クズどもの褥

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 しなやかなサテンのシーツに身を沈めていた秋津は、煩わしいスマホの着信音で目が覚めた。煩わしい。  カーテンの外からは、真っ赤な夕陽が昇っている。  何も着ていない上半身では寒いと判断し、蹴とばしていた掛け布団を手繰り寄せた。 「なんだ……」 『なんや、えらい不機嫌そうやな? お眠さんか?』 「滝中、お前か……何の用だ」  相変らずの胡散臭い口調と軽薄な態度に、秋津の元々よくない機嫌が更に悪くなった。そんな事などお見通しだと言うように、滝中が電話越しに笑みを浮かべる。  寝起きの秋津は、いつになくクズの仮面が剝がれ落ちているようだ。  いい事を知ったと、滝中はどんどんとご機嫌になっていく。 『実は今夜な、店でえらい豪華なパーティーをするんや。オーナーがキャストのお得意様を呼んで、楽しみましょ、やって。なぁ、秋津はん、俺のお得意様として来てくれへん?』  猫なで声で今後の予定を聞いてくる滝中。もう来ることが決定しているかの様なその態度に、秋津は寝起きだというのに、頭を抱えてしまう。  よく口が回る男だ。  裏社会で金に困っている組織に金貸しをやっている秋津は、良くも悪くも一部の裏の者には顔を覚えられていた。とはいえ、秋津自身は特定の組織に肩入れする訳でもない。  弱小組織だろうが、大物がいる組織だろうが、リターンが見込めるならどれだけでも金を貸す。  鬼島がオーナーをやっているあの店では、鬼島と繋がりのない者達はまず来ない。  よって、秋津と繋がりのある商いの相手とは被らずに遊べているのだ。バックに誰もついていなくとも、裏組織達が牽制し合うその隙間に入り込む。  鬼島の組織ほど規模がデカく金を持っているとなると、秋津が金を貸す必要もない。秋津にとって鬼島の膝元は良い遊び場だった。  少なくとも特別目は付けられない。そう秋津は判断していた。 「今日はダメだ用事がある」 『そんなん言わんといて、ぴょ!って顔みせるだけでええからさ』 「ダメだ」 『えー、ケチ! 店一番の稼ぎ頭のお得意様が来いひんと、店と俺の面目丸つぶれやわぁ』  再びペラペラと口が回りだした滝中に、秋津はウンザリしながら今夜の予定を考える。今夜は以前取引を持ちかけられていた胡桃沢に、事務所へ招かれているのだ。  用事と言うのは恐らく、貸した金を返すと同時に、貸した金以上の利益金を返される筈。それも、胡桃沢本人からではなく、胡桃沢の組織の下っ端のはずだ。秋津自身も自分で行く必要もないのだが、胡桃沢に本人が来るように言われたのだ。  何を考えてるのか、何をさせたいのかが一切不明だが考えても無駄なのだろう。  招かれたのは夜の九時頃。その帰りに店に寄って行けば、まぁいいだろう。 「仕方ねぇ、行けばいいんだろ。顔を出すだけだ」 『ホンマ⁉ 来てくれるんやな? 嬉しいわ! めいっぱい金使うてってや!』  それはそれは、嬉しそうに電話を切った滝中。これが稼ぎ頭の営業力なのかと、秋津はまだギリギリ寝起きの頭で考える。仕方なくため息を吐いた秋津は、少し早めの身支度をする為、ベッドから身体を起こした。  街頭すら光を照らさぬ細く暗い路地を、高級スーツに身を包んだ秋津がきっぱりと歩く。見栄と高いプライドを着飾り、黒社会へと足を踏み入れた。  繫華街からもそう遠くない場所に、一般の小企業のような顔をした胡桃沢の事務所が見えてくる。  その事務所に入れば、行儀の悪い不躾な視線が秋津を射貫いた。秋津がその視線をよこした下っ端をじっと見つめていると、背後から現れたこの事務所の管理者兼責任者が奥から出て来る。 「狂犬どもの躾がなってねぇようだな?」 「あ、秋津さん! 申し訳ございません! 躾し直しておくので、ここは……」 「次はない」 「は、はい! おい、支払金を用意しろ!」  部下に指示を出しながら、責任者は秋津を備え付けのソファに座らせる。一般的な事務所だと言うのに、組員のデスクを見ればクスリの入った袋が散らばっていた。クスリを売るだけに留まらず、組員がヤっているとは……。  胡桃沢付の部下にでも知られたら、始末されるだろう。いくら末端の人間とは言え、警察に取り調べをされると一発アウトだ。何重にも枝分かれしている販路でも、枝そのものが折れては痛手になる。 「こっちが手渡し分で、残りは秋津さんの口座の方へ……これが入金証明書です」 「ああ、確かに」 「はい。あ、あの……最近、ウチの事務所周りで鬼島の下っ端どもがうろついてるんで、気を付けてください! ドンパチおっぱじめるかもしれねぇんで!」  アタッシュケースを片手に出口へ向かう秋津に、責任者が忠告をよこす。秋津は片手を上げ、了解の意を示して事務所を後にした。  暫く徒歩で繫華街を歩き、滝中との約束の為に店に寄る。滝中の言葉は嘘では無かったらしく、豪華なパーティーが行われているようだった。普段はかけないハイテンポな曲が、店の外の秋津の元まで聞こえてきている。 「チッ、気がのらねぇなァ」  店の前で悪態をつき、秋津は入店する。  すると、秋津の出迎えを言い渡されて待っていたのか、二名のスタッフが入口で待機していた。  この店のスタッフは皆、威圧の為か牽制の為か体格がよく、おまけに真っ黒なサングラスまで付けているのだから、基本的におっかない。 「お待ちしておりました。滝中が待っております。奥へご案内いたしましょう」  スタッフに案内されるままに、秋津は店の奥へと入ってゆく。いつも通り、この店で最上級格の部屋へと進む。  スタッフが部屋の扉を開け、秋津の入室を促した。  それに従い部屋に入れば、そこには滝中だけでなく、3人の高級スーツを身に纏った男達が待っていた。  秋津はその状況で、自分が目を付けられた事を悟る。  黒髪を撫で付け、ブランデー片手に秋津を伺ってくる男。この部屋の誰よりも偉そうで、秋津の癪に障る。 「……オーナー様直々に俺のお相手を?」  鬼島の肩に甘えるように擦り寄る滝中に視線すらやらず、秋津が問いかける。  自分の中の焦りと余裕の無さを悟られまいと、挑戦的に微笑んだ。  そんな秋津を見透かしたように、鬼島は秋津の問いかけを鼻で笑った。 「ああ、うちのお得意様(・・・・)だからなァ?」 「ほう? それは随分と、サービスが効く店だ。キャストが嘘を吐かなければ、もっと高評価をやれるだろうな」  秋津は滝中を今までの誰に向けるより、冷徹な嘲りを含めた視線でみやった。狐のような細い目を、線のように細め滝中は唇に弧を描く。  ああ、どこまでも気に入らない男だ。 「まぁ、そんな事はどうでもいい。腹の探り合いなど、時間の無駄だ」 「……わざわざ俺を待っていたが、一体なんの用だ」 「胡桃沢への資金援助を止め、俺の組織へと代わりに流せ。そして、お前に胡桃沢の暗殺、又は情報提供を求める」  同じ高さのソファに座っているというのに、鬼島は秋津を見下ろす。その侮辱的な態度など気にも留めず、互いに視線を外さない。  これは己の生存を賭けた睨み合いだ。目を逸らした方が喰われる。 「断ると言ったら?」 「生かさず殺さず、死ぬまで自由を奪い続けるだけだ」 「……ッ!?」  突然、背後に居た筈の青柳と赤畠が、秋津を羽交い絞めにする。  目の前の鬼島に意識を集中させていた為、秋津が抵抗する隙も無かった。  二人は秋津に薬品を嗅がせて意識を刈り取る。 忌々しいほど手慣れた犯行だった。
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