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捻れた呪い
亜梨須に宿された呪いは、何を間違えたのか“人の運命を適度に不幸にするもの”ではなく、“過度に無機物に干渉できるもの”に歪んでいた。
亜梨須は鈍器や刃物、果ては放たれた弾丸までをも掌握することができた。
しかしその呪力を扱うのは人形に宿ったヒサという遠い過去の人間。仕組みそのものが理解できないものや、外部に動力があるもの——拳銃そのものや自動車などは操ることができない。せいぜいゼンマイ仕掛けが精一杯だった。
紅后も所詮その身は人形。他ならぬ無機物。
苦労してヒサが辿り着いた亜梨須という肢体を守るには充分な力であり、霊魂が定着した今でなら、原理的には紅后を直接操ることさえ可能だった。
それが敵わないのは、紅后のもつ呪力故のものだろう。
さて、そもそも何がどうしてこれほどまでに歪んだのか。
それはもはや誰にも知り得ないが、結果的にそれがあったからこそ、純粋で強力な呪力を有する紅后と渡り合えていた。
だが、防戦一方というのは必ずどこかで綻びが出るもの。
互いの呪力とそこに居合わせる者たちの霊能が、近辺に彷徨うあらゆる霊魂を呼び寄せると、紅后はその場でそれらを調伏し、手駒として不届き者共に差し向け始めた。
その機転と力はまさしく、“赤の女王”の名に恥じぬ相応しいものであった。
「おい、さっきから何か余計なのが増えてないか?」
「奴の仕業でしょうね。このままでは反撃どころか押し負けてしまいます……」
「あんた、大河さんって言ったか。専門家じゃないのか? どうにかできるんだろうな?」
桑原は大河に向かって、言葉と同時に匙をも投げた。賽は既に投げられている。残っているのは命くらいか。
「俺には霊感がないので直接感じることはできません。なので、どうにかしてもらいたいならば、状況を詳しく話していただきたいところです。そちらの人形についても。それも刺客か何かですか?」
『は、刺客とは。こやつは本当に何も見えないようだな。だが腕は確かなようだ。あの巾着の中は呪具で溢れている』
「あぁ……まぁこれも呪いの人形だが、俺たちの味方だ」
大河は手を動かしつつ考える。
確かに、数十分前に彼が見た着物姿のそれとは明らかに別物である。だが同時に手首に巻き付けたペンデュラムは、より近いビスクドールを指している。これも呪いの人形で間違いはないようだった。
本来ならばこれも鎮伏の対象になるが、今はそうも言っていられない雰囲気が漂っていることを大河は肌で感じ取る。
「多分あんたが追ってたのはこの家の裏手にいるやつだ。紅后って言うらしい。で、見て分かる通り外から大量の呪詛と、それに引き寄せられた野良が襲ってきてる。本丸をとっちめればどうにかなるかもしれないが、そこまで手が回らん状態だ」
——紅后。間違いない。
余裕があるのか、そう見せているのか、彼はつつがなく現状を説明した。足りないところはあるものの、この状況下を考えれば充分だった。
桑原自身も、自らがここまで冷静に状況を説明できたことに驚いていた。手元や頭の中はそれどころではない。
すると、桑原の説明を飲み込んだ大河は、肩に提げた鞄をまさぐりながら「ちょっと待っててくださいね」といい、玄関先へと戻っていく。
「土倉さん! 中の方が安全です、入ってきてください!」
まもなく若い女性が屋内へと駆け込んできた。
桑原は、人の作業場だというのに随分と勝手をするものだ、と思いつつもそれは口に出さないでおいた。
何しろ、この惨劇は彼が招いたものなのだ。
「あれ? この人形、どうしてここに……?」
『おや。うぬはあの豪商の孫娘ではないか。こんなところで何をしている?』
ここに、小さく珍妙な再会があった。
「その人形は何ができるんですか」
『ある程度の物を操ることができるな。それから、我のことは亜梨須と呼べ』
大河の質問に亜梨須が直接答えるも、彼の耳だけには何も届かない。見かねた桑原が仲介に入る。
円滑なコミュニケーションを図る為、余計な一言は伝えない。
「ではこうしましょう。俺はここに防壁結界を張ります。その間、そちらのお坊さんは彼女を守っていてください。そしてあなた、結界を張り終えたら俺が隙を作るので、その人形と共に直接紅后を捕えてください」
『亜梨須と呼べと——』
「正気か?」
「大真面目です。支配と団結では後者の方がより強固。そして何よりも、死霊如きが生きている人間に勝てるはずないんです」
結界は急拵えではあったが、正常に機能している。怨みを植え付けられた霊を従える紅后の波は壁に阻まれ、やや勢いが衰えていた。
霊感がないという割には各種術の扱いに長けた男に、桑原は感服と同時に妬みを抱いた。こうも簡単に扱われてしまっては商売上がったりである。
ひとまず自らの行いを棚に上げ、桑原は訊ねた。
「それで、どうすれば?」
「霊魂をこの形代に縛り、それを擬似餌にします。俺にはできないので、どなたかにお願いしても?」
この問いに対し、勇んで手を挙げたのは土倉だった。
大河はそれをやめさせる為にあれやこれやと文句を並べ立てたが、彼女の前には風の前の塵に等しく、一向に意思を曲げようとしない。
『頑固一徹。この娘、自らの祖父とそっくりだな』
やがて折れたのは大河だった。
「封じ込める霊は誰でもいいんですか?」
「力が強ければ強い方が好ましい。それ以外に選別するべきものはないよ」
「じゃあ……お坊さん、ちょっとこっち来てもらえませんか?」
呼ばれた本人は辛気臭い顔をそのままに、何故自分がこのタイミングで呼ばれたのかを図りかねている様子だったが、桑原はこの時、土倉が何をしようとしているのかを直感で理解することができた。
彼は長いこと常に二、三人を連れていた。医者の不養生とはよく言ったものである。
中でもとりわけ熱狂的な霊は、酷い時には実害をもたらすほどで、俗に言う悪霊に当て込まれてもさもありなん、といった具合だった。
少し前、寺野の後頭部に当たった何かを最初に投げたのはまさに“それ”だ。
話は戻り。
土倉は形代に宿す霊を“それ”に決めた。彼女がここに脚を踏み入れてからほんの数分。ずば抜けた慧眼だった。
『何するの!! ここから出して!!』
名も知らぬ霊は騒ぎ立てるが、取り合うものは誰もいない。
「これはこれは……肩の荷が降りたようです。お嬢さん、ありがとうございます」
寺野の顔色も変わらない。まだ肩の荷——もとい憑き物は落ち切っていないのだから、当然である。
「い、いえ……まだ残ってますけどね……」
「さぁ、始めましょうか」
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