桜が大嫌いなサクラさん

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

桜が大嫌いなサクラさん

 良く晴れた空に、心地良い温度と湿度。ソメイヨシノが満開になった四月のある日、私は婚約者の優孝(ゆたか)と大き目の公園にお花見に来ていた。 「あ~、やっぱいいなぁ、桜ってやつは。たったの一週間くらいで散る潔さも良い。サクラもそう思うだろう?」  そう振られて、私はドキッとする。 「そうね……。桜はすぐに散るものね。儚いものに心惹かれるのは、昔の人間でもそうだったはずだわ」  私は心にも無い事を言う。 「所でさ、新居の事なんだけど……」 「ん。どこか内見が出来そうないい物件が見付かった?」 「実はさ……」  もったいぶって優孝は言う。 「物件を買ったんだ」 「え!?」 「一軒家を買ったんだよ。サップラーイズ!! これからその新居にサクラを連れて行くよ。なかなか気に入ると思うよ?」  私はかなり動揺した。家を買ったって何? もう買ってしまったの? 私好みの壁紙や水回りの設計、そういうものも全部無視して買ってしまったの?  それだけで十分嫌な予感がした。  だけど、その家を見に行って嫌な予感は的中した。 「どう? この桜並木! 見事だろう?」  その家は、家の前の歩道が桜並木になっている物件だった。桜並木は五百メートルも続くという。 「毎年家の中からでもお花見が出来るぞ。最高だと思わない?」  優孝は嬉々としてはしゃいでいる。 「……最悪だわ」  私の心の声が駄々洩れた。 「最悪? 最悪ってどういう事だ?」  優孝が怪訝な顔をしてこちらを見つめる。 「最悪だって言ってるのよ。桜並木が目の前だなんて、葉が生い茂る夏場は洗濯物も外に出せないじゃない!」 「何を言ってるんだ? 晴れた日は外に出せるだろう?」 「出せないわよ!」 「だから何でだよ!」 「だって、がたかるじゃない!」 「奴ら!? 奴らってなんだよ!」 「虫よ!」 「虫ぃ!?」  私はここまで捲し立てると、涙を堪えきれなくなった。 「桜並木を通らなきゃいけない家なんて最悪。絶対に住みたくない。私、どうしても毛虫だけはダメなのよ! 何がなんでもダメなのよ! 昔桜の木の下で遊んでたら洋服に毛虫が付いちゃって、それ以来桜なんて大嫌いなの!!」  私の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。 「サクラ……そんなバカな。さっきまでお花見で楽しそうだったじゃないか!」 「それはあなたに無理矢理合わせていただけよ!」 「って名前なのに桜の木が嫌いだって言うのか!?」 「名前なんて関係ないでしょ! 桜なんて大っ嫌い! いっそ改名したいくらいだわ! それに、私の意見も聞かずに一軒家を建てるだなんてデリカシーが無さ過ぎるわよ!」 「そんな……俺は結婚の記念にサプライズをしたくて……」 「そんなの、こんなローンが何十年も続く買い物でしなくたっていいでしょう!?」 「……喜んで、くれないんだね……」 「最悪よ。本当に、最悪よ!」  私は優孝から目を逸らした。一刻も早くこの状況から逃げ出したかった。 「終わりだな、俺たち」 「そうね。何千万円もする買い物させて悪いけど、あなたが選んだ家だから」 「そうだな……。まさか、こんな終わり方をするとは思わなかったよ」 「今までありがとう。さようなら」  そうして、私たちは婚約を解消した。  この時の事を女友達に話したら、「パートナーの意見も聞かないで家を建てるなんてありえない」と言ってもらえた。友達の優しさが身に染みた。  その後、私はマッチングアプリに登録をしてみた。ペンネームは『サクラ』だったが、プロフィールに『名前はサクラだけど桜の木が嫌いです』と書いてみた。そうしたら、それが面白いって言ってくれた男性とマッチしてリアルで会う事になった。  彼は、心司(しんじ)さんは、心を司るって名前に負けないくらいに優しくて穏やかな人だった。そして、何をする時も私の意見をきちんと聞いてくれる人だった。  優孝との別れから一年後、桜の季節に私たちは結婚した。  彼は、毛虫がどうしても苦手な私のために、庭付き一戸建てではなくマンションを選んでくれた。そんな細やかな配慮がとても嬉しい。  今年の桜は遠巻きに屋形船から見た。遠くから見る分にはとても美しいのだ。  私が桜の木を好きになる事は無いだろう。でも、心司さんと、これから増えるであろう家族と遠巻きに見るお花見なら悪くはないかもしれない。  あの日の恋は、桜の花びらと共に散った。でも、私は今、長年生えている桜の木のように、根をしっかりと張った愛に満ち溢れている。  どうか、この愛しい家族が散りませんように。永く続きますように。ずっと、穏やかに笑っていられますように。  春の青空に、私はそう祈るのだ。 ────了
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!