3 合同教室

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3 合同教室

「今日はやけにご機嫌じゃないか」  朝食の席に着いたメリベルは、後ろから両肩をポンと叩かれて勢いよく振り返った。 「お父様! よく後ろ姿で機嫌が良いって分かったわね! 大当たりよ」  白髪の混じった金髪でもまだまだ女性に人気のある父は、溶けてしまいそうな程の笑みを浮かべて頷いた。 「分かるさ、お母様譲りの美しい髪が今日は特に艶々と輝いていたからね。念入りに手入れをした証拠だろう。お母様の髪は私の髪とは違って、コシがあって艷やかで真っ直ぐにどこを指で梳いても滑らかったのだよ」 「さすがお父様。今日の体調も安定しているみたいね」  母親への愛情を判断基準に今日の体調が分かる親子も珍しいだろうが、我が家ではこれが普通だった。  メリベルは抑えられない笑みを浮かべたまま向かいに座る父親をじっと見つめた。 「お父様今日ね、とっても凄い授業があるのよ」 「ほう? どこかに出掛けるのかい?」 「いいえ学園の中よ」 「それじゃあ魔術の実践練習だろう?」 「違うわ。座学なの」  すると父親の眼光が眼鏡の奥で鋭くなった。 「まさかジャスパー殿下が関わる事かい?」 「正解! なんと今日は、剣術科と合同の歴史の授業なの」 「ほう、ソルナ学園では普通の授業もするようだな」 「学力が偏らないようにたまにそうした共通教科もあるそうなの。そもそも入学の条件が魔術と剣術の能力のみなのだから確かに必要よね」  メリベルは林檎の果実水を一気に喉へ押し流すと、勢いよく立ち上がった。 「行ってきます! 今日こそはなんとしてもジャスパー様とお話するんだから」 「待てメリベル、殿下とのご婚約はまだ公にしていいものではないぞ」 「分かっているわよ。生徒同士が会話をするだけですもの、目立ちやしないわ」  メリベルはすでに廊下に出ている。そして振り返って特大の母親の肖像画を見上げた。 「お母様! 行って参ります!」  中央の階段から左右に伸びた廊下の上には、美しいドレスを着た母親の右上半身の肖像画、左上半身の肖像画、続いて立ち姿の肖像画、更に後ろ姿の肖像画。止めに中央には真正面からの肖像画がでかでかと飾られている。メリベルはそんな母親の全ての肖像画に手を振ると、ジャスパーが待つ(?)学園へと向かった。 「メリベルうるさい」  学科に関係なく授業がある時は、講堂兼聖堂を使うらしい。確かに全ての生徒を収容出来る場所はここくらいなものだ。後は学科が違うジャスパーがどこに座るのかが分かれば、話し掛けに行く事も容易いはず。メリベルは全体を何度も見渡しながら、大好きな青い髪を探した。 「どうせ入学式みたいに誰がが大騒ぎするに決まっているってば」  シアは欠伸を噛み殺しながら袖をクイクイと引いてきた。 「なんでそんなに寝不足なの? 寮住まいなんだから朝はゆっくり眠れるでしょう?」 「むしろそれが遅刻を引き起こしているのよね。すぐそこに目的地があるという安心感が危険なのよ」  そう言いながらもう一度ふあ、と欠伸をした。  シアの実家があるガイアー男爵領は王都からかなり離れた場所にある。馬車で一週間も掛かる為、中等部を卒業して実家に帰ったシアと会えなかった理由はそこにあった。 「ジャスパー様はどこにいるのよッ!」  そう叫びながら両腕を伸ばした時だった。右拳の先に明らかに人の何か柔らかい部分がぶつかり、小さな呻き声が聞こえた。恐る恐る見上げた先にいたのは、ずっと探し求めていたジャスパー・オリオン、その人だった。 「……ジャ、ジャスパー大丈夫か?」  気遣うように肩に手を掛けた男子生徒が伸びをしたままのメリベルの手をさっと払ってくる。そして冷たく睨みつけてきた。 「故意か事故か、どう弁明する気だ」 「じ、事故よ! ジャスパー様大丈夫ですか!? どこにぶつかりました?」  するとジャスパーは何も言わず口を固く閉ざしたまま歩き出してしまった。 「ジャスパー様、お怪我は……」  遮られるようにその後ろを男子生徒が追い掛けた。  アイザックはすぐにジャスパーに追い着き、むしろ追い越さないような歩幅にするのに苦労した。 「……無理するなよ。そうやって歩いているのが奇跡なくらいなんだからさ」  さすがのアイザックも笑う気にはなれないらしい。自分の股間をちらっと見てから小さく身震いをした。 「何なのよあの人! メリベル腕は大丈夫?」 「私が悪いんだからいいの。授業が終わったらジャスパー様にちゃんと謝りに行かないと」 「そんな事より医務室に行こう?」 「大丈夫大丈夫! むしろ話すきっかけが出来て嬉しいくらい」  その瞬間、後ろの席から盛大な呆れ声が聞こえてきた。 「ジャスパー殿下もお気の毒よね、あんな風になりふり構わずに向かってくる人がいるんだもの。学園の中ではせめて平穏にお過ごしになりたいでしょうに」  クスクスと女生徒の声にメリベルは前を向いた。言い返してもただの言い合いになってしまう。そうすればジャスパーの所まで声が届いてしまうかもしれない。もうこれ以上恥ずかしい思いはしたくなかった。 「本日の授業は知っている生徒も多いと思うが、剣術科にしても魔術科にしてもいち国民として理解を深めるべき重要な歴史の授業だ。いいね?」  歴史の教師は一同をぐるりと見渡してから、手元に何やら書き込み始めた。こちらからは見えないが、剣術科の方がざわめき出した時、全員に見えるように宙に魔獣が現れた。暗い空に無数の魔獣が駆け抜けていく。かと思うと光が差した。  剣術科の生徒達は立ち上がりかけた腰を下げ、それでも警戒は解かずに頭上で繰り広げられている太古の争いを凝視している。メリベルは椅子に深々と座ると、ぼんやりと幾度となく見てきた光景に思いを馳せていた。魔術科の教師が作り出した教材の一つで、出来は人によって様々だが、歴史を目に見て分かりやすくした貴族の学校では初等科の頃から見ているものだった。 「創世記の時代、世界には魔素が満ち溢れていた。魔素を取り込んだ生き物は浄化する事が出来ずに苦しみながら息絶えるか、魔素に侵されて魔獣と化す。魔獣が大地に蔓延り、世界を混沌が覆っていた。そこに現れたソル神は混沌の世界に光を放ち、ルナ神は魔を引き取られ、世界を二つに分けられた。そこから多くの神々が生まれていく中、やがてソル神はある者に剣を与え、ルナ神はある者に魔術を与えた。それが国の始まりとされている」  貴族の子なら知っている内容だが、この授業をこの王立ソルナ学園で行う事に意味があった。ソル神の末裔が国王の先祖だという事をしっかりと教え込み、再確認させる。一方ルナ神は子を成さず、魔術を操る事のみを望んだと言い伝えられていた。だから国家の繁栄はソル神によって成されてきたという事を言いたいのだろう。 「これじゃあ剣術科の奴らが大きな顔をするわね」 「魔術を扱う者には皆“魔廻”と呼ばれる特殊な器官があるが、過去には剣術を極めながら魔術を操った騎士もいたという。誰か名前を知っている者はいるか?」 (今日みたいな日でも生徒に当てたりするのね) 「それでは魔術科のメリベル・アークトゥラス。答えなさい」  まさか自分に当たるとは思っていなかった為、ビクンッと体が跳ね、前の椅子を蹴ってしまった。 「イテッ」  当てられた事と声に二重に驚きあたふたとしていると、壇上から溜息が振ってくる。メリベルは急いで立ち上がるとちらりとシアを見た。シアの口がパクパクと動いている。その口の動きに合わせて見様見真似で言った。 「アップルパイ?」  どっと講堂内に笑い声が上がる。顔を隠すシアと、つい口にしてしまった恥ずかしさで一気に顔が熱くなった。 「不正解だ。他に分かる者はいるか?」  すっと真っ直ぐに手が上がる。そこには三列前に座っていたクレイシーだった。クレイシーは立って一礼すると涼やかな声で答えた。 「エルライです。エオス王国の五百年程前の剣士の名で、実際に存在していたという記述も残っております。エルライは剣術と魔術を操り、ソル神ルナ神に加護を受けた最初の戦士として語り継がれおります」 「補足もありがとう、素晴らしかったよクレイシー」  生徒の人数も多いからか、講堂だからだろうか。拍手喝采はしばらく続いた。 「おい、アップルパイちゃん」  講義が終わり、すっかり椅子の底に沈んでいたメリベルに声を掛けてきたのは妙に整った顔の男子生徒だった。からかわれた事にキッとその生徒を見ると、男子生徒はぶすっとした顔で上から覗き込んできた。 「尻が痛かったんだけど? 謝罪はねぇの?」 「え? あ! ごめんなさいッ! えっと、大丈夫だった?」 「……ブッ。もういいよ、あれくらいじゃなんともないって」そう言ってニカっと笑った。 「俺はマイロ、宜しくな」 「私は……」言いかけた時、視界の横を通り過ぎていく姿に勢いよく立ち上がった。 「ジャスパー様! 先程は申し訳ありませんでした。わざとじゃないんです。どこかにぶつかったようですが大丈夫でしたか?」  ジャスパーに寄ろうとした瞬間、常にジャスパーの側にいる男子生徒が間に割り込んできた。 「おい、勝手に声を掛けるのはやめろ」 「ジャスパー様にお声を掛けるのにあなたに許可が必要なの? そうなんですかジャスパー様」  ひょこんと覗くと、ジャスパーは特に表情を変えるでもなく首を振った。 「アイザック構わない。生徒との交流に制限は設けていないから警戒しなくても大丈夫だ。メリベル、先程は俺も前方不注意だったからもう気にしなくていいぞ」  すると僅かにアイザックと呼ばれた生徒は眼鏡の奥で目を見開いた。そして何も言わないままこちらを見てくる。そしてまたジャスパーを見てた。 「メリベル?」 「そうですが?」  アイザックはジャスパーに向かって言った言葉にメリベルが返事をし、更に驚いたようだった。 「メリべ……」  アイザックが何か言おうとした時、ジャスパーは歩き出してしまった。その後を追い掛けると、アイザックも後を着いてくる。 「ジャスパー様! これからお昼ですよね? 良かったらご一緒しませんか?」 「ご一緒しましょう! ぜひ!」  何故かアイザックが返事をしてくる。初対面の時とは打って変わって態度を変えた所を見るとジャスパーの婚約者“”という事は分かったらしい。という事はそれ程にこのアイザックという生徒は王子の近くにいるという事だった。  二人の婚約には箝口令が敷かれている。ある程度の者にしか名前は知らされていない為、王子に婚約者はいるが一体誰なのかという憶測が常に飛び交っていた。婚約に箝口令を敷いたのは他でもないメリベルの父、アークトゥラス侯爵だった。それは成約魔術を使っての箝口令の為、勝手に広まる事はないし、広める事も出来ない。だから本人が伝えた人までにしか伝わらなかった。 「すまないが食事中に確認したい仕事があるから今回は遠慮してくれ」 「それなら明日はどうです? 明日が駄目でもジャスパー様の都合の良い日があれば私が合わせます!」  するとぴたりと足が止まって振り向かれた。 「食事の時間はやる事があるんだ」 「……そうですよね。ごめんなさい私ったら。それじゃああまり無理をしないで下さいね」  その瞬間、横を颯爽と誰かが通り過ぎて行った。 「お久しぶりですジャスパー殿下」  柑橘系の爽やかな香りと共に前に横にクレイシーが立っていた。 「丁度良かった。先日の話なんだか答えは出たか?」 「お待たせし申し訳ございませんでした。父とも話をし、父からもぜひにとの事でございました」 「色好い返事が聞けて良かった。話もあるからこれから君も来てくれ」  二人はそう話しながら極自然に歩き出してしまった。アイザックが何かを言いたそうにこちらをちらりと見ながらもその後に続く。そして結局三人は仲良さそうに遠ざかって行ってしまった。 (何の話かしら。生徒会室だなんて……) 「ねえアップルパイちゃんって王子と知り合いなの? だとしてもあの態度は酷くない? いくら興味がないからって言ってもさ」  鋭いナイフでグサッと心臓を刺されたように苦しくなり椅子の背もたれに手を突くと、マイロが可笑しそうに笑った。 「そうだ、アップルパイちゃんも一緒にご飯食べようよ。さっき王子に断られてどうせ一人で食べるんでしょ」 「一人じゃないわ! シアと一緒なのでどうぞ他を当たってちょうだい!」 「ごめんメリベル、実は日直だからお昼休みは先生の手伝いをするように言われているの。今日の午後は初めての実習の日でしょ、訓練場の準備があるみたいなの」 「それじゃあお昼はどうするの? まさか抜き?」 「まさか! 軽く食べて向かうわ」 「それじゃあ私も……」 「よし決まりだな! 行こうぜ食堂!」  マイロが強引に腕を引っ張ってくる。その光景に周囲の生徒達は引いているのか、遠巻きにこちらを見てくる者達がいた。
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