第17話

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第17話

 一体なんだろう、と思って想定していたものとは見当違いなセリフだったので、二葉はしばし言葉を失った。そして、次に湧いて出たのは疑問だ。 「ど、どうして、そう思うの?」 「佳苗さんの二葉って名前とおそろいで、お父さんの名前は二鷹って言うんやろ」  アッキーとともに参加したフリーマーケットでの会話である。たしかにユウは二葉の父の名前を聞いてなぜだか眉をひそめていたような気がする。 「珍しい名前やからあんまりないやろ思うし……。前に、僕が最初に編み物をしたときのこと話したやんか。茉莉から逃げたら、知らん人に編み物を教えてもろたって。その人の名前が二鷹やった。てっきりずっと名字やと思っとったけど……」  佳苗さんのときと反対やわ、とユウは少しだけ恥ずかしそうにそっぽを向いた。名前を尋ねて、下の名前だけを伝える。たしかに父なら有り得そうだと思ったが、まさかと考えてしまう。けれど中学一年生のときに引っ越してきたと以前にユウは話していた。二葉がこの街にいたのは中学二年生までだ。  編み物を知らない大人に教えてもらったとユウは言っていたが、てっきり女性だと思っていた。でもそんなの偏見だ。好きなものは誰が好きでもいいのだから。 「二鷹さんには、何度か会って、色々教えてもろた。でも、一年経ったくらいでいつもの場所に行ってもおらへんくなって……亡くならはってたなんて、思いもせんかった」  ユウは部活をしていなかったと言っていたから、その時間なのだろうか。  逆に二葉は中学に入って部活動に入部したから、その時間に父がどこで、何をしていたかなんて知らない。 「前に、僕に編み物を教えてくれた人が言うとったって伝えたやろ。『作りたいときに作りたいものを作る。これが、いっちばん幸せなこと』やて。これには続きがあんねん。『できたものを、渡したい人が受け取って、喜んでくれるならそれが一番嬉しい』。僕は、僕のために作るからよくわからへんかったけど」  今なら、ちょっとだけ気持ちがわかるかもしれん。と小さな声で呟く。 「二鷹さんにはお嬢さんがおって、自分が作ったものをこっそり喜んでくれとるとも言うとったよ。今作ってるもんは秘密で、驚かせたいから家の中じゃ作らへんねんって。でも使わへんかもしれへんし、そんときはテーブルクロスにしよとかアホなこと言うとったから、豪華すぎやんってつっこんでもうたわ」  けらけらと笑っている父の顔が思い浮かんだ。 「やから、作らなあかんよ。ちゃんと完成せぇへんかったら、佳苗さんが受け取られへん。佳苗さんがきちんと受け取るために、最後まで作るんや。大丈夫。編み物はもとは糸でできとるんやから。失敗したら何度だってほどいて、やり直したらええねん」  ――趣味をする時間は楽しい。けれど、苦しさもある。  自分が作りたいから作る。誰かを喜ばせたくて作る。時間を忘れたくて作る。知りたくて作る……。色んな楽しみ方や、考え方があるのだろう。  二葉が公園でユウと話したのはたったの一時間足らずだった。もっと長い時間を話していたような気がした。一緒にアパートにまで帰って、隣同士の扉の前に立つのはなんだか変な気分だった。ありがとう、とユウには声をかけたけれど、二葉の結論はまだ伝えていない。  ダイニングの椅子に座りながら、じっと考えた。 「よしっ!」  もう夜も遅い。明日は土曜日だ。時間なんていくらあっても足りない。だから、もたもたなんてしてられない。  二葉がベッドの中に入ったのは、そのすぐ後のことだ。  翌日、カーテン越しの明るい光の中で目を覚ました。早めに寝たので、すっきりとした目覚めだった。飛び起きて、しゃっとカーテンを開いた。いい天気だった。 「ええっと、まずは編み図を読み込まないと……。細かい……絶対にこれ、編み図を書くだけでものすごい手間がかかってる……」  二葉もコースターを作る際に簡易なものを紙に書いたが、その数倍どころか数十倍の細かさだ。同じパターンが繰り返されるところは省略されていたが、それでもA4用紙の中にびっちりと書き込まれている。  一瞬、意識が遠のいたが、自室のリビングの折りたたみ式の低いテーブルの上に紙を置いてじっくりと読んだ。細かくはあるが立体ではなく平面なので、なんとか二葉にも理解できる。これがモチーフと呼ばれる形同士を一枚一枚糸で組み合わるタイプならばあまりの複雑さに詰んでいたが、一枚続きの半円形になっているタイプだ。全てがかぎ針編みだと重たくなってしまうからか、市販のレースだと二葉が思ったところは棒針で作られているようだ。どれだけ手間がかかっているのだろう、と改めて呆気にとられてしまった。  編み図を見たところ、残りはエジングを呼ばれる周囲の部分のみのようだ。残りの材料も十分にあるため、ほっとしつつ編んでみたのだが、父が作った部分と二葉が作る部分が、なぜか違う。二葉が作ったところはへちゃくちゃに潰れてしまっている。 「なんで……ど、どうして……?」  台無しにしてしまった、と思わず泣きたいような気持ちで焦ってしまったが、ユウの言葉を思い出した。編み物は、何度だってやり直せる。そうだ、まずはゆっくりと糸をほどいて、もう一度すればいい。  今度は落ち着いて、ようく、編目を見て。  あっ、と気づいた。力の入れ具合が違うのだ。 「どうしよう……こういうとき、どうしたら」  今度の【自由時間】に、ユウに相談しようか。ユウなら、きっと一緒に考えてくれる。でも、と首を横に振る。このレース編みはどうしても一人で仕上げたかった。みんなと一緒に、コーヒーを飲んでゆったりと編み物をする時間は楽しい。  けれど、一人で作る今も楽しい。  ――手芸をしているときは誰しも一人きりです。自身の作品に向かい合うことができるのは、自分自身しかいませんもの。  辛くても、楽しくても、自分の指を動かすのは、自分しかいない。 (『作りたいときに作りたいものを作る。これが、いっちばん幸せなこと』)  気づいたら、服を着替えて、財布を持って飛び出していた。  自転車に乗ってやってきたのは本屋だった。今までは気づかなかったが、編み物コーナー以外にもずらりと手芸についての色んな本が並んでいる。その他にも刺繍や色鉛筆、ガラスペンの書き方や縫い物など様々な本が本棚には差し込まれていた。趣味を楽しむ人が多いんだな、と思うとなんだか嬉しかった。  しかしここで困ったことになった。以前にここで本を買ったときに棒針とかぎ針の本を間違えてしまったのだ。多少は知識がついたとはいえ、また同じ過ちをしかねない。それでもうっとりとするような可愛いデザインが書かれた本もいくつか見つけたので、何冊か引き抜いてお会計をした。落ち着いたら、新しいものを作ろう。  次に二葉が向かったのは図書館だった。本屋では長く立ち読みするわけにはいかないので、それならじっくり腰をすえることができる場所を目指したのだ。寄ってみるだけ寄ってみよう、と考えていただけなのに、これが意外なことに大当たりだった。ほとんど足を踏み入れたことのなかった手芸コーナーには本棚一つ分ほど、ずらりと編み物の本が入っている。  初心者用の編み方の説明本もあったが、多くはテーマに沿った編み物本だ。服、マフラー、夏小物、レース編み、エジング、座布団、エコたわし、あみぐるみ……。もちろん出版社や作者が違うために同じテーマのものも複数ある。あみぐるみなんて人気なようで、ネコや犬だけを集めたものから、鳥や怪獣、細い糸(刺繍糸)で作るリアル系まで。自由すぎて、本当になんでも作ることができるのだな、と驚くしかない。  各テーマの本の中にも巻末には作り方や解説が書かれているものが多いようだ。その中でもかぎ針の初心者用の本を確認し、読み物専用の机へ移動する。図書館には壁際に長い板のような机があり、各場所に椅子が設置されていた。その中の一つに腰掛け、よくある質問、と書かれている箇所をじっくりと読み込んだ。  自宅でスマホでも調べることができるように思ったが、二葉はそもそも知識が足りない。そんなときは本を読むに限る。会社でも新人のときは上司に許可を得て規則集を持ち帰り、家で時間をかけて読んだものだ。そうすることで意外と関係のない場所も後々で自分を助ける手助けになるときがある。 「……これだ」  思わず口から囁くような声が漏れ出た。【編み図通りに編んでいるのに、どうしてもその通りにできないときは?】答え部分を確認する。【手の力を変えてみましょう。力を入れすぎていると、ぎゅっと糸が引っ張られるために編み図と大きさが異なってしまいます】  今まで二葉が作ったものは、エコたわしやあみぐるみ、コースターと、むしろきゅっと糸が引っ張ってある方がしっかりとした見栄えになるものばかりだった。でも今回は肌に身につけるものだ。使う用途が違えば、目の作り方も違うんだ……と、驚く。  その他にも、レース糸は長期で置いておくと変色する可能性もあることも書かれていた。原因は手の皮脂の汚れがあげられている。もともと触るときはなるべく手を洗ってから汚れをつけないように気をつけていたが、絶対ではない。どうしようと考えて後で100均にも寄ろうと考えた。作るときはコットンの手袋をしたらどうだろう。どちらにせよ、作り終わったら水通しをしなければ糸は落ち着かないらしい。色々と読んでみてよかった、とほっとする。  司書の方にお願いをして図書カードを作り、さらにめぼしい本をいくつか借りて二葉は帰宅した。  お昼ごはんはハンバーガーだ。たまにはこんな日もいいかな、と持ち帰った紙袋をダイニングテーブルに置き、ちょっと遅めのごはんにいただきます、と手を合わせる。  食べ終わって、片付けをしたらまた再開だ。 「力を入れないようにって、どれくらいなのかわからない……」  レース針を持ちながら、唸る。ここで裏技の発動だ。本にはどうしても手の力が強くなってしまう人は、使うあみ針を少し大きなものにしましょう、と書いてあった。そうすると編目が緩くなるので丁度よくなるらしい。逆に、手の力が弱い人は少し小さなかぎ針を使えばいいということだ。  父が使っていたレース針はたくさん使い込まれていたから、持ち手の部分が擦れて大きさを表す数字が読めなくなっている。持っていたレース針の大きさを確認し、反対のかぎ部分を確認した。父が持っていたレース針は両端に大きさが違うかぎがついているタイプだ。  ひっくり返して、えいやと続きを編んでみた。さっきよりも編みにくいが、その分慎重にできる。一つ、模様が完成した。二葉が作った箇所と、父が作った箇所。どこからかの差がわからないくらいに、しっかりとできている。 「……よかった」  ほっとしたと同時に、胸がぎゅっと掴まれた。  なぜだか少し、泣きたいような気分だった。 (お父さんも、こうして作ってたんだなぁ……)  たくさんの時間をかけて、一針ひとはりを編んで。 「……こんな、すごいレース編み、テーブルクロスになんてできるわけないじゃん。形だって、正方形じゃないし」  少しだけ視界がにじむのに、声は勝手に笑ってしまう。  すう、とゆっくりと息を吸い込み、背筋を正した。まだまだ、たっぷりと時間はある。けれど、時間なんてあっという間に過ぎてく。こちこちと動く時計の針と一緒に流れる時間を編むように、指を動かしていく。  ***  こち、こち、こち……。  時計の針が動く音にはた、と顔を上げたのは頬にはほくろが一つある青年だった。 「おにいちゃーん、夕ご飯。何食べる?」 「おう……」 「聞いてる? 生返事? また編み物? 編み物ばーか」  少女の険のある声のわりには、「できたらちゃんと見せてよね」と食いつきがいいのはいつものことなので、無視をする。それからぼんやりと、隣の部屋の壁を見た。 「何してんの?」  おう、と口から滑り出るのはやっぱり生返事だ。 (佳苗さん、どうしてるんやろうな……)  けしかけたのは自分だ。けれど、選ぶのは彼女だ。 「ちょっと、夕ご飯。どうするの!? どっちが作るのー!?」 「おうおう。吠えとる吠えとる。僕が作るわ。もうちょい待ち」  足を組みながらついつい、とかぎ針を動かす。  糸が少しずつ形になっていく、この時間がユウは好きだ。  しかしいつもは無心で指を動かすのに、今日はふとしたときに違うことも考えてしまう。 (もし、やけど。佳苗さんもおんなじようなことをしとったら、なんや、楽しいなあ)  そうした後で、アホやな、と小さな声で呟いた。 「お兄ちゃん、もうちょいってどれくらいよ! お腹が減ったんですけど!? 私が自分の分だけさっさと作っちゃいますけど!?」 「もうちょいったらもうちょいや。たまにはお前も落ち着いて、まったりゆっくり生きたらええよて」
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