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第二話 おつかい
『俺にはな、秘密の恋人がいるんだぞ、光輝』
そう言って、じいさんは一枚の写真を見せてくれた。
その写真を見て、俺は度肝を抜かれた。正直、じいさんがぼけたのかと思ったくらいだ。
写真の人物は制服に身を包んだ、どう見ても俺と近い年の女子高生だった。
「なんの冗談だよ」と俺が突っ込むと、じいさんは「桜花高等学校」と答えた。
「は?」
「だからな、その子の通う学校だよ。桜花高等学校。ほら、ここだ」
そう言って、じいさんはスマホで学校のホームページを見せた。
「本当だ。ここ、うちからだと電車で三時間はかかるよね。SNSとかで知り合ったの?」
「いや。この年になってからは話したことがないな」
「どういうことだよ? それって勝手に自分が恋人って呼んでるだけってこと? おいっ、じいさん。あんた、ネットストーカーとかしてねえだろうな」
俺がいぶかしげに見ると、じいさんは破顔一笑した。
「ネットストーカーか。たしかに事情を知らなかったら、そう言われかねないだろうな」
「俺、やだよ。じいさんが警察に捕まるとか」
「大丈夫だ。俺はもう、そんなに長いこと生きられんから」
「なんだよ、急に。あんた、100歳まで生きるって言ってなかった?」
「そうだなあ。だけどな、光輝。俺はここまで生きてきて、ようやく自分の運命を受け入れられたんだよ。本当に荒波みたいな人生で、何度も死のうと思って死にきれなかったわけだけど。やっとな、バトンを渡せるときがきたんだ」
じいさんはそう言って、遠い目をした。まるで仙人のような顔つきだった。
「だからな、光輝。俺が死んだら、おまえに『おつかい』を頼みたい」
「『おつかい』? なにそれ?」
「これを渡しておく」
そう言って、じいさんは俺に小さな銀色の鍵を渡した。
「俺の書斎机の引き出しの鍵だ。俺が死んだら、この鍵を使って中にある手紙を彼女へ届けてほしい」
「そんなもん、郵便で出せばいいだろう?」
「それじゃダメなんだ。いいか? おまえが必ず彼女へその手紙を届けるんだ。これは遺言だ」
そう言って、じいさんは俺に小指を突き出した。俺はしぶしぶ約束をした。だいたい、なんで死んだあとのことを託されなくちゃならないのか。まだ、じいさんはピンピンしているように見えたというのに。
だけど、本当にそれからあっという間にじいさんは亡くなってしまった。
俺は彼の言葉通り、彼の書斎机の鍵のついた引き出しを開けた。
『金折柚葉様』
じいさんの字で宛名書きされていた手紙を手に取る。
ばあさんの名前とは明らかに違う。これはあの写真の彼女に向けて書かれたものだとすぐにわかった。
「なにが遺言だよ、色呆けじじいめ」
きっとSNSかなにかで、彼女を見初めて以来、好きになったとか、そんなところだろう。じいさんからしたら最後の恋というやつだったのかもしれない。一世一代の恋文。たしかにこれは俺以外、誰にも託せないだろう。ばあさんや父さんに見つかろうものなら、その場で破り捨てられる可能性もある。
「それにしても……ずいぶん可愛らしいレターセットを選んだもんだよなあ」
電車に揺られながら、俺はしげしげとじいさんが書いた手紙を眺める。
青い空の柄の封筒。おそらく便箋も同じ柄だろう。縦書きのもっと地味な手紙かと思いきや、本当にラブレターっぽいのだから、ちょっと笑ってしまう。
裏にじいさんの名前が書いてある。
『宇津木伊織』
武士につけられる男っぷりのいい名前のせいで、ずいぶん苦労したとじいさんは笑っていた。彼が生まれたのは、この国がまだ戦火の渦にあったときのことだ。じいさんの親、ひいじいさんは強い男に成長してほしいと願いを込めてつけたに違いない。
そう言えば、俺の名前はじいさんが決めたのだと言っていた。誰の意見も受け付けずに、絶対にこの名前だと譲らなかったらしい。
そんな頑固な人ではなかったのに、俺のことになると別人になるのだと、酒を飲みながら父さんがぼやいていたのを思い出す。
あの人にとってはおまえがすべてなんだと――父さんはうらやましげに俺を見たのが印象的だった。
「だけど、バトンってなんだろうな」
じいさんが言ったことの意味がわからない。この手紙をあの人に届けたら、その意味がわかるのだろうか。
「だと……いいな」
俺は外を見た。見慣れた風景はとうに過ぎ去り、青々とした田園が広がる見慣れない景色が広がっている。
あと一時間か――そう思って、俺はそっとまぶたを閉じた。
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