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進展と横槍と
大河は先日またしても不覚を取り、人生で三度目の職務質問を受けた。彼にしてみればこれこそが職務であり、業務妨害も甚しい。
だが全く謂れのない横暴かと問われれば、そうでもないことくらいは自覚していた。
一度目は水晶球を、二度目は筮竹を用いて調査をしていた為、傍目には不審者に見えること請け合いだろう。
ましてや、対象を考えれば調査は深夜に行うのが通常なので、見付かった時点で即アウトである。
技術の発展がめざましい昨今、広く普及している電子機器以外もその恩恵を受けていた。
スマートフォンサイズの計測器一つで、霊障の痕跡や発生源、更にはその種類までつまびらかにしてしまうものが開発されているほどだ。
これは大河が籍を置く組織の技術部門が作り上げたもので、当然、彼の所属する部門も常用している。
つまり、彼が路上に花札をばら撒くことでしか発見できない異常や怪異は少なく、むしろ精度やその他——職務質問をされにくい点なども考慮すれば、祈祷や卜占、呪術などの“ローテク”は用いるべきではないのだ。
しかし今、大河は性懲りもなく深夜にペンデュラムをぶら下げ、赤い人形の痕跡を辿っている。
これには彼自身の体質が深く関係していた。
ペンデュラムの先端が大河の右前方に引き寄せられる。水晶は微動しながら左へと移動していた。その力は想像よりも強く、気が緩んだままでは身体が持っていかれそうになるほどだった。
彼の推測は正しかった。
——間違いない。これは呪いだ。
アルプス山脈で採れた六角錐の水晶は、呪力にのみ反応するように調整されている。超自然的な現象には一切反応しない。
このペンデュラムが動いたということは、すなわち作為的な事件が起きていると捉えて問題ない。
大河は気持ち大股で、ペンデュラムの指し示す先へ歩き出した。
呪いの赤い人形。
誰が、何を思ってそんなものを作り上げたのかは大河の知るところではないが、生きた人間が介在しているとなると、かなりタチの悪い代物である可能性が高い。
死霊はその念こそ強力だが、概して純粋な怨念や憎悪などが動力源であり、その源さえ突き止めることができれば、余程のことがない限り対処が難しいことはない。
一方で、生きた人間が用いる呪法には、その時の術者が抱く様々な負の情念が混ざり合い、呪いがもたらす災いも非常に複雑になる。
大河が追っている人形は、彼の見立てでは後者であった。
書いてそのまま“人の形”をしている物に、偶然霊魂が宿るというのはままある話で、実際、その他の物品よりも確立は高い。
しかし、ひとりでに歩き回れるほどに強い霊魂はさほど多くない。多くても困るばかりである。
ちょうど日付けを跨いだころ。
ペンデュラムの傾きが弱まり、大河の足運びはやや慎重になる。どうやらかなり近付いたようだ。
彼は大通りから二本奥に入った、少し寂しげな路地にいた。周囲に人の気配はない。もちろん、警官やパトランプも見当たらない。
これから呪物と接触しようという段に人の目を気にしなくてよいのは、気持ちの面で随分と余裕を生んでくれた。
——近い。次の角……いや、もう一つ先の角から来る。
霊感も呪術そのものの心得も備えていない大河にとって、信ずるに値するものはローテクな道具の数々と、己の直感のみ。
一つ目の十字路を過ぎ、腹を括る。
そして大河は、遂に呪いの赤い人形を目の当たりにした。
——呪いの赤い人形。なるほど、そうとしか言いようがないな。だがこれは……。
ひとりでに動く呪いの人形と聞いて思い浮かべるのは、もちろん人それぞれだろう。それでも大別はできるはずだ。
地面を這って進むもの、宙を舞うように飛んでいくもの、または誰の目からも離れた隙に別の場所へと、瞬間転移よろしく移動してしまうもの。
どれも不気味であることには変わりない。
彼が目の当たりにしたのは、これら想像していた光景とはやや異なる絵面だった。
それは歩いていた。両の脚を地につけ、しっかりと歩いている。だが、歩き方は実に独特なもので、例え知識はなくとも見覚えはあるものであった。
外八文字歩き。かつて日本最大を誇った風俗街、吉原において遊女が好んで用いたとされる歩き方。
それを何故か、高下駄も履いていない呪いの人形がたった一体で行っている。現代日本の真夜中、ただの十字路のど真ん中で。
——何してるんだ? こいつは……。
大河の内心では恐怖もさることながら、疑問ばかりが膨れ上がる。
そして、はっと我に返る。思わず面を喰らい、本来の目的を忘れかけていた。
薄暗がりの中、肩から提げた鞄に手を突っ込み、一枚の符を優しく掴む。
これら超常の力を抑える機器も存在するが、彼の手にあってはどうにも余ってしまう。
決して機械音痴などではなく、機械の方が大河の持つ何かしらの力に耐えられずに自壊してしまう。つまり、機械側が“大河音痴”なのだ。彼の大きな悩みの種である。
向こうは大河のことに気付いていないのか、或いは全く相手にしていないか、とにかく警戒されてはいない。良く言えば優雅に、悪く言えば牛歩の如く。いずれにせよ好都合だった。
ファーストコンタクトで全てが片付けば労力もかからず、何より命を無防備に晒す時間が短く済む。
だが、そんなに上手く運ぶほどこの仕事も楽ではない。いくつか、後の展開を思い浮かべてシミュレーションする。
行き当たりばったりで命を賭けるのは、大河自身もおかしいと理解していた。それをスリルと捉えることもできない。
しかし、そうせざるを得ない。彼が仕事を全うするにあたって、比較的安全な文明の利器を扱えないのは、それだけで常に不利だった。
静かに、細く息を吐き、大河はその背後を取る。
——よし。やるか。
その時、彼は元いた十字路へと繋がる路地へと強引に引き戻された。
「うわっ」
(危ないですよ! 何するつもりですか!)
「いや……それは俺のせ——」
(静かに! バレたら殺されちゃいます)
大河を引き倒した人物は人差し指を口元へやり、可能な限り息を殺しながら忠告をする。
ところが裏腹に、またしても仕事の邪魔をされた大河は内心、やり場に困る恨みが沸々としていた。
数日前の調査段階での職務質問に始まり、いよいよこの案件も終盤を迎えようかという絶好のタイミングで何者かの妨害に見舞われる。
この呪いの人形は間違いなく本物であると確信するとそこが恨みの捌け口となり、彼は呪いの人形を呪った。
(……あなたこそ、何のつもりですか。見たところ未成年ですけど)
暖かみに欠けるLEDの街灯の下、彼は倒れ込んだまま己の心を律し、大人として節度のある態度で仕事の邪魔をしてきた相手を質す。
(残念、二十歳です。それに、本当のこと話したところで信じてもらえないだろうから……とにかく、あの人形のことは忘れて帰ってください)
大河は彼女が何を言っているのか、一瞬理解に遅れた。本来なら人形が動いているのを見た時点で信じられないできごとのはず。
それ以上に信じられない話なら、恐らく大河に軍配が上がるだろう。
だがそれをどう伝えたものか。
口が裂けても「あの人形を封じるのが仕事だ」とは言えない。相手が信じる信じない以前に、外部に漏らしてはならないのだ。それが職務質問であったとしても。
しばし逡巡した後、ふと、全く別の方向から既視感が飛来する。大河は思わずそれをこぼした。
(あなた……もしかして土倉 真耶さんですか?)
調査資料に載っていた写真と、今、彼の眼前にある街灯に照らされた顔を比べると、とても他人の空似では片付けられない。
加えて、もし彼女が本当に土倉 真耶ならば、色々と得心がいく。邪魔をされたのを帳消しにしてもいいとさえ思った。
しかし、彼女の顔はみるみる歪み……
「え、何で知ってるんですか。きも」
大河は期せずして掘り当てた水脈にわざわざ蓋をしてしまった。いや、蓋で済めばまだ軽傷かもしれない。
(おい、声を抑えろと言ったのは君だろ。それに誤解だ)
「叫んでもいいですか?」
(待て待て、早まるな。君の方からちょっかいかけてきたのに、疑われるのは間違いなく俺だ。冗談じゃない)
ガラガラと音を立てて瓦礫が崩れ、水脈への道が遠ざかっていく。或いは、この水脈は三途の川へと繋がっていたのかもしれない。
(よし、こうしよう。俺は元々あの人形を捕らえるつもりだった。そして君もあの人形を追っていた、そうだろう? つまり、必然的にあれが持つ危険性は承知しているはず。君も犠牲を出さない為にここにいるなら、目的は俺と同じだ)
土倉は不承不承を隠さず表し、大河の話を黙って聞いていた。
その様子を見た大河はひとまず胸を撫で下ろす。現時点で考え得る最悪のシナリオは避けられたようだ。
やがて考えがある程度まとまったのか、彼女は重々しく、静かに口を開いた。
(どうしてあれが危ないって知ってるんですか)
(詳しいことは言えないが、きちんと調べたからだ。あれは相当強力な呪術によって作られた代物だと俺は踏んでいる。封じる為の準備もしてきた。望むなら道具を見てもらっても構わない。だが急いでくれ。この間にあれが誰とも出くわさないとは限らない)
いつの間にか熱弁していることに気付き、大河は自らが酷く滑稽に思えた。小声なのも相まって、まるで本当に言い逃れをしているかのような有り様だ。
だがまずは、いかなる手段であっても自分の身を守らねばならなかった。本当に警官でも呼ばれようものなら、お縄を頂戴されないとも否定できない。
それは結果的に、あの人形を野放しにしておくことと同義である。
(……分かりました。嘘はついていなさそうですし、確かに私が邪魔したわけですしね。でも一応、持ち物は確認させてもらいます。危ないものとか怪しいもの持ってたら叫ばないといけないので)
調査報告書に記載されていた内容を思い出す。
土倉 真耶は、俗に言う霊感が非常に強いとのこと。恐らく、大河の道具の数々に宿っている霊力や呪力を感じ取ることは容易いだろう。
だからこそ彼は、自分が何をしようとしていたのかを証明する為に、渋々これらを明かした。
——心苦しいが、こうなってしまった以上彼女の記憶は後で処理をしてもらえばいい。
「お札、八面サイコロ……揚げパスタの束? 怪しいものだらけ……。職質とか受けたらどうするつもりなんですか?」
「さぁ、経験がないもんでね。何とかなるだろう。あと、それは揚げパスタではなく筮竹という。別にパスタでもいいんだが」
大河は自尊心を保つ為に虚勢を張った。そこに豆知識と冗談を交えると、不思議と様になったことに彼自身も驚いた。
「さて。俺は手の内を明かした。これでもこんな真夜中に悲鳴を上げるつもりかい?」
「……いいえ。かなりおかしな人だとは思いますが、私を襲うつもりならとっくにそうしてるでしょう」
「全く、どっちが襲ったんだか……。詳しく話を聞きたいところだが、今は急がなければならない。個人的には帰ってほしいが、これ以上押し問答をしている時間もないんでな。俺はこれで失礼するよ」
「あっ、ちょっと。待ってくださいよ」
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