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「林仲君と一緒に暮らしてるって聞いた。大学の時から仲良かったのは知ってるけど、2人はそういう関係なの?」
ハイチェアーに腰掛けたまま、静かに事の成り行きを見守っていた海人の顔を志織がすがる様な表情でじっと見る。
「僕と海里はそういう関係ではないですよ。2週間ほど仕事でこの街に滞在することになったので、海里の家に居候してるんです」
「居候?」
「はい。椛沢君と海里の仲を邪魔する気はありません。だから安心して下さい」
「その言葉、信じていいんですよね?」
「はい。志織さんと椛沢君が良き友人であるのと同じ様に、僕と海里も良き友人です。それ以上でもそれ以下でもありません」
海人の言う通り、海人と海里は良き友人だ。何か問題が起きた時、誰かに話を聞いて欲しい時——海里は海人に連絡する。海人は頼れる兄的存在だ。
海里にとっての海人が、一誠にとっての志織。それぞれは良き友人で恋愛感情など微塵もない。
「……じゃあ、俺、一誠に酷いこと言ってまで距離を置くことも、一誠への気持ちを押し殺すこともしなくて良かったって、こと?」
恐る恐る視線を向けると、志織が呆れた様子で息を吐く。
「そういうこと。一誠はあんなに真っ直ぐに愛情を伝えてくれてたのに、その気持ちに気付きもしないでバカげた噂話を信じるなんて本当にどうかしてる。鈍感なんて言葉じゃ足りないくらいだよ。高校の卒業式に海里への気持ちを整理しておいて良かったぁ」
志織はほっと胸を撫で下ろしている。妙に清々しいその表情に少しだけ複雑な気持ちになる。
「志織はもう俺のこと好きじゃないの?」
「好きじゃないよ。言ったでしょ。好きだったって。もう過去のことだよ。私、ラブラブな彼氏いるし♡
でも、今でも友達として海里のことが好き。一誠も海里も私の大切な友達。だから良い加減幸せになってくれない?長年見守り続けてる私の身にもなってよ」
「ごめん……」
「その言葉を言わなきゃいけないのは私じゃないよね。分かったらさっさと行く‼︎」
志織に身体を反転させられ、店のドアと対峙する。一誠と志織は恋人ではなく親友。そもそも、志織が好きだったのは一誠ではなくて自分。色々と頭の中がごちゃついているけれど、一つだけ確かに分かっていることがある。
「あの、明香さん。今日はもう上がっても」
良いですか?と言葉を紡ぐ前に視界の先で明香がぐっと親指を立てる。
「良いに決まってる。だって、もう就業時間だし。うちはホワイトな職場だから残業を強制したりしません」
いつの間にそうしたのか、明香の手中には壁掛け時計がある。時計の文字盤は確かに17時を指している。
「ありがとうございます。お先に失礼します」
「お疲れ様。気を付けて帰るんだよ」
穏やかなその声に背後を振り返ると、海里の荷物を抱えた勝喜が静かに微笑んでいた。
「海里。僕はいつでも海里の味方だよ。何があってもそれは変わらない。だから自分の信じた道をただ真っ直ぐに生きると良い」
「先生……。ありがとうございます」
深々と頭を下げてから、迷いのない足取りで星月夜のドアを開く。陽が傾きはじめた空がカラフルな色で辺りを照らし、通りに面した店舗の窓に乱反射している。なんだか、おとぎ話の世界に迷い込んでしまった様な不思議な感覚が湧き起こる。
抱えているバッグの中からスマホを取り出して、今、一番会いたい人の名前を画面上に表示する。
——会いたい。一誠に、会いたい。
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