11人が本棚に入れています
本棚に追加
「らっしゃっせー、食券お願いしまーす」
厨房から張りのある声が届く。
駅を挟んで少し寂れたエリアの一角にあるカウンター七席のみの小さなラーメン屋。積極的なアピールはしていないが某有名店で十年以上レギュラースタッフだったという情報はラーメン通の間ではよく知られていて週末にはちょっとした行列も出来るが一般的にはあまり知られていない密かな名店だ。
そして、テーブル席も無く雑談が過ぎたり食後もダベっていたりすると容赦なく店主からひと言あるこのお店に、駅を通り過ぎてまで来る生徒はほとんどいない。
つまりあたしみたいな陰キャも安心して寄れるというわけ。
券売機で並ラーメンと味玉のトッピングを購入して一番手前の角席に座って食券を渡す。
味玉。あるいは煮玉子。
別にそれほど玉子が好きというわけでもないのだけれど目に付くとなんとなく頼んでしまう。以前なにかのグルメ漫画で「日本人はとりあえず玉子をのせるのが好きな傾向がある」と読んだけれども、理由はわからないけど確かにあたしもそうだ。
夕飯にはまだ少し早い時間だからか先客は無く店内にはあたしと店主のふたりきり。とはいえ店主は先ほどの話からお察しかもしれないがお客さんに対してフレンドリーに雑談をしてくるタイプではない。
調理する店主を視界の端に収めながら過ごす静かなひとときに癒されていると、店の扉が開かれた。
「らっしゃっせー、食券お願いしまーす」
まったくブレない店主の声。しばらく視界の外でごそごそと財布を取り出したり食券を買ったりしているのだろう音が聞こえ、その客はあたしの隣の席について店主に食券を渡した。
はい?
いやその、そりゃあお店には七席しか無いですし、端から詰めて座って貰ったほうがお店側はありがたいだろうけど、この全席空いてる状況でわざわざ女子高生の隣に座ります?
恐る恐る視線を向けると見慣れた袖口が視界に入る。おなじ高校の女子制服だ。そのままゆっくり視線を上げていくがなかなか顔が見えない。あたしよりかなり背が高い。ようやく相手の顔まで視線が届いたとき、相手もまたこちらへ視線を向けていた。
あたしが深淵を覗くとき、深淵もまたあたしを覗いているのだ。
クールに静かにゆっくりと視線を降ろす。彼女はまだあたしを見ているだろうか。もう一度見上げて確認する勇気は無い。
赤い瞳とおなじ色のポニーテール。空手部に所属するクラスメイト、右近堂千重理だった。一年生のときは別のクラスだったし顔を知っているだけでまだ一度も会話していない。
していない。が、それでもクラスメイトだ。
ど、どうしよう。挨拶くらいするべきだろうか。いやそりゃもちろんしたほうがいいに決まってるけど。相手はバリバリ運動部、地域の大会で個人優勝の経験もあるちょっとした有名人だ。陰キャのあたしには荷が重い。
「並ラーメン味玉どうぞ」
悩んでいる間にラーメンが来てしまった。
もういいや。そんなことよりラーメンだ。あたしはヘアゴムで前髪をひたいの上に纏めてどんぶりと向かい合った。
最初のコメントを投稿しよう!