171人が本棚に入れています
本棚に追加
エキストラ
デリバリーの軽食とフルーツ盛り合わせを持ってホールに入ると、一目で業界人と分かる客がいた。薄暗い店内でもキラキラと眩しい芸能人オーラが漂ってる。
(SNN5だ。いま何代目だったかな)
仕事帰りに見える中年男性二人と有名アイドルグループの女の子三人がボックス席にいた。席には母もついていた。恐らく上客だろう。他のホステスに目配せされたので、そのローテーブルに料理を並べた。
「あー待って、君が朔良くん、だよね。さっき、お母さんのミカちゃんに聞いたよ。サクラのバイトしてるんだって? 面白いね」
朔良が踵を返したところで上座にいる男に呼び止められた。比較的アットホームな店といっても、今までバイトの自分に声をかけてくる客などいなかった。男は朔良が元アイドル『ミカ』の子供というのも知っているらしい。
「もう水谷さんったら。面白いじゃなくて、危ないですよ。息子が変なことにばかり興味持ってるってお話で」
「えー危ないかな? 当ててあげようか、君の代行業社って、A社だろう」
唐突に悪の親玉みたいな表情を向けられた。
「……そう、です、が」
都内に限ったとしても代行業社は数えきれないほどある。それなのに男は、何故かあっさりと朔良の仕事先を言い当てた。
「前にエキストラで、そこ使ったことあるんだ。別に危ない会社じゃない。だからミカちゃんも安心していいよ」
そう言って男はウイスキーのグラスに口をつける。
日に焼けた肌、自信と生命力が全身から満ち溢れていた。会社に命じられなくても出世欲で二十四時間働けそうなビジネスマンの顔をしていた。適当に着ているが上等なスーツで、シャツの上からでも筋肉質な体型がよく分かった。同席しているのは今をときめく有名女性アイドルだし、芸能事務所の敏腕プロデューサーか、役員クラスだろう。
「で、君は、役者志望だったりするの?」
「えっと、僕は……劇団に、入りたくて」
「ふーん、どこよ?」
席を離れる機会を逃してしまい、その場で立ったまま会話を続けていた。
「『ステージ飛鳥』、です」
男に気圧され無意識に本音を言わされていた。自分は芸能人になれるような男じゃないと分かっているのに、まだ役者に未練があったらしい。
「じゃあ、落ちたんだ。あそこ今、入団試験中だろ?」
「違います……あ、いえ、今年は、出せてないです。えっと、僕は、これで」
「ふーん、待ってよ」
朔良がバックヤードに下がろうとしたところ、水谷と呼ばれた男に唐突に手首を握られた。まったく予想していなかった動作に驚いて体が硬直する。
「ねぇ、サクラのバイトしているならさ、うちの仕事してみない」
「僕が、ですか」
「もー水谷さん、酔ってるんですか? うちの子は芸能人じゃないですよ」
「んーだからだよ。今、急ぎで一人探してるんだよね。一般人で演技が出来る、若い男の子」
「あの、それはエキストラ……でしょうか。構いませんが、今、仕事してないですし」
「朔良っ」
目の端に映った母が、一瞬だけ厳しい躾をする親の顔をしていた。朔良は今日まで、そんな表情を母から向けられた経験がない。それは朔良が特別いい子だったからではなく、母が放任主義だからだ。
それに、この場で母は、元アイドルだった自分を売りにしている接客業のプロ。突然、普通の母親の顔が現れたので違和感を覚えた。
「今、君がしているのと同じサクラのバイトだよ。もちろんA社よりは、お金を出す。そうだなぁ……難しい役だから、それなりの報酬も別で用意しようか。――もし成功させてくれたら、俺が個人的にステージ飛鳥に口を利いてあげるよ。君に実力があれば、研修生からスタートできるんじゃない? どう? やる?」
「やる、やりたいです」
突然舞い込んできた好条件。二つ返事で受けていた。
「はい、じゃあ、これ」
朔良は、水谷から名刺を差し出された。
「もー朔良、そんな簡単に決めてはダメよ。あのね水谷さんは、ESKプロダクションの方で」
「へぇミカちゃんも、ちゃんと人の親なんだねぇ、でも過保護だよ。これは俺と朔良くんのビジネスの話だ。この子はチャンスを掴んだ。それを親が断るなんてナンセンスじゃない?」
ESKプロダクション、誰でも知っている大手芸能事務所の名前だった。もちろん朔良も知っていた。
「燻ってる人間っていうのは目を見れば分かる。俺は一瞬で、いけるって思った」
「燻ってるって」
「それは自分でも分かってるんじゃない? 俺は君を見て今回の仕事に適任だって思った、だから声をかけた。それだけだよ」
その瞬間、自分の中で、やる以外の選択肢がなくなっていた。
「母さん、僕、この仕事やるからね」
「おっ、いい目だ。男の子はそうでなくちゃ」
「朔良……でも、ねぇ」
さっき「なんでも好きにしたらいい」と言ったばかりなのに、母は、なぜか水谷から仕事を受けたのをよく思っていないらしい。思えば、初めて母に反発していた。
これも、一つの自立の形じゃないだろうか。
「なんだよぉーミカちゃん。俺が悪い大人に見える? 困ってる若人に仕事を斡旋してあげるいい人だろう?」
「芸能界のことは、身を持ってよく知っていますからね。心配もしますよ」
「俺の身元は確かだろう、悪いようにはしない」
「でも、いいようにもしない、じゃないですか」
「それは、本人次第ってやつだよ。うちに限った話じゃないな」
最後まで、危ないことに巻き込まれると、心配していた母だが、朔良が元々役者志望なのを知っていたからか、きちんと連絡をよこすことを条件に許してもらえた。
いままでラインひとつ送ったことがないのに、自立の段階になって、急に母が過保護になった気がした。
最初のコメントを投稿しよう!