第9話

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第9話

 次の日、唸るような勢いで業務を終えて二葉はアパートに帰った。繁忙期でないことが幸いした。 (冷蔵庫の中……よし! 豚こまと玉ねぎが、よく味噌につかってる!)  食べやすいサイズに切って、昨日のうちに透明のビニール袋の中に詰め、冷蔵庫に保管しておいたのだ。フライパンの上でじゅうじゅうと焼いている間に、ほうれん草を茹でてめんつゆとかつおぶしを振りかける。トマトを切って、焼いたお肉と一緒にお皿に並べてご飯をよそって……。 「いただきます!」  ぱちん、と手を合わせた。お味噌と、ほんのちょっとの潰した梅干しも入れた豚肉の旨味がじゅわっと口の中に広がって、ほうれん草の彩りが目に優しい。テレビもつけずに目の前のご飯をはくはく、ゆっくりと味わって、「ごちそうさまでした」と両手を合わせたときには、幸せの美味しさがお腹の中に広がっている。  そのままぐでっとしてしまいたくなる気持ちもあったけど、今日はしたいことがあるのだ。椅子にもたれていた身体を勢いよく起こして洗い物をスタートする。もちろん使うのは最初に編んだエコたわしだ。今日は油ものもあるので、食器用洗剤をつけて使用することにした。エコ、という名前に反しているけれど、可愛いデザインが台所にあるというだけで、なんだか嬉しくなってくる。 「そろそろ他のエコたわしも編んでみようかな……」  本で見たデザインだと柄つきのデザイン以外にも、お花や星、ネコやお家の形、はてには動物の姿まであるらしく、もこもこした羊の形は使いやすそうだ。でもあんまり可愛すぎても使うときに抵抗があるような気がする……という悶々とした思考をしているうちに洗い物を終えた。  やる気があるうちにお風呂に入ってしまおう、ということでちょうど湯船が溜まった頃合いでお風呂に入り、「ふあー」と声を出して手足を伸ばす。パジャマに着替えて、髪の毛を乾かして、慌てないようにと明日の準備も終えたことを確認し、「よしっ!」とリビングのテーブルに飛び込んだ。  一人暮らし用の真っ白な折りたたみのテーブルの上に、ばらばらとあみぐるみのクマのパーツを並べてみる。まず、顔と胴体。そして耳、手、足のそれぞれ二つずつ。忘れてはならないのがしっぽと、鼻の部分だ。クマに鼻って、黒い点でもつけとけばいいんじゃないの? と思われてしまいそうだが、それだと顔がのっぺりとしてしまう。よく見ると、普通のクマのぬいぐるみでも鼻の部分は飛び出した形になっていることが多い。 「とりあえず、必要なところには綿は詰めたけど……あとはやりながら細かく調整できることはするとして」  さて、どうする。と、いつの間にか正座して腕を組みながらクマの残骸を見下ろしていた。クマの毛糸は、ピンクとラベンダーの中間色のような淡い色の綿だ。手芸店で一目惚れして買った糸である。それが今や、バラバラの、クマのなりかけ……惨殺……いやいや、と勢いよく首を振る。 「このままにしないために、今から頑張る! しないと結果はわからない!」  もう自分自身を勇気づけるしかない。 「とりあえずユウさんから借りたとじ針を使おう……」  準備済みのケースの蓋をぱかり、と開けた。中には五本の針が入っていて、並べてみるとそれぞれ若干長さが違う。 「普通の縫い針とどう違うんだろう……。あ、なるほど。先があんまり尖ってない」  縫い針だと指を刺してしまう可能性があるが、とじ針は細いお箸の先、という感じなので万一があっても痛くない。それに針によってまちまちだが、糸を通し穴も大きくて使いやすそうだ。 「そっか。とじ針は毛糸の中を縫うものだから、縫い針みたいに細い必要がないんだ。便利」  一人納得して、息を吸い込む。そして、するりと糸を通した。  編み物の場合、できたパーツ同士を縫い閉じるために新しい糸は必要ない。そもそもパーツができた時点で長めに糸を切り取っておく。そして尻尾のようにできた糸を使って縫い閉じるのだ。二葉が針に通した糸も、胴体から伸びていた糸だ。  まずは身体と頭をくっつける。詰めた綿がもこもこして、こっちを見ているような気がする。大丈夫、簡単だ。一目ひとめに合わせて上から下に針を移動していくだけ。頭の方が身体よりも合わせる輪が大きいので、そこは注意しなければいけない。  一心不乱に針を動かしていく。はあ、と息を吐き出し、一旦テーブルの上に置いた。 「できた……」気のせいか、手のひらが汗ばんでいるような気がする。「きのこが……」  なんでやねん、と心の中のユウが突っ込んだ。でも本当にきのこだった。だってまだ、耳も鼻も手足もつけていないので、細長い胴体と丸い頭がくっついているだけである。でも一歩前進した。さて、次はどうしようと考えたが、やっぱり次は顔を作ることにした。あみぐるみで、一番楽しくて、一番怖い場所かもしれない。なんせ、ここで全てが決まる。  きのこ(実はクマ)の胴体を握って持ち上げ、じっと瞳を凝らした。 「やっぱり、鼻……かな? 最初にあったらバランスが取りやすいかも」  ならば、と再度やる気を出したときに、まったまった、とストップをかけた。膨らんだ鼻のでっぱり部分にも、黒い鼻と、そこからにゅっと伸びたへの字型の口をつけようと思っていたのだ。顔にパーツをつけた後でも大丈夫かもしれないが、やりづらいかもしれないのでまずはこっちが先だ、と慌てる。 「ええっと、今度こそ刺繍道具、刺繍道具……」  縫い針と黒い糸くらいなら家にもあるが、これで良いんだろうか。毛糸に比べると刺繍糸は細いので、不安になった。とりあえず二本取りをしてみることにしたが、刺繍なんて家庭科の授業ぶりである。さすがにスマホを取り出してやり方を調べることにした。色々方法はあるが、鼻の部分はサテンステッチ、口の部分はフライステッチにしようと決めた。  サテンステッチとは同じ部分を何度も同じように針を動かし糸を重ねる方法で、ぽっこりと厚みができる。フライステッチとは、糸をたるませるほどにゆったりと針を入れ、今度はたるんでいた部分を引っ張るように縫う形だ。最悪、おかしなことになったとしても、刺繍糸だけ切ればやり直しができる……と自分に言い聞かせながら終えたのだが、なんとか様になっているような気がする。  流れのままに今度はとじ針で鼻と口の刺繍をしたでっぱりに綿を入れつつ顔につけると、一気にそれっぽくなった。次は目だ、と勢いを落とさないままフレンチノットステッチを入れる。ようは、玉編みを表側に見せる方法みたいだ。黒いビーズでもよかったが、生憎手元に持っていない。これには苦心して何度かやり直しを繰り返した。針に三重に糸を巻きつける程度がベストな大きさだと思ったので、左右二つ、目を作る。 「ちょっと歪んだところが、むしろ味のように思わないでもない……」  いつの間にか、この時点で一時間が経っている。夜の八時から始めたので、今は九時。もうちょっといける、と判断した。なんせ楽しい。こんなところで終わることなんて絶対できない。趣味はあくまでも生活を切り取らない範囲……と、ユウが言っていた理由がなんとなくわかった。おそらく、彼も毎日葛藤しているんだろう。  顔ができたんだから耳をつけねば、と親指の爪よりもちょっと大きな半円形のパーツを見つめた。これを、こう。と指で配置を確認してみたものの、二つつけるのだから両方のバランスを確認してからつけたい。でも、自分の手は二本しかない……ということで、とじ針を使って仮止めしてみた。ぶすぶすと針にさされたクマの姿は中々申し訳ない……。  えいえい、とつけていくと可愛い顔が出来上がっていく。ここまできたら、手足と尻尾も勢い任せた。  さすがにそろそろ寝ないといけないという時間になる頃には、テーブルの上にピンク色のクマが、ちょこんとこっちを向いて座っていた。 「あっ、み、水城さん」 「なんや。水城やで。こそこそとどうしたん?」 「すみません、二分で終わります。お伝えします」 「なんで自分でタイトな予定を刻んでくるん?」  もちろんそれは二人きりにならない、というこだわりに抵触しているために自分が許せるギリギリのラインを見極めた結果である。  たまたま休憩時間にユウを発見して、今だ、と思った。そのまま廊下の曲がり角まで引きずり、きょろきょろと周囲を見て誰もいないことを確認したのち、「まずはこちら、ありがとうございます」と両手でとじ針を差し出した。  二葉の深々とお辞儀しつつの返却に、「はあ。ご丁寧にどうも……」とこっちも両手で受け取る。 「とても助かりました。今度の休みにきちんと買いに行きたいと思います」 「別にそのままあげてもよかったんやけどな」 「さすがにそういうわけには。そして出来上がったものはこちらです」 「お……? お、おおお!」  とじ針とともに服のポケットに忍ばせていたクマのあみぐるみである。 「ええやん! 可愛いやん! よくできとるわ、すごいやん!」  これこれ、と二葉は心の中でガッツポーズをした。絶対に、ユウなら手放しで褒めてくれると思ったのだ。早くとじ針を返したいと思っていたことはもちろんだが、やはり出来上がったものは誰かに見せびらかしたくてたまらない。 「ピンクとラベンダー色の間やなぁー。こういう、あんまりない色を手作りできるってのがええよね」 「ほんとですね、そうですね。他のものもさっそく作りたいなぁ、と思うんですが、やっぱりこの子に愛着が湧く気持ちもあり……。首のところが、ちょっと寂しい気もしてアッキーさんが作っていたようなお花をつくって、つけて飾ってもいいかなと」 「ええやん! くまポンも喜ぶと思うわ!」 「誰ですかそれ私のクマに勝手に名付けるのやめてください」 「す、すまんかったわ……ついいつもの癖で……めっちゃ早口やん……」 「はっ!? わ、私もすみません、自分で作ったものだと思ったら、思わず……! そろそろ予定の二分ですので!」  見事目的を遂げたのでその場を去ろうとしたとき、「あ、そうだ。あの、品評会のテーマなんですけど」とついでとばかりに思いついたことを伝えてみる。  もろもろと伝え終わると、ユウは「なるほどなー」と腕を組みながら頷いていた。 「アッキーなら常連客の連絡先、ほとんど知っとると思うし、僕からも伝えて確認しとくわ」 「え? いえ、ただの思いつきなだけなのに、いいんですか?」 「客側が勝手に催しとるだけやから、しょうみ何でもええねん。佳苗さんが言うたやつ、意外としてそうでしてへんから、もうそれで決定でええんちゃうかな。決まったらさっさと準備したいし、ま、そういうわけで」  あー、来週が楽しみやなー、仕事、したないなーと言いながらユウはぽきぽきと首を鳴らしつつ消えていった。  そんなノリでいいのかな、と不安を覚えつつも二葉も仕事に戻った。キーボードを打ち鳴らしつつ、内線を取る。  そんなこんなで金曜日が終わり、土日は食料の買い出しついでに手芸店に向かった。自分のイメージある目当てのものを探すというのは、意外と困難な作業だ。いつの間にか時間が過ぎ、また水曜日がやってきた。
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