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決断の時
優花はクローゼットでのパッキング作業が終わり、その場で座り込んだまま一息ついていた。
溢れ出た涙は、落ち着くように自らを律した事が幸をなし、既に引いていた。
これからの事を考えれば、悲しくもあり虚しくもある。
これから。優花は二日後には将悟の元を去る。
そして待っているのは、過ぎ去った独りよがりな恋の結末だ。
砕け散って泣く事を恐れ、その前に逃げ出すのだ。
だけどそうすることによって、時間の経過とともに虚しくも穏やかな日々が訪れるのだ。
振り返り、自分にもあんな優しい人と過ごした日々があったと。
たった1週間。
まだ以前の自分に戻れる。
そう考えると、やっと気持ちが落ち着いた。
生活の変化や環境の変化を受け入れる事が、元々苦手なタチだ。
ルーティンのように繰り返し安定した日々を送りたいタイプだと、自分ではそう理解している。そしてそうあるべきだと言い聞かせている。
だから、将悟とのイレギュラーな生活も『これからもある』とは受け入れない。
優花はゆっくりと立ち上がった。
踏み込んだ足は痛まない。
支えの為にチェアに右手をついてみたが、それも大丈夫だ。
『元に戻った』のだ。
もう少しで『夢』からは覚めなくては。
『愛される』かもしれない『夢』から。
キャリーケースを抱え、玄関先まで歩く。
これが、谷重邸に来て初めての歩行だ。
ここに来てから、将悟とこれ程離れた時間を過ごすのも初めてだった。
荷造りが終えて、キャリーケースを玄関先に置く。
キャリーケースの表面に傷が入っている。それをそっと撫でる。
まるで自分自身の傷のようだ。
しゃがんで撫でていると、目の前の扉がガチャリと開いた。
顔を上げると、沢山の荷物をエコバッグに入れて運び込む将悟が入ってきているところだった。
そしてその将悟は驚愕した表情を見せている。
「一人で動いて大丈夫なのか!?」
手にした荷物を投げ出すように框の上に置くと、オロオロと優花の元まで来る。
流れるかのような動きで素早く優花の側でしゃがみ込む。
体格の良い将悟が身を小さくして、優花の表情や足や手を見ている。
これ程までに心より心配してくれる人なんて、今までいなかった。
勿論両親は別だが。
元々優花は、今まで大きな病気も怪我もしたことは無かった。
それに加えしっかりした性格で、両親からの信頼も厚くさほど心配をかけることも無く育った。
だからこれ程までに、過保護にされた経験も無い。
将悟は、出掛ける時には少し怒ったようにしていたのに、既にその気配すらない。
その様子に、思わず優花は小さく笑ってしまう。
「…優花?…もう…痛みは無い?」
「…はい。大丈夫です。物凄く過保護にされてたおかげで。」
クスクス笑う優花を見て、将悟も少し安心したようだ。
「…妹さんがいたんですよね?妹さんにもこんな過保護なんですか?」
もしかしたら恋人にも。それは声に出さずに思う。
「…そんな訳ないだろ。…まぁ、妹…百花は俺や兄より強烈な保護者が着いてるけど…」
「…ご両親ですか?」
「…いや…薄井だ。」
予想外の人の名前に、優花はパチパチと瞬きをする。
何故他人のはずの“薄井さん“が妹の百花さんに対して“過保護“なのか。
「…まぁ、薄井と百花の事は、また…そのうちな。それより俺は誰彼なしにこんな世話は焼かないが?」
将悟はスっと立ち上がると、一度手放した荷物はそのままに、優花の手を取り立ち上がらせた。
「…ん、まぁ動きは良さそうか?…今日は…歩くならせめて俺の側にして。その方がまだ安心出来ていい」
やはり過保護だ。
『本当は明日まで歩かなくても良いのに』とブツブツ言っている。
「無理はしないので、買い物してきた荷物…」
将悟の手から自分の手を離そうし、将悟にそう言うが、途中で遮られた。
改めて優花の手を取り、将悟は『ダメだ』と言う。
首を振ると、ジッと優花を見た。
目力と言うのは『コレ』かと思わせる、将悟の目が優花の目線に合わせられた。
ドキッと心臓が跳ねる。
「…まだ日はあるだろ?…甘やかす。」
そう言うと、将悟の手が優花の左腰を抱いた。
「ひゃっ!?…しょ…将悟さんっ!!」
今までたいがい抱き上げられてきたのに、その大きな手で抱き寄せられると驚愕した。
しかし将悟は優花の躊躇いに構うことなく、ダイニングまで歩みを進める。
そして何時もの食事の席に優花を座らせた。
「…歩く時は、…少なくとも今日は俺と一緒。勝手に動いたら罰ゲーム。」
「…罰…ゲーム?」
将悟の言葉を繰り返した優花に、将悟はニコリと笑顔見せた。
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