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プレオープン
「今日でちょっと一段落だね。…私もそろそろお仕事探さなきゃ。」
中途半端な時期の就活だし、簡単には見つからないかもしれない。早めに活動しなきゃ。
そう思って将悟さんを見送る為に玄関先に向かいながら何気なく口にする。
「…えぇー…働くのかぁ…。…無理しなくて良いんだけどなぁ。俺、稼ぐよ?何なら資産運用もしてるし、気楽に、もっとメンタル充実してからにしたら?」
将悟さんは私を抱きしめながら言う。
あ、やっぱりコックさんだけの収入じゃないんだ。
マンションや生活レベルを見て、普通に納得する。
「でも健康体の大人が働かないのも…。大した足しにはならないかもしれないけど、働きたい」
抱き締められると、将悟さんの匂いに包まれてホンワカしてしまう。
「…ん〜…分かった…。とりあえず行ってくる。今日、気を付けて来いよ?…転けないように。」
過保護な恋人はそう言って出掛けて行った。
◇◇◇◇◇◇
今日はいよいよ『プレオープン』の日。
将悟さんが用意してくれた服に、装飾品。そして靴を履いてホテル・ザンビアンズ・アザリアへ。
お昼の時間帯で、私はデセールのみ。
夜に将悟さんがディナーを自宅で作ると張り切っているからだ。何て贅沢なんだろう。
今日は、本当はディナーのみの営業らしいけど、私とあと数名だけその前に招待を受けてるらしい。
招待客だけの営業だから、ラストも決まってて帰りも遅くないらしい。
ドキドキしながら、初めて一人でホテル・ザンビアンズ・アザリアを訪れた。こんな高級ホテル自体来るのが初めて。
思わず挙動不審になってしまう。
やっぱりオーベルジュ・ミュゲプレオープンの日だからなのか、ホテルのエントランスホールに足を踏み入れた時点でザワザワしている。
忙しそうなのに、今日の夜ディナー作ってもらって大丈夫なのか不安になりながらも足を進めていく。
フロントでお店の場所を聞こうかとも思ったけど、忙しそうだしすぐ分かるだろうと歩いていると、流石高級ホテル。
ベルアテンダントと思われる女性に声を掛けられる。
「本日は当ホテルにご来館頂き、誠にありがとうございます。何かお困りな事はございませんか?」
やはり挙動不審だったか。
ちょっと恥ずかしくなりながらも、オーベルジュ・ミュゲへ向かっていることを伝える。
「失礼ですが、“斉川優花様”でいらっしゃいますか?」
自分の名前を出され、かなりビックリしながらも返事する。
「スーシェフの谷重より承っております。…実は…、お迎えをする為にお待ちしておりました。お姿も伺っておりましたので、すぐ分かりました。ふふふっ」
ベルアテンダントの方の、楽しそうに笑う姿を見て“将悟さんが何を言っていたのか“凄く気になった。
そして過保護だ。
オーベルジュ・ミュゲはエントランスホールからはすぐで、あっという間に辿り着く。
出迎えが必要な距離でもない。ものすごく申し訳ない気分だ。
案内され、入口で二人で立っていると、コックコート姿の将悟さんがやって来た。
「無事に着いたな。…岸さん、ありがとう」
ベルアテンダントの方は岸さんというらしい。
「…はい。お役目完了デスね。…谷重さんが来るまで離れるなって言われてたんですよ?ふふふっ。そこまで言われる事なんて他のお客様にも無いです。なかなかの溺愛っぷりでビックリしてたんですけど、彼女さん見て納得です。ふふふっ」
「…岸さん…。」
将悟さんが気まずそうに彼女の名を呼ぶ。しかし岸さんの言葉は止まらなかった。
「…でも正解だったかも。エントランスホール…凄かったですよ?大注目。」
岸さんの言葉に、私は頭を捻る。
確かにザワついていたけど、何かあったかな?何か粗相したかしら。
「…そう。」
将悟さんは難しい顔をしている。
「…斉川様。ホテルにご来館の際には、谷重さんの安心の為にも最初に私に声をお掛け下さいね。他の男性には“そっぽ向いてプンッ“ですよ?ふふふっ」
楽しそうにそう言うと、岸さんは立ち去って行った。
「…え…っと…?」
「…自覚ねぇの?…ナンパされそうだったってよ。何人かに。」
「まさか!!…そんな訳ないじゃないですか。岸さん、ワザとそう言って将悟さんをからかっただけですよ」
私はケラケラ笑ってそう言ったけど、将悟さんはため息をついた。
「…とりあえず…、誰にも着いて行かなければ良いよ。飴貰っても行くなよ?」
「…子供じゃないんですから…」
「…微妙に不安なんだよなぁ。…まぁ、良い。せっかく着飾ってるんだし、はい、お手をどうぞ。」
そう言うと、将悟さんは肘を曲げ、腕を差し出してくる。エスコート仕様だ。
そっと手を乗せ、テーブルまで案内してもらう。椅子も引いてくれ、完全なるエスコート。
格調高い内装に、広々とした店内に並ぶテーブル。糊の効いたテーブルクロスは白く、セッティングされたテーブルコーディネートは品が良く目が捕われる。
普段見なかったコックコート姿も似合ってカッコイイ。
コックコートって白ばかりかと思っていたけど、将悟さんが身に着けているのは黒かった。
「コックコート…白くないんですねぇ」
「あぁ。ミュゲでは俺と“キュイジーヌ“だけ黒だな。」
身体にフィットしていて、鍛えてる身体が凄く分かる。
でも他の人は、襟元、袖口、そしてエプロンがグリーンで他は白のコックコートみたい。
そしてギャルソンの人はワイシャツに黒のベスト、金のネクタイ。
やっぱりフレンチレストランって感じだ。
将悟さんは私が座ったテーブルに、更なるテーブルセッティングをしていく。
ケーキスタンドが置かれ、いつの間にか用意されていたティーポットを手にした。そしてカップに紅茶が注がれる。
あれ?って思ったけど、将悟さんがギャルソン役までしてくれるらしい。
そして入れた紅茶に何故かお湯が足されてる。
不思議そうに見てる私に気付いたのか、将悟さんが私を見て笑った。
「お前、お茶の渋味苦手だろ?平均的な蒸らしだけど、お前にはちょっと長かった。」
「…飲めなくはないよ?…もう、何か…過保護…」
そう言う私に将悟さんは小さく声を出して笑う。
そして「美味く飲める方が良いだろ?」と楽しそうだ。
そして2段のケーキスタンドが普通と違う気がした。
上の段にケーキがあって、2段目にお花のドームが載ってた。
「将悟さん、お花が載ってるのね?綺麗。」
「ちょっとね。ま、ディナーもあるしガッツリこの時間に食べるのもなぁ、とも思って…」
ケーキはこの前作ってくれた新作のチョコレートケーキ。
ツヤツヤ輝いたケーキは相変わらず美味しそう。
そのケーキを将悟さんがお皿に移してくれた。
そしてお花のドーム。色んな色の生花で作られたカラフルなオールラウンド型。でも正面に洞窟の入口みたいに穴がある。
気になるけど、ケーキを勧められて食べ始める。
「名前、決まったんだよね?このケーキ」
「まぁね。“ クー・ド・フードル”。雷の一撃。」
そう言って、将悟さんは笑う。
でも私には雷の要素が分からない。でも美味しいは正義なので良いです。
モグモグ食べてる私にたまに話しかけながら、将悟さんは楽しそうにしてる。
そして食べ終わったお皿が横に避けられる。
「…優花…。あの花の穴、気を付けて手を入れてみて」
将悟さんが優しげに笑いながら言ってきた。
どうやら中に何かあるのかもしれない。
「…中?」
「そう。茎はそんなに飛び出してないとは思うけど、一応気を付けて手を入れろよ?」
言われるまま、そろっと手を入れる。すると指先に何かが当たる。ベルベットみたいな感触の小さな箱みたいな物。
ゆっくりそれを引っ張り出す。
真っ赤なベルベットのリングケース。
手にしたそれを見て、呆然としてしまう。
どう見てもリングケース。
そして数日前に私は将悟さんに『結婚しよう』と言われてる。
私が手にしたリングケースを将悟さんはヒョイっと取り上げ、パカッとおもむろに開けた。
するとリングケースの中にバラの花が咲いた。そしてその真ん中にキラキラ光るダイヤモンドのリングがあった。
私の横に立った将悟さんは、リングケースから指輪を抜き取り、そして私の指に嵌めた。
「…優花のご両親、いつ予定空くか聞いといて?」
指に嵌められた指輪を見ながらポーってしてた私は、『ん?』と止まった。
その私の様子に、将悟さんも『ん?』と動きを止める。
「…いや、ごめんなさい…。ちょっと…予想した言葉と違って…」
てっきりプロポーズされると思ったのだ。
それを将悟さんも分かったようで、小さく笑う。
「何回プロポーズさせる気だよ。まぁ、良いけど何回言っても。その代わりご褒美貰うからな?」
そう言うと、足元に将悟さんは跪いた。
私の指から指輪を外し、改めて手を取った。
「斉川優花さん。結婚して下さい。」
そして返事を待つ前に指輪を嵌める。
その様子に私は笑ってしまう。
「もう!…返事する暇もない〜。…はい。よろしくお願いします。」
「…YES以外聞く気ないし。待たないよ。」
そう言うと将悟さんは立ち上がって、私の顎をひょいと持ち上げ、あっという間にチュッとキスをした。
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