殺意

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殺意

 『とまぁ、このように我を追って来たわけだ。否が応でも信じる気になったろう』  作業場にどこからともなく硬いものが飛来し、窓ガラスをぶち割った。  直後、驚いた桑原の左目に映ったものは、ピントが合わないほどの至近距離、睫毛に触れるか触れないかのところで静止したガラス片だった。  思わず後退りすると、心臓の高さに(のみ)が、鳩尾の高さには(きり)が、空中に留まっていた。  「こ、これは……お前が止めてくれたのか……?」  『然り。あの時の金槌は間一髪だった。まだ完全には馴染めていなかったからな』  工具とガラス片は、激しい音を立てて彼の足元に散らばった。  桑原の目はそれを追ったが、床に転がっていてもなお、つい先ほどの衝撃は強く、「またこれが飛んでくるのではないか」と不安を抱かずにはいられず、靴のままそれらを踏み付けた。  物を踏むのは意に反するが、命の危機があってはそうも言っていられない。  「訊きたいことが山ほどあるんだが」  『だろうな。ではうぬがもっとも訊ねたいことを当ててやろう。うぬが命を狙われる理由はただ一つ。巻き添えだ』  「巻き添えって……お前の? 俺の見てないところで誰かの恨みでも買ったのか?」  『呪いの人形だからな、さぞ得意だろうて。だがそうではない。あやつの狙いはこの肢体だ。我の目に狂いがなければ、あやつは元遊女。古くなれば捨てられる故、古い身体を嫌う』  「は、本当に巻き添えじゃねえか。勘弁してくれよ」  『そう気を落とすでない。うぬがこの肢体に呪いなど込めねば我は憑代になどしなかった。あやつが目をつけても、抗う者がいなければ何も起こらなかったろうて。うぬの呪いは立派に成就しておる。“人を呪わば穴二つ”とな』  桑原は口を固く結んだまま、何も発することなく亜梨須の言葉を聞いた。より厳密に言えば、反駁するだけの材料が喉元になかった。  ぐうの音もでない。全く以ってデジャヴだった。  ——デジャヴといえば……じゃあ寺野は何をしてる? てっきりこいつに襲われたとばかり思っていたが、こいつの話が全部本当なら別に何もされてないはずだ。  「この間お前を預けたやつは覚えてるか? 住職の寺野ってやつ。あいつにも何もしてないのか?」  『我は誰にも手を出していない。我はな。だがあの住職に憑いているおかしなやつが我を除けようとしてきた故、その矛先を逸らした。それがどうなったかまでは分からぬな』  この話も信憑性があった。  寺野は霊能者の肩書きを持ちながら、自らも常に誰かを背負っているという珍妙な人間だ。その憑き物が余計なことをしたとすれば辻褄は合う。  もっとも、本人がそれを自覚しているかどうかまでは、桑原の知るところではない。  『さて、閑話もここまでだ。自らの錆に殺されたくなければ構えるといい。やつはすぐそこまで来ているぞ』
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