エルベールの偽れない証言

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エルベールの偽れない証言

 徐々に視力が戻って来たのか、エルベールは体を起こして腹部を押さえながら、ヴィクトリアを見上げた。悔しげに歪む顔に、思わず口元が綻んでしまう。  リアム程美しいとは思わないが、なかなかいい表情だ。 「それではエルベール? テティオの『公正な裁判』、署名してもらいましょうか。証人はここに集まってくれた観客たち。あなたが何のためにこの婚約騒ぎを起こしたのか、聞かせて欲しいわ」  調停役を務めてくれたテティオの神官が、スクロールをエルベールに差し出した。  裁きの神たるテティオは、偽りの証言を許さない。ヴィクトリアは署名をしたことが無いが、これが使われた裁判の記録は見たことがある。言い訳をしようとした犯人が、突然顔を真っ赤にして口を閉じ、呼吸すらできなくなっていた。  量産できるスクロールではないので使用条件が厳しいのだが、今回は簡単に許可が出た。  エルベールが署名したのを確認して、ヴィクトリアは「ふふっ」と笑った。 「最初は、そうね。まずあの婚約の書類。本物かしら?」 「……いいや。僕が捏造させた」 「やはりね」  ということは、鑑定を潜り抜ける魔力偽装の技術があるということだ。さすがに詳細を広場で聞くのはまずいから、後で個別に聴取しなければならない。 「その目的は? わざわざ捏造してまで、わたくしと結婚しようとした理由は」 「このアイラ領を、帝国に組み込むため。ひいてはフォルジュ家の権力を拡大するため」  以前彼が語り、ヴィクトリアたちが予想した通りの答えだった。  楽しそうに決闘を眺めていた貴族たちがざわつく。小さく悲鳴を上げる令嬢もいた。少し遅れて、商人や集まっていた民衆からも声が上がり始める。  ヴィクトリアは片手を上げて、注目を集めた。 「けれど、それはもう阻止されたわ。わたくしはあなたではなくリアムを選んだし、あなたは罪に問われるでしょう」  魔法印の捏造はどこの国でも重罪だ。それに、ここまで注目されている場所で領地簒奪の目論見を語ったのだから、国家間の問題になることは確実だ。 「良かったわね、国際問題になるわよ。あなたが望んだ形ではないでしょうけど」  鑑定前にエルベールが脅しのように言っていた。それを思い出したのか、エルベールの顔がさらに歪んだ。  帝国側がどのように対応してくるかは分からない。穏健派だという話が事実なら、皇帝はフォルジュ家を切り捨てて終わるだろう。これ幸いと戦争を仕掛けてくる可能性もないではないが、今は帝国内でも戦争を望む声は少ないと聞く。  そして、フォルジュ侯爵がどのような判断を下すのか。恐らくは――。 「エルベール、あなたはどうしてアイラ領にいたの? この領地を奪うための下見かしら?」 「違う」 「では何故?」  エルベールに関して、どうしても分からないのがそこだった。ヴィクトリアへの求婚は、確かに思い付きだろう。だが、元からアイラ領を狙っていなければ、そもそも魔力偽装の手段など持ち合わせてはいないはず。  そこにはフォルジュ侯爵の思惑も必ず混じっているはずだ。それを暴くことができれば、帝国軍を根底から揺るがすことができる。  けれど、エルベールの答えはヴィクトリアの考えと違っていた。 「弟を探すためだ」  以前に対面した時にも、そう言っていた。ヴィクトリアは信じていなかったが、今の彼は『公正な裁判』に署名している。嘘はつけない。 「リアムを……、弟を探していた理由は?」  僅かな動揺を綺麗に隠して、ヴィクトリアは淡々と続けた。  エルベールはそこで躊躇った。答えたくないのか、答えてはいけないのか。 「フォルジュ家次男は庶子の身で、フォルジュ侯爵から一心に愛情を受けていた。嫡子であるあなたを差し置いて。行方不明となった弟を探すことで、父に取り入ろうと思ったの? 媚びを売るため?」 「違う!」  エルベールは反射的に叫んで、両手で自分の口を押さえた。 「ちが……、僕はただ、そう、きぞく、の……、義務として」  偽りを許さないスクロールの効果と、本心を言いたくないエルベールの意地がせめぎ合う。だが、テティオは偽りを許さない。  息を詰まらせ、顔を赤くし始めたエルベールに、再びざわめきが上がった。  口元を覆ったまま、エルベールは前屈みになった。真実を言わない限り、制約は続く。息を吐くことも、吸うことも許されず。ついに石畳に爪を立て、肩を痙攣させ始めたエルベールに、ヴィクトリアは息を呑んだ。 「早く言いなさい! 死んじゃうわよ、エルベール!」  『公正な裁判』で死人が出るなど、洒落にならない。駆け寄ろうとしたヴィクトリアを制して、リアムがエルベールの前に屈みこんだ。  髪を掴んで顔を上げさせ、苦悶の表情を浮かべる兄に、告げる。 「俺が憎いんだろう?」  意表を突かれたエルベールが、目を見開いた。  リアムは、どこか自慢げに、笑っている。 「どんな場所にいても、幸せそうにしている、俺が」 「……っふ、ざけるなよ」  ぽろりと、エルベールの本音が、零れ落ちた。  息を吸い込んだエルベールは、喉が張り裂けそうなほどの叫び声を上げる。 「お前だけじゃないさ! 監獄にぶち込まれたクソ女も、現実の見えてないあのクソ親父も! 何にも分かっちゃいない! フォルジュ家の後継は俺だけで、本来愛されるべきも俺だけのはずだった!」  一度言葉に出せば、もう止まらない。  エルベールは時折笑い声すら上げながら、秘めていたであろう思いをぶちまける。 「たまに面会に顔を出せば、あの女、何を言うと思う? 自分が捕まるのはおかしいだの、父上は気が狂ってるだの、やったことを後悔はしていないだの! いつまでも自分が悪くないと思ってる! 犯罪を隠すほどの能力もないくせに! だいたい、愛されなかったのはその性格のせいだと分かってない! 僕だって、あんな女を嫁にと言われれば辟易するだろうさ! そこは父上に同情するね!」  同情すると言いながら、その目は敵意に濡れている。 「そんな母のせいで、僕は相応の教育も受けられなかったんだ。フォルジュ家の、嫡子だぞ!? 今となっては一人息子、なのに、何故あいつは僕を認めない! いつまで経っても弟に執着し続けて……。だから、思ったのさ。弟を見つけ出して、連れ帰れば。母は発狂するだろう、なにせ罪を犯してまで消したかった子供だ! 目の前に突き付けてやるんだ。お前の人生は無意味だったと! その上で……、無能な弟を父上の前に突き出して、嘲笑ってやろうと思っていた! お前が執着している子供は、こんなにも役立たずなのだと……、そう……」  尻すぼみに消えて行ったエルベールの声。もはやリアムを睨みつけることしかできない彼は、それらの企みすべてが潰えたことを、ようやく実感したようだった。  ふう、と息をついたヴィクトリアは、騎士たちに合図を送った。  ここで必要なことはすべて聞き終えた。後は『公正な裁判』の効果が残っている間に、魔法印の偽装について聞かなければ。  両脇を抱えられ、連行されるエルベールに、リアムが一言だけ残した。 「可哀想に」  反論する気力は、もうエルベールには残っていないようだった。
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