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5.
昨日までは辰郎にすべて話すつもりだった。だが彼女が由樹奈を食べてしまった今、何があろうとしゃべるわけにはいかない。どんなに問い詰められても卵は捨てたの一点張りで通す。たとえ相手が辰郎であろうと、今の自分ならできるという確信がある。
良秀は膝の横で眠る彼女の頭をさすった。
問題はこれからどうするかだ。もはや辰郎など関係ない。彼女と自分、この世界で大事なのはその二つだけだ。そしてこの問題の中心にあるのは彼女の食生活だ。この先、あの食欲をどう満たしてあげればいい? カップラーメンやコンビニ弁当では間に合わないだろう。誰かに彼女の育て方を聞ければいいのだが――
彼女を見ると毛布がずれ下がり肩をはだけている。
昨夜、食事を終えた彼女を自転車の後ろに乗せた。食べたばかりの彼女が荷台から落ちないよう、良秀は自分のジャンパーを脱ぎ、おんぶ紐のように彼女の体を自分に括り付けた。
「痛くない?」と聞くと「いたくない」と答えた。
走っている最中、何度も「寒くない?」と聞くと、その度に彼女は「さむくない」と答えた。
良秀はもう一度頭を撫でてからずれた毛布を元に戻してやった。
どうにでもなるさ。差し当たりバイトを増やそう。何を食べさせるにしてもお金が必要だ。それに辰郎からの仕事もやろう。次に会った時は分け前の話もちゃんとする。辰郎など怖くない。そう、今の自分ならできる。だがまずは居酒屋の店長に時給アップを――
そう考えていると玄関のチャイムが鳴った。
ほんの一瞬、首のない由樹奈の姿がよぎった。
良秀は立ち上がりドアスコープを覗いた。そしてチェーンをつけたままドアを開いた。
「なにか?」
髪の長い、若い女が立っていた。目つきは険しいが顔つきは整っている。
「良秀くん?」女が言った。
「はあ……」
「私、由樹奈の紹介で」
「ああ」
良秀は驚きを通り越して呆れてしまった。由樹奈は本気で紹介しようとしていたのか。
「由樹奈から聞いてる?」
「いちおう聞いてますけど」
「なら話しは早いね」
「だけど、どうして家に?」
「あいつ良秀くんの情報、全部送ってきたよ」女は言った。「メアドも住所も電話番号も。ネットショッピングじゃないんだから」
「だとしても……」
女はドアの隙間から部屋の奥を指した。「ちょっといい?」
少し悩んだが「待ってて下さい」と言って、一度ドアを閉めた。
眠っている彼女を毛布ごとクローゼットへ運び、床に血の跡がないかチェックした。念のため消臭スプレーを数回撒いてから女を部屋に入れた。
「いきなりでびっくりした?」
「まあ、そうですね」
良秀は女に座るよう促すと、自分は電気ケトルに水を入れスイッチを入れた。
「わざわざ来てもらってなんですけど、気にしないでください」
「どういう意味?」
「紹介してほしいと頼んだわけではないので」
「ああ」女は分かりきったような顔をした。「そういうことね」
「由樹奈ちゃんは何て?」
「そこは気になるの?」
「いえ……」良秀は下を向いた。
しばらくしてお湯が沸いた。
「インスタントですけど」
良秀はマグカップを二つ置いた。スカートの裾からふくらはぎが見える。由樹奈よりもほっそりした足だ。
女はカップを持ち上げ口をつけた。
「面倒なことさせてしまってすみませんでした」
良秀が謝ると女は笑顔を見せた。険しかった目が細く垂れた。
笑顔が可愛いと良秀は思った。見た目が6点ということはないだろう。だとすると性格だってもう少し高い点数なのではないか。
「全然問題ないよ。私だって最初からそんな気無かったし。そもそも、あいつの言うことなんか信用してないしね」
良秀は急に不安になった。
「じゃあどうしてここへ?」
女の笑顔が消えた。
「由樹奈と連絡が取れないのよ」
良秀はカップの中を見つめた。「そうなんですか」
「昨日の昼に電話がきて、一度紹介する相手、つまり良秀くんの家に一緒に行こうと言われたの」
「知りませんでした」
「それで『また電話する』って言われたきり音信不通」
「そんなに心配することないと思いますけど。特に彼女の場合」
「そうなんだけど、あいつ妙なこと言ってたのよね」
良秀の鼓動が早くなった。
「妙なこと、ですか?」
「なんかね、面白い道具が手に入りそうだから楽しみにしてろって」女は首を傾げた。「わたしに関係あるってことかしらね?」
「道具って、なんですかそれ」
女はカップを置いた。そして顔を上げると、突然氷のような笑みを浮かべた。
「お前が持ってるんだろ?」
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