5人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
その後の展開はよく覚えていない。突然生き物が喋りだした時には失神寸前だった。かろうじて保たれた意識の中で、言うことさえ聞けば殺されないかもしれないという判断が働いた。
あれからどのくらいの時間が経っただろう。外はすっかり暗くなっている。
その生き物はいま、目の前に座っている。
時間とともに落ち着きを取り戻した良秀は、ようやくそれを直視できるようになった。
頭と胴体、腕と脚がそれぞれ二本。全体に対して頭部が大きい。そこに黒目だけの目が二つ、左右に離れてくっついている。アーモンド型のとても大きな目だ。口は人間で言えば耳のあたりまで裂けているようだった。そのため口を目一杯開けたら顔の上半分が後ろに倒れてしまいそうだった。謎の生物には違いないのだが、大雑把な形状は人間と変わらない。臭いはまったくないし、ホラー映画で見るような粘液も出していない。そして驚いたことに言葉を喋る。
謎の生き物はクッションの上で横座りしている。寒いと言っていたのでエアコンも入れた。黒く光る目はこちらを見たまま動かない。
良秀は生き物の頭から足先までゆっくりと視線を這わせた。さっきの声は明らかに女性のものだった。そう思って見てみると、白いその体は柔らかい曲線を描き、いかにも艶めかしい。胸の膨らみや腰の大きさは感じるが乳首や生殖器の類は見当たらず、体の表面はどこまでも滑らかだった。
女なのだろうか? いや、雌と言ったほうが正しいのか?
「あの……」生き物の神経を逆なでしないよう、良秀は精一杯穏やかな声で行った。「はじめまして」
謎の生物に向かって普通に挨拶をした自分が滑稽に思えた。
向こうは首を少し傾けた。
「あの」
良秀はもう一度話しかけた。何を言えばいいんだろう。まずは自己紹介だろうか? そんなもの要るか? それとも相手の名前を先に尋ねる? いや、生まれたばかりだった。
「さ、寒くないですか?」
良秀は咄嗟にそう聞いた。
「さむくない」
先ほどと同じ、綺麗な女の声が答えた。
「あ、そうですか!」
その瞬間、恐れも不安もどこかへ吹き飛び、この生き物と会話が成立したことへの喜びで一杯になった。
「それはよかった」
「ありがとう」生き物は言った。
良秀は照れるように頭を掻きながら大きな目を見つめた。
よく考えたらこの生き物は――いや、言葉を理解する相手にそんな言い方は相応しくない。この彼女は何も着ていない。裸みたいなものじゃないか。
良秀は立ち上がると自分のベッドから毛布を引き抜いた。
「これをどうぞ」そういって彼女の肩を包んだ。
「ありがとう」彼女はまた礼を言った。
そのとき、不意に玄関のチャイムが鳴った。
良秀は腰を抜かさんばかりに驚いた。彼女は微動だにしなかった。
宅配が来る予定はない。セールス? そんなもの今まで来たことがない。もしかしたら辰郎かも。誰であれ、夜の訪問者が運んでくるのは良くないものに決まっている。
良秀は立ち上がった。そこではっと彼女を見た。もし辰郎だったら追い返すわけにはいかない。
二度目のチャイムが鳴った。
急いでクローゼットの折れ戸を開き、中に積んである荷物を外に出した。そして彼女をクッションごと引きずっていくと空いたスペースに押し込んだ。
「ごめんなさい、しばらくここにいて」そう言って戸に手をかけた。そこで思い出したように「声は出さないでね」と付け加えた。
それから玄関に走りドアスコープを覗いた。そしてチェーンと鍵をはずしドアを押し開けた。
「オッス!」
玄関の前で茶髪の若い女が手を上げた。
最初のコメントを投稿しよう!