本物の愛情を知る

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本物の愛情を知る

 エルベールは鑑定官と共に王都から来ていた王国騎士に連行されていった。アイラ領だけで収まる問題ではない。外交官も交えて対応を考える必要がある。  魔法印の捏造については、鑑定官もいるところで聴取が行われた。  偽装の方法は魔力そのものの変質だった。それも、本来ならば魔力を持たない子供に、他人と同じ魔力紋を再現した魔力を持たせるという、悍ましい実験の末に生まれたもの。  その子供の名前を、エルベールは最後まで明かさなかった。『公正な裁判』の効果が切れるまで耐え抜いた。  実験そのものはフォルジュ家が密かに行っていたものだと判明したが、魔力を持たされた子供が見つからない限り、フォルジュ侯爵は否定し続けるだろう。  それは、エルベールとの決闘から数日後に届いた手紙が証明していた。 「フォルジュ侯爵は一人息子を見捨てたわね」  これまで何の音沙汰もなかったフォルジュ侯爵が、ようやく返事を寄越したのだ。  曰く、「王国での息子の動きには何も関与しておらず、すべてはエルベールの独断と暴走である」とのことだった。  エルベールを切ってまで、護らなければならない秘密が、魔力の実験にあるのか。それとも、別の狙いがあるのか。それを分かりづらくさせているのは、同封されていたリアム個人への手紙だった。  アルフレッドから手紙を渡されたリアムは、それを読んでただ、「独りよがりですね」と呟いていた。  決闘を見届けたユージェニーは、予定より遅くはなったがデラリア領に帰った。そして、自分に何ができるか探したい、というレスターも、その帰郷について行った。劇作家としての自信を取り戻して、ユージェニーへ積極的にアプローチすることにしたらしい。  自分のやり方でデラリア領に貢献するのだと、随分張り切っていた。ユージェニーは分かりにくくも嬉しそうにしていたので、彼女の家族に認められればうまくいくのではないだろうか。  長期休暇も残り少なくなってしまったが、一週間程度ならデラリア領に遊びに行けるかもしれない。ユージェニーも「ぜひ来てください! 家族全員でおもてなしいたしますわ」と言っていた。  先の予定を楽しみにしながら、ヴィクトリアは久々に落ち着いた時間を過ごしていた。天気が良いので、庭の四阿にティーセットを出している。夏の日差しに揺れる花を眺めていると、心が安らいだ。 「帝国の動きは気になるけれど、これ以上はわたくしが関与していい話ではないでしょうし」 「休暇の終わりには元第三王子の裁判もありますから。お嬢様はそちらに集中されてはいかかでしょう」 「すっかり忘れていたわ。今年はトラブルが多くて嫌になるわね」  ため息をついて、ティーカップを持ち上げる。ちらと、対面に座るリアムを見れば、手元の紅茶はまったく減っていなかった。  今日は従者ではなく、婚約者としての同席を希望した。フォルジュ侯爵の手紙を読んでから、少し気落ちした風だったからだ。  婚約者としてのリアムなら、考えていることや感情を素直に口に出してくれる。彼の些細な要望や悩みを聞くのは楽しかった。とはいえ、まだまだ従者として言動を慎む癖が残っているようなので、そこは上手く切り替えられるように二人で練習中だ。 「……リアム」  柔らかい声を意識して名前を呼べば、リアムはハッとして顔を上げた。 「あっ、はい、お嬢様」 「フォルジュ侯爵は、一体あなたに何を言ったのかしら。それは、わたくしが聞いても大丈夫なこと?」  これが国やアイラ家に関わるようなことなら、ヴィクトリアは主人として命令して、手紙を検めるだろう。そもそも、リアム自身から報告が上がるはずだ。  だから、婚約者として。彼の心を覆う悩みの雲を、晴らせればいいと思った。もし、ヴィクトリアに知られたくないとリアムが思っているなら、無理に聞こうとは思わない。  逡巡していたリアムは、小さく首を振った。 「お嬢様に言えないようなことは、何も。ただ……、私が、どう受け止めればいいのか、分からなくて」  ずっと持ち歩いていたのだろう、リアムは手紙をテーブルの上に出した。少し角が折れてしまっている。 「わたくしが読んでもいいの?」 「構いません。大した内容ではありませんから」  リアムの許可を得て、ヴィクトリアは手紙を開いた。  便箋は一枚だけ、しかも下半分は白紙だ。  ごく短いその手紙を、ヴィクトリアは読んだ。 『君を忘れたことは一度としてない。私も妻も、ずっと君の身を案じていた。  君がその家にいることは随分前から知っていた。  良き主に巡り会い、充実した日々を過ごしていることを。  実の父であると名乗りを上げることは、しないでおこうと決めた。  私たちの元にいるよりも、そちらで暮らす方がずっといい。  父としての言葉は、これで最後だ。  どうか、幸せに』  誰の名前も出てこない、署名すらされていない、その手紙を。 「独りよがり、ね」  確かにそうだ。一方的で、自分のことしか考えていない。押しつけがましい、他人の幸せを願うだけの手紙。  こんなものを送り付けられて、リアムがどう思うかなんて、きっと想像すらしていないのだ。 「私は……、確かに、実の家族に未練などまったくありません。お嬢様の傍にいることが、私の生きる理由です。でも……」 「でも?」  リアムは肩を落として、どこか遠くを見ているようだった。 「スラムにいた頃は、いつも考えていました。親はどんな人だったんだろう、どうして捨てられたのだろう、そんなことを。お嬢様と出会ってから、吹っ切れただけで」 「そうね。子供の身からすれば、それが普通だわ」 「だから……、たぶん、そうですね。子供の時の私が、がっかりしたんだと思います」  考えが纏まらないのか、リアムは言葉を選びながらゆっくりと話す。 「顔も覚えていないし、傍で守ってもくれないけど、もしかしたら何か事情があって、俺を手放さないといけなくなったとか……。とにかく、理想の親っていうのを、思い描いてた気がします。でも、欲しかった家族という形は、バルフォア家に引き取られたことで叶って、お嬢様もいるし、別に血の繋がりに固執する必要もなかったなと、そう思って」  普段の筋の通った話し方とは違う、しどろもどろな声を聴く。 「私は今が幸せですし、他の幸せなんていりません。誰に願われるまでもないことです。どんな事情があったとしても、幼い頃に辛い思いをしたことには変わらないけど、だからと言って……」  そこで途方に暮れたように黙ってしまったリアムに手を伸ばして、頬を撫でてあげた。 「リアムは優しいわね」 「お嬢様?」 「でも、フォルジュ侯爵を許す必要なんてないのよ。いくらあなたを愛していたからって、仕方のない事情があったからって、リアムは一方的な被害者なのだもの。謝られてもいないのに、無理に許さなくたっていいわ」  何も知らなければ、安心して恨んでいられるのに。ただ自分を捨てた親として、辛かった思い出のはけ口にできるのに。  ただ忘れられたくないからと、一方的に愛を告げるだけの自己満足を、リアムに押し付けて。それは、本当に子供を愛していると言えるのだろうか。 「許さなくていい……」 「そうよ。だいたい、フォルジュ侯爵が自分の妻をちゃんと見ていなかったのが原因でしょう。性格が嫌いだからって、愛人に逃げて。リアムの言う通り、独りよがりなのよ。自分のことしか考えていないのだわ。そんな相手のために悩まなくていいのよ」  リアムは口を開けてヴィクトリアを見つめていたが、やがてゆるゆると頬を染めて微笑んだ。 「そう、ですね。だって、私はもう、本当に愛されることを知っていますから」  噛み締めるように赤い瞳を溶けさせたリアム。ヴィクトリアはテーブルの上に身を乗り出して、その唇にキスをした。 「ええ。あなたを愛してくれる人はたくさんいるわ。もちろん、一番はわたくしだけど」 「知っています。お嬢様の愛はとても大きいので、今さら余計なものを受け入れる余裕はありません」  何倍にもしてキスを返してくれるリアムの愛だって、それはそれは大きいけれど。  それはヴィクトリアだけが知っていればいいのだ。
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