桜の木の下に......

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本当に分からないのだけれども、私は見ず知らずの男と、路肩に座って、缶ビールを飲んでいる。例年よりも遅く咲いた桜を見上げながら。 大きな仕事を終えたばかりだから、身体が妙に気怠い。一つ、心の内側から大きな大切なものを失った気がして、気が緩むとバクンと心臓が大きな音を立てそうで、立ってしまったら、私が全部、壊れてしまいそうで、その不安を閉じ込めるために、ビールを飲んでいた。 「くーちゃんは思ったよりも肝が座っているね」 男は言った。この人は何故、私のあだ名を知っているのか。 「これがさ、いつか気持ち良く思える日が来るかもしれないね。俺みたいに」 私は得体の知れない、いや本当は気づいている気持ち悪さをビールと一緒に飲みこんだ。 「ねえ、俺が誰だか気づいているでしょう?だから一緒に飲んでくれてるんだよね」 男はプシュりと新しい缶ビールを開けた。これで3缶目なのに、顔色一つ変える素振りも見せない。 対して私は心臓の鼓動に気づきたくなくて、飲むのをやめられなかった。逆効果だと分かるのに。酔いがまわり始めた。顔が熱い。 男は桜を見つめながらだし抜けに言った。 「桜の樹の下には死体が埋まっているんだよ」 私は俯いた。木の根っこが視界に入る。 「くーちゃんのアパート、305号室、まだシタイあるんでしょ?それ埋めてみる?」 私は泣きそうになった。心臓がギュッと縮む。 「血、染み込んでるね。スカートにも靴下にも。くーちゃんの栄養になるかな。桜の木も血が栄養なんじゃないかな。だから美しい。くーちゃん、君はもっと美しくなるんだよ」 「やめて......気持ち悪い」 絞り出した言葉を皮切りに、私の目から涙が溢れ出た。 死体遺棄を知人に依頼したのは私だ。 私をズタズタにしたアイツを私のために消さなければいけなかった。 事が済み、異臭がする部屋から逃げるように出て、急いで缶ビールを買い込んで、路肩に座り込んだ。男は、そんな私の隣に座った。 でも、本当に気持ち悪いのは自分の手を自分自身で汚した私。目の前の男もこれから共犯になるけれど、この男は、手を汚すことに何も躊躇いは無い。踏んできた場数が違うからか。 「くーちゃん、心配しなくて良いんだよ。あとは全部俺がやってあげるからね」 私は泣いた。泣き続けた。言葉だけで安心出来る、なんて単純で不確かな脳内。 嗚咽で苦しい。男は横目で私を見続けていた。どうするの、と目で語りかけられる。 「桜の下が良いです......」 私は即答した。 来年になって、桜がもっと綺麗だったら、罪の意識なんて消える。桜のためにって思えたら、きっと、私は救われる。正しかったって思いたい。 「来年、またここで、もしこの桜が綺麗だったら、私......」 男は何も言わなかった。無言でビールを地面に流した。 「このビールもコンクリートの栄養になるか?」 私は訳も分からずに男を見た。 男はニヤリと笑った。 「なんてな。桜は生き物だから。生き物は生き物を食らって強くなるのさ。強くなって綺麗に咲く。くーちゃんもソイツ、食らったようなもんだから、強くなるよ。そして綺麗になって......あぁもう時間だ。そろそろ匂い、漏れちゃうから。じゃあね」 男はそう言い残して去った。 私は新しい缶ビールを開けた。勢いよく飲み干す。 と、あれ?私は奇妙な匂いに顔を上げた。 満開の桜が風になびく。 その風にのる花の匂いに微かに異質な匂いが混じっている。 私は誘われるように、桜の木の根元に視線を向けた。 「ひっ......」 根元に、真っ白な手のようなものが刺さっていて、鮮血がじわりと地面に広がっていた。 まさか、まさか、まさか。 私はもう見ることが出来なかった。 美しい桜の木の下に.......死体が埋まっている。
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