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二人は居酒屋でだいぶ過ごしてから店を出た。終電はもう終わっている。
由樹奈はいい感じで酔っており、タクシーを拾える場所まで送れと良秀に言った。面倒だとは思ったが、少し回り道をすれば大通りに出られる。
火照った首元を冷やす風が心地よかった。その風に乗って由樹奈の香りが顔にまとわりついた。いつもとは違う香りだった。
「香水変えた?」良秀は何気なく言った。
「あんた……」由樹奈が唸った。「やるねえ! 気が利くじゃん。というか気持ち悪い」
「どっちなの」
「もしかしてあたしに気がある?」
「ないよ」
「あらそ」と言った由樹奈は、いきなり良秀の頬にキスをした。「これはご褒美」
「どうも」
「感謝が足りん! まあいい、ついでにいいことを教えてあげるよ」
「なに?」
「去年の暮れ、辰郎とあんた、運送の『仕事』したでしょ」
空き巣の前の件だ。
「うん」
「あんた、あれでいくら手にした? 辰郎はねえ——」
由樹奈は耳元でびっくりするような金額を囁いた。
唖然とする良秀に由樹奈は言った。
「そういう男なんよ、辰郎は」そして良秀の頭をぽんと叩いた。「あいつに限らないけどさ。あんたもしゃぶり尽くされないように気をつけな」
以前からずっと思ってはいた。自分が手にするのは毎回はした金だったが、辰郎が同じ額だとは到底思えない。ピンハネしているのは薄々分かっていた。しかしこれはいくらなんでも――
「あん、なんだあいつら」急に由樹奈が立ち止まった。
そこは線路の高架下にある駐輪場だった。主に駅の利用者が使うもので、電車が終われば自転車はほとんどいなくなる。
良秀は由樹奈の視線の先を追った。駐輪場の隅に若い男らしき人影が見えた。高架の影でよく見えないが三人いるようだ。
「いいから行こうよ、もうすぐだから」良秀は嫌な予感がした。
「いまの見た? なんか渡してたぞ。あれ絶対ヤバいやつだよ」
酔った由樹奈は大きな声で言った。
「聞こえるってば」
良秀は由樹奈の腕を引いた。向こうを見ると男たちもこちらに気づいたようだ。
「早く!」
「分かったよ」
由樹奈は引きずられるように歩きだした。歩く気があるのかないのか、由樹奈の体はとても重かった。
「おい!」男の声がした。
今度は絶対に無視する。何を言われても無視する。良秀は由樹奈の手を引いた。
「なんか用かよ」そう言ったのは由樹奈だった。
「ウソでしょ」良秀は愕然とした。
男は由樹奈に近づいてくると、品定めでもするように全身に視線を這わせた。
「なに見てんだよ」また由樹奈が言った。
「元気いいじゃん」男が言った。
後ろでは残りの二人がニヤニヤして立っている。
「この女、けっこうタイプかも」後ろの一人が言った。
「どうする?」
「持ち帰ろうかな」
「それで?」
「朝まで楽しもうよ。ねえ」男は由樹奈に向かって嫌な笑いを浮かべた。
「楽しむのはいいけど、その後どうすんだよ」
「そんなこと後で考えりゃいいよ。どうにでもなるさ」
「ふざけんな!」由樹奈が目の前の男に殴りかかった。男は身を交わしたが、拳の先が軽く顎をかすめた。男の目がつり上がった。
「このヤロウ」
「待ってください、ごめんなさい!」
良秀が間に入って何度も頭を下げた。ニ、三発殴られるのは覚悟した。正直言って由樹奈を助ける義理などない。かといって逃げ出して済む状況でもない。少々痛い思いをして済むのならそれでいい。
だが突如男の表情が変わった。
「おい、そいつは一体なんの冗談だ」
男が良秀の背後を見て言った。他の二人もぽかんと口を開けている。
良秀と由樹奈は同時に振り向いた。
そこに彼女がいた。頭のフードは外れている。
「あれ、お前の従姉妹——」由樹奈がボソリと言った。
これで大騒ぎになる。良秀は目の前が夜の闇より暗くなるのを感じた。
前に立っていた男が彼女に近づいた。「なんだこいつ。仮装してるのか」
由樹奈が良秀の袖を掴んだ。「あれなんだよ。親戚じゃねえよな。ていうか、人間じゃないよな」
由樹奈への言い訳は後だ。とりあえずこの男たちには子供の仮装だとして押し通そう。
「あのですね、彼女は——」
「なにこいつ。ハロウィーンじゃねんだぞ」残りの男たちも彼女を取り囲んだ。
「女か?」
「ガキじゃねえ?」
「いいからそのスケキヨみたいなマスクを取れ」男が彼女の頭を平手で叩いた。
次の瞬間、固いものが砕ける音がした。
彼女を叩いた男は、血を噴き上げる自分の手首を不思議そうな顔で見た。
「あれ? おれの右手がない」
男は焦点を彼女に戻した。大きな赤い空洞と、白く並んだ鋭利な歯。それを見たとき、男は海中から巨大なサメが襲いかかる映画のシーンを思い出した。だがそのタイトルを思い出す前に、男の頭は胴体から引き千切られた。
他の二人は背筋を真っすぐに伸ばしたまま動けなくなった。彼女は二人目の頭を頬張ると、続けて三人目の首も頂いた。肉を咀嚼する湿った音と、骨を噛み砕く乾いた音が入り混じった。昨夜と同じように、彼女は行儀よく全て平らげた。後には闇に溶けそうな赤黒い血の跡だけが残った。
良秀はハッとして由樹奈を振り返った。パニックでも起こされたら大変だ。せっかく悪い男たちを残さず食べてくれたというのに、ここで騒がれては元も子もない。
由樹奈は両肩を抱いたまま呆然としている。
「大丈夫?」
声をかけたが、由樹奈は蝋でできた人形のように何の反応もしなかった。
「由樹奈ちゃん?」
まるで感情を抜き取られてしまったかのようだ。このままタクシーに乗せていいものか。辰郎を呼ぶのは嫌だし、今夜は自分の部屋に連れていこう。しかしそうなると三人で同じ部屋で寝ることになる。由樹奈は大丈夫だろうか。
「それは」由樹奈が口を開いた。「なんなのよ」
「説明はできないよ。僕にも分からないんだから」
食事を終えた彼女の顔は真っ赤に染まっていた。良秀は彼女に歩み寄るとフードを被せてやった。そしてジッパーを上まであげ、首周りを直してあげた。
「どうしてここにいるの?」良秀が尋ねた。
「おなかがすいた」
「僕がここにいると分かったの?」
彼女は多分頷いた。
「そうか。でも勝手に出てきてはダメだよ」
「おなかがすいてた」
良秀は彼女の肩に手を添えた。
僕を追ってここまで来たら、そこには悪意の塊がいた。男達のにおいはさぞかし彼女の食欲をかき立てたことだろう。
「一人にしてごめんね。大丈夫かい」
「もうすいてない」
良秀は周囲に飛び散った血を見ながら微笑んだ。「そうだろうね」三人分だし。
突然、空気を切り裂くように甲高い笑い声が響き渡った。びっくりして後ろを見ると、由樹奈が大口を開けて狂ったように笑っている。
「由樹奈ちゃん?」
由樹奈はしばらく笑い続けていたが、やがてゆっくりと彼女の前に立った。
「ねえ」
彼女を見たまま良秀に言った。
「この子、ちょっと借りたいんだけど」
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