?」  日本語だ、間違いなく。  盛り上がった鼻と、その下でωの形を描く口元が、もごもごと言葉を放っていた。 「ぼ、僕の言葉、分かる? 聞こえてる? それとも」 「ああ、分かるよ。でも……」  こっちの様子を見て、デカブツは腰を下ろして、視線を合わせてきた。  ネコだ。白地に黒のハチワレの毛並み。太ったネコそのものの顔が、こっちの様子をうかがうように、頷いてみせた。 「けが、とかしてない? 新しい人が来るって、Pの館でクエストが出たから、探しに来たんだけど」  言ってることの一部は分からないが、害意は無いらしい。背後を振り返って、例のネズミたちがいないことを確かめると、慎重に問いかけた。 「名前、聞かせてもらえるか。俺は、小倉孝人(こくらこうと)」 「あ、あっ。僕は、福山文城(ふくやまふみき)、です」  話が通じる。ただそれだけで、体の力が抜けるようだった。  海外旅行もしたことがなかったけど、見知らぬ国で同郷に会いたがる奴の気持ちが、分かる気がした。    ぐるるるるる。  無意識に、俺の体が間の抜けた音を発する。 「……な、なんだよ、これ……はは」 「お腹空いてるんだ。じゃあ、これ」  空腹を主張した俺に、ネコは笑顔で片手を差しだした。  肉球の付いた掌の上、前触れもなく現れたもの。  たった今、レンジで温めたばかりの、コンビニ弁当だった。 「へ……?」 「し、心配しなくて、いいよ。これ、本物の、食べられる奴だから」  意味が分からない。でも、目の前の弁当は熱々で、ガーリックチキンの美味そうな匂いが漂ってきている。  受け取って、透明なフタを眺めた時、息が詰まった。  ネズミが俺を見下ろしている。 「――っ!?」  慌てて振り返るが、誰もいない。  いや、薄々は勘づいていた。  ここに来た時の違和感と、自分の身に起こった異常の正体に。 「か、鏡っ!」 「ひぇっ!?」 「鏡持ってないか!?」  ネコは驚いて、それから納得したように立ち上がると、表通りの一角を指さした。  ガラスでできたショーウィンドウを。  大急ぎで走り寄り、俺は愕然とした。 「そういう……ことかよ」  ガラスに映る姿が、こっちを見返してくる。  ぼろぼろの、臭そうな服を身に着けた、不潔なネズミ人間が。  つまりこれが、俺の異世界転生した姿ということ。 『魔界の果ての果て、塵芥の底で、這いまわれ。神無き星の、哀れなガラクタ』  異形と化した自分自身を睨みつけ、俺は絶叫した。 「そういうことかよ、畜生ォオオオオオオオッ!」
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