吸血公と人間の従者

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吸血公と人間の従者

 リュカの仕事は、日没の少し前から始まる。  ひとけの無い館の中を慣れた様子で歩き回り、廊下やエントランスなど要所要所の明かりを点す。夜目の利く主には必要の無いものだったが、客人を招き入れるにあたっては必須だった。  そして客人のための用意を全て整えてから、屋敷の最も奥まったところにある重厚な扉を備えた主の寝室の前に立つ。 「おはようございます、クロードさま。きょうもいい天気ですよ。まぁ、もう日暮れですけど」  扉越しに語りかけたリュカは、そっとドアを開けて中の闇へと足を踏み入れた。  手にしていた蝋燭の明かりをそっとかざすと、塗り込められたような漆黒の中心、ビロードの絨毯の上にぼんやりと寝台が浮かび上がってくる。  天蓋つきの豪奢なそれの上には、十六のリュカと年の頃の近い少年の容姿をした人影が佇んでいた。リュカが起こす前に起床は済んでいたようで、絹の寝間着の上にはガウンを羽織っていた。  おぼろげな光の中ですら分かる、麗しい容貌をしたその人物こそ、リュカの主、このラーヴァル土地を王より預かり治めている伯爵だった。  クローディアス・V・ラーヴァル――クロードは、ちらりとリュカの方を見やってから短く言った。 「夕餉は?」  艶やかで、よく通る声だった。 「……きょうの当番はティアですけど、まだ来ていないみたいです」  リュカの返事に、クロードはふんと鼻を鳴らした。リュカが明かりを側の卓に据えた頃には、彼は既にリュカの方を見向きもしていなかった。  少しの気まずい沈黙。リュカはおずおずと口を開く。 「あの……、ぼ、ぼくので良ければすぐに飲めますけど……?」  言いながらおずおずと襟元を引き下げ、主に見えるように首筋を示すリュカ。  だが、 「要らん」  即答だった。涼やかな顔に、よりいっそう冷ややかな横顔。リュカは嘆息しながら襟を戻す。 「はいはい、そうですよね……。  じゃあ、ティアを呼んできます。ティア、今お父さんが商いに出て一人だし、もしかしたら風邪を引いたとか、何かあったのかもしれないし。明かりはそのままにしておいてくださいね」  返事は無かった。   別に手厚く見送って欲しかったわけではないが、せめて一言くらい声をかけて欲しかったな、そんなことを思いながらリュカは踵を返す。  部屋を出る直前、リュカは首を巡らせ、肩越しにちらりと背後を見やる。  ラーヴァル伯爵――通称、吸血公。金糸の髪に紅玉の瞳。王国の十四領主のうち唯一人間ではなく魔性である彼は、三百を超える歳をしているのだという。  整っていないところなど何一つないような美貌をした彼に、しかし唯一酷く醜い箇所があることをリュカは知っている。  主は常に黒絹の優美な手袋をしている。その内にある肌を何人にも見せようとはしない。その原因を作ったのは、他でもないリュカだった。  永遠の存在に、永遠に残る傷を残させてしまった。その事実がリュカを半永久的に縛る。  扉から離れてさらに数歩進んでから、リュカは口惜しそうに小さく呟いた。 「――ぼくの血を飲んでくれたらいいのに」
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