第14話

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第14話

 公園につくと、もうすでに広場には青いビニールシートがちらほらと広がっている。まずは運営にいる人に声をかけ名前と参加証を見せ、出品場所を教えてもらう。荷物は駐車場に停めている車の中においてあるので、三人で協力して移動させた。物を売るからには、もちろん値段も必要である。事前にアッキーからアドバイスを貰っていたので、値札に値段を書き、シートの上に出品物を並べていく。 「ユウさん、それ、お値段安すぎないかな?」 「あたしもそう思うわ。この座布団とかブランケットとか、ものすっごく手が込んでて素敵なのに」 「あー。別にもうけるためにするわけちゃうからなぁ……材料費くらいでええかって思ったんやけど」 「それにしたって、もうちょっと値上げした方がいいわよ。あと数字、百円単位の方がお会計のときに楽よ?」 「そんなにお客さんも来うへんやろ。でも値段か……家で書いてきてもうたからな……」 「ユウさん、ペンと紙。私、余分持ってるよ」 「あ、すまんな。借りるわ。ありがとうな」  ユウは唸りつつも、やっぱり悩んでいるようで、ほんの少しだけ値上げした。ただ出品物の全てを百円単位にすることはできなかったようだが。 「あんまり細かいとお釣りが大変になるのよね。一応、私も釣り銭は準備してるけど」 「あっ。私も持ってきました!」 「僕も持ってきたけど、じゃらりと出るやん……佳苗さんの荷物が重かった理由はそれなんか」 「はい! 貯めてた小銭貯金です! 枚数も一応まとめてます」 「多いにこしたことはないわよね、ありがとう。持ってきた数を数えてメモしときましょ」  事前に何度も確認したにもかかわらず、あれがないこれがない……と騒ぎつつも、なんとか準備を終えることができた。ハンドメイドエリアの出品ということで、運営から折りたたみの長方形のテーブルも一つ借りることができた。主にそちらは小さなアクセサリーが多いアッキーが使うことになった。  二葉とユウのブルーシートの上には、ぎっしりと編み物が並んでいる。セーター、マフラーといった大物もあるが、多くは小さな小物たちだ。アクリルの毛糸でざっくりと編まれたカラフルのカゴの中にはあみぐるみたちや、花のコサージュが。クリーム色のレース糸で丁寧に編まれたテーブルマットの上にはポーチや巾着、バッグが並んでいる。もうなんでも有りな状態だ。 「すごいね」 「使わへんのに編み図を思いついたら作りたくなるんや。編みラーの性やで」 「編みラーって編み物を好きな人のこと?」 「せや。でも僕が適当に言っただけや。……佳苗さんも持ってきてくれたんやな」  そう言って、ユウが指さしたのはひっそりと置かれた桜のコースターだ。どきっとしつつも、ちょっとだけ照れてしまった。うん、と小さな声で頷く。 「売れたらええな」 「……うん! そうだね」  今度は、もう少し大きな声で返事ができた。できた店の前で二人で立ちながらの会話だった。隣に立つユウを見上げると、彼もこっちを見て微笑んでいて、頬についたほくろまでにっこりと笑っているような気がする。  思わず、佳苗も同じように口元を緩ませた。 「あなたたち。ほのぼのしてる場合じゃないかもしれないわよ……」  そんな空気に割って入ったのは、もちろんアッキーである。そして彼が二葉たちに伝えたいことは、二葉もユウも心の底ではなんとなく気づいてはいた。むしろ見ないようにしていた。  二葉たちの周りにも、どんどんブルーシートが引かれていく。つまり、売る側の参加者がどんどん、ずんずん増えていく。これだけ出品される店が多いのなら……、と想像して二葉はごくりと唾を呑んだ。 「あの、こ、こぢんまりとしたフリーマーケットじゃなかったんですか?」 「去年はそのはずだったんだけど、なんでかしら。たしかに広さのわりにはブースの数が少ないわよねぇって思ってたんだけど……あ、ああ!」  周囲をおろおろと見回しつつ二葉が尋ねると、片手でスマホの画面を持っていたアッキーが、反対の手でついついと画面を触りつつ大声を上げたので、思わずびっくりと跳ねてしまった。 「公式のSNSが、ものすごい数のRTをされてる……。去年は初めてってことで出品側の人数の制限をしてたみたい。でも今年は宣伝にも力を入れているのね、お昼からは公園内の別の場所でライブもするみたいだけど、ゲストがすごく有名な方だわ」 「ひ、ひいい……じゃ、じゃあ、ちょっと早めに来た方とか、ライブを目的に来た方が、こっちに流れてくるという可能性も……」 「十分にありえるわね」  ぐわっと意識が遠くなった。思わずふらついたところをユウが片手で受け止めてくれた。 「出品側が多くても、フリマの客が多いかどうかはわからんわ。広い公園やし、多分ライブもずっと向こう側やろ」  冷静な意見だ。二葉はアッキーと一緒にスマホを覗き込み、再度情報を確認した。たしかにユウの話通り、今いる二葉たちがいる場所とライブ会場は反対側に位置していた。公園には有料、無料の駐車場が二箇所あるが、ライブ会場は有料の駐車場の近くと離れている。混雑の影響も考えられているのかもしれない。 「それに、もし客が多いんやとしても結局僕らがすることは変わらへんやん。来る人に売って、渡してってだけやろ。別にびびる必要なんてなんもないわ」  たしかに、と冷静な意見に二葉は頷く。さすが、営業をしているだけあっていざというときの度胸があると感動した。「そうよね、そうよね」とアッキーがぎゅっと拳を握っている。二葉も心の中で同じポーズをする。 (あくまでも、私はお手伝いなんだから。でも、頼りにしてると言われたんだから、がんばってみよう……!)  そんな二葉の決心も虚しく、二葉はただただ石のように固まっていた。 「あらあ、これ素敵ねぇ。孫がきたときにお昼寝用のブランケットとして使わせてあげたいわ。でもお手入れが大変そう」 「大丈夫ですよ。こちらの糸はアクリルも混じっていて洗濯しても伸び縮みし辛いのが特徴ですから。肌を傷つけないほどに柔らかいので生まれたてのお子様でも安心してお使いいただけますよ」 「あらそうなの! じゃあやっぱり、買っちゃおうかしら、ううん、買っちゃう!」 「うわー、このイヤリング、すっごく可愛い。もしかして本物の花びらを使ってる感じ? めっちゃすごー」 「そうなのよー! 本物っぽさをなくさないようにコーティングしすぎないのがポイント! あとお姉さん、青がすーっごく似合いそう。あたしならこれ、おすすめしちゃうな? よかったら鏡に合わせてみてね」 「わあ。ちょっと大人っぽいすぎかなーって思ってたけど、こうして見たらいい感じだね、買っちゃうよ!」  先程からこんな会話が繰り返されているのだ。いつもはぼんやりマイペースなユウでさえも、敬語となるとすらすらと言葉が出ている。この人誰、と問いかけたい。  いつも明るいアッキーが接客上手ということは想像がついたが、話さなければ金髪ピアスなガタイのいい男性だ。こういった場所では忌避されるのでは……とこっそり考えていたが、そんなことはない。ユウの顔の良さで感覚がおかしくなっていたことと、いつものオネエ口調で霞んでいたが、彼も結構な男前である。イケメン二人の店員を前にして、お客はどんどん溢れる。溢れる。溢れてくる。  もちろん二葉も後方でいそいそと値札を取ったり、商品を並べたりと手伝いはしたが、こんなきらびやかな人たちを前にして自分などなんの意味があるというのだろう、と消え去りたい。しかし昼が近づくにつれてどんどんと客が増えてくる。あっちから、こっちからとひっきりなしに声が聞こえる。「お兄さん、ねえちょっと!」「待った私が先よ」「ねえ、おつりってあるかしら?」「ああん、こっちだったら!」  どう考えても対応が追いつかずにパンクしていた。  そう思ったとき、すうっと二葉は息を吸い込んだ。持っていた鞄の底にがばりと腕を突っ込む。 「ユウさん!」 「は、え、はっ。ど、どうしたんや佳苗さん!?」  あわや一瞬即発の揉み合いがお客の中で始まりそうになったとき、二葉は電卓を突き出し、カッと叫んだ。 「お会計は、全部私が担当するから! アッキーさんも、ユウさんと一緒に接客に注力してください!」 「お、おう!」 「わかったわー!」  そこから先は怒涛だった。ライブが始まる昼過ぎにはブルーシートとテーブルの上のものはすっからかんになっており、二葉たち三人はぐったりとシートの上に座り込んだ。 「すごかったわ、佳苗ちゃん、すごかったわ、電卓を打つ指速すぎじゃない……?」 「やから佳苗さんは誘ってよかったやろ? 計算ならスマホで十分やと思っとったのに僕も全然あかんかったわ」  あとアッキーが言う通りに、商品は百円単位にしとったらよかった、とユウはがっくりとうなだれている。 「昨日、ちゃんと準備しなきゃと思い直して念のため持ってきていたので……。あとキーボードのテンキーの並びは電卓と同じなので、ちょっと得意なんです」  入社当初はこんなことはできなかったはずなのに、気づいたら自分でもそうだとわかるくらいに速くなっていたので、ちょっと恥ずかしいのに嬉しくなる。 「そこだけじゃないわよぉ。お客さんがこれって言ったときにはいつの間にか商品の準備ができてるし! あたしなんて小さいアクセサリーだから梱包しなきゃいけなくて大変なのに……!」 「アッキー。僕とか営業は契約とってきたらええだけやけど、最終的に書類の精査は総務部の人たちがしてくれてんねや。そんで佳苗さんが一番間違いが少ないから、営業部の奴らが列をなしとるねん。……そんだけ仕事があっても、ノー残業デーにはちゃんと【自由時間】にくる子やねんぞ」 「【自由時間】には絶対に行きたいので……」  ありがたくも褒められているようなので、二葉は照れつつにこりと微笑むしかない。 「本当に、本当に助かったわ! ユウくんもありがとうね。そうだ、もうお昼だわ、屋台も出てるみたいだし何か買ってくるから二人とも休憩しておいて!」 「そんな、アッキーさんも疲れてるのに」 「お礼もしてないだから、これくらい行かせてちょうだいっ! 今日はあたしに奢らせてぇー!」  奢らせてぇー、おごらせてぇー……と、こだまのように声を響かせアッキーは消えていった。 「もうしょうがないわ。待つしかないで。向こうの気持ちに甘えとこ」 「そうだね……」  二葉は起こしかけたお尻をビニールシートの上にくっつけ、ごそごそと三角座りをする。いつの間にか三月になり、ほかほかと暖かな陽光が降り注いだ。  ライブは昼からということだからお客の数は随分減ったが、それでもまだ人足が絶えない。ブルーシートの上を空っぽにして店じまいをしているブースもあるが、それほど多くはないのでよく売れた方なのだろう。はーっとため息をついて、ユウは足を投げ出して座っていた。 「……売れてたな。佳苗さんのコースターも」  ちらり、と視線を向けられる。ほんの少しの間をあけて、「……うん!」と大きな声で返事をした。自分の膝の上にこてりと頭を載せて、緩む頬をなんとか抑えようと必死になってしまう。  やってきたのは小さな女の子だった。これ、ほしいなあお母さん。そう言って母親の手を引っ張りながら声をかけて、お小遣いで買うならいいよ、と返答をもらっていた。そしたら、ぱあっと顔を明るくさせ、お財布の口をぱちん、とあけて、『お姉ちゃん、これちょうだい!』と愛らしい顔を見せてくれた。 「にやにやしとるで」 「……わかる?」  困ったなぁ、と自分の口元をむん、と指で掴んだ。何度思い出しても嬉しくなる。 「来てよかったやんか」 「うん。楽しかった」 「でも、しばらくは僕は勘弁やな。売りたいために作っとるんちゃうし、あと忙しすぎてたまらへん。こんなん仕事だけで十分や」 「同感かも。趣味をお仕事にしているアッキーさんはすごいね」  それはそれで、大変なことも多いのだろう。せやな、とユウは肯定して、そこで会話は一旦中断した。 「はー……」  見上げると、空は雲一つない真っ青で、ざわつく人の声がアンバランスでなんだか面白い。かしゃかしゃしたブルーシートの感覚は少しだけ気持ち幼くなっていくような気分だ。  ユウは準備していたペットボトルからちびちびとお茶を飲んでいる。そして、「あれ」と目の前を指さした。 「綺麗やな、ミモザ」 「チラシの写真にも写ってたね」  公園には大きなミモザの木が生えていた。鮮やかな黄色く丸い花がずっしり咲き誇り、枝が重たげに頭を下げて、わさわさと揺れている。木の下では子供たちが楽しそうに駆け回っている。鬼ごっこだろうか?  いつ見ても綺麗だなあと思うのだろうけれど、こんないい天気の日に見るのはまた格別だ。 「こないだ花を作ったやろ? 桜のやつな。まだ僕の中でブームが燃え続けてるねん。次はミモザにしよかな。楽しそうや」 「あ、編むの? というか、ミモザって編めるの? 丸くてころころしててたくさんあるけど!?」 「いけるやろ。こうなぁ、まずは鎖編みで長めにするやろ、そんでそれを引き抜き編みして丸い粒をいっぱい作ってな? さすがに太い糸やとごっつくなるからレース糸とか刺繍糸みたいな細いので編んだ方がええやろうけど」  ユウはいつの間にかあぐらをかいて座っていて、ついついと両手を動かしている。イメージの中で編んでいるらしい。 「ああ、かぎ針持ってきたらよかったなあ。でもこういうとこで編むのはあんまあかんな。我慢できへんくなりそうやから、逆に持ってこうへんで良かったわ。でもなあ、編みかけのやつがまだあるしなあ。途中のとこで止めたらそのままになってまうから、あかんねんよ……」  とじ針を貸してくれたときにも、同じことを言っていた。その言葉が、佳苗の胸の中をちくりと刺す。 「……ねえユウさん、例えばなんだけど」 「おん?」 「例えばね、その、ユウさんが作りかけで放置してしまってる編み物を、私とか、ううん、私じゃなくても他の人が勝手に完成させちゃったらどう思う?」  止めたらそのままになってしまう、と言っているくらいだから出来上がったら嬉しいかもしれない。少しの期待を込めて問いかけると、ユウは形のいい眉をひそめて、じいっと考えた。 「め」そしてぽつり、と声を出して、「……めっちゃくちゃ、腹立つやろな。ほんまに許さへんやつやでそれ。僕が作ったもんは、僕だけのもんや。どんだけ放置しとるやつでも、他の人に触られるなんて考えられへん」  本気の声である。想像してしまったらしく二葉を下から窺うようにちらりと顔を向け、ものすごく憤慨していた。 「そうだよね。私もそう思う」 「一体なんやの?」  最近の悩み事だ。なんでもない、と伝えて、ふう、と二葉は息をついた。そのままゆっくりと空を見上げた。青くて、やっぱり綺麗だ。 「私も、次は何を作ろうかなぁ」 「なんや。佳苗さんも立派な編みラーやな。僕と一緒にお花畑でも作ろか? レース糸より刺繍糸の方が細いからな、細かいのができて楽しいで」 「うん。どんどん沼にハマってるような気がする。刺繍糸かぁ。そこまでする自信はないけど、お花はいいな。かぎ針で作った花をリースにつけて飾ってもいいよね」 「それええな。やっぱ『佳苗さん』やもんな。花でもなんでも似合うわ」 「えっ、どういう意味?」 「佳苗さんの名前は佳苗二葉さんやろ。芽が出て苗ができて、そっからお花とか、木とか、大きくなるって意味やないん?」  首を傾げるユウの言葉に驚いてしまった。自然と口から笑みがこぼれて、「違う違う」と笑いながら首を振る。 「そんな深い意味じゃないの。うちの親、単純だったみたい。お父さんは次男坊で、二鷹(にたか)って名前なの。ちなみに妹さんは鳩美さんで、鳥でおそろい。それで私とも二を入れておそろいにしたってだけ」  でももしかしたら、ユウさんが言った意味もあったのかもしれない。もう、聞くこともできないけれど。 「……二鷹?」 「うん。ちょっと変わった名前でしょ」  ユウは訝しげに眉をひそめて、何か考えるような仕草をしていたが、二葉の向こう側を見て、はっと顔を上げた。 「アッキーや。ぎょうさん荷物持っとる。僕、ちょっと手伝ってくるわ」  荷物見といてな、と言い残してスニーカーを履いて、さっとユウは消えていく。自分も、と思いはしたが頼まれたことはしっかりやり遂げねばと二葉は立ち上がりかけた姿勢のままブルーシートの上をちょこちょこと膝立ちしてユウの鞄の近くに座り直した。  ユウとアッキーが何やら話している様子だが遠すぎてよくわからない。どっちがより重たい方を持つかと互いの荷物の受け渡しで揉めているのかも、とくすりと微笑む。まったく、仲良しな人たちだ。  さわさわ、と頬に風を感じて、わっさりと咲き誇るミモザの木を見た。そういえばサチさんがお花見をしようと言っていた。そろそろ見頃だよねと先々を想像して、また勝手に口元が緩んだときだ。 「二葉?」  聞き覚えのある声に、顔を上げた。 「橘先輩……」  二葉に声をかけたのは、ついこの間まで付き合っていたはずの人だ。「それに、田端さん?」と、驚いてぱちりと瞬く。橘の腕にはいつも見る同僚の身体がぴたりとくっついている。にまり、と田端の赤い唇が歪むように笑っていた。
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