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黒の高級車から繁華街へ降り立った鬼島。
賑やかな表通りに当てつけるような暗い雰囲気の漂う裏路地には、裏社会で鬼島がオーナーとして名高い非合法の店がある。欲に眩んだ者やその末路が一介に会すそこは、心なしかいつもより静かに感じられた。
鬼島が赤畠と青柳を伴い店に入ると、店の店長が鬼島の元へとやって来る。
「ボス、すみません。胡桃沢がボスのことをお呼びで……今は滝中と数名のキャストが相手をしております」
「いい、俺が行く」
頭を下げる店長に踵を返し、胡桃沢がいるであろうVIPルームへと向かう。部屋に近づくに連れ、滝中と胡桃沢のものと思われる楽し気な笑い声が響いてくる。
赤畠が容赦なくVIPルームの扉を開け、鬼島が堂々たる足取りで部屋に入ればソコには膝上にキャストを乗せ、右隣に滝中を侍らせている胡桃沢がいた。
鬼島と同じく高級なスーツに身を包み、手指に付けたアクセサリーを膝に乗せたキャストへ口移しで渡す遊びをしていた。
渡したアクセサリーはくれてやると、太っ腹な態度で頭脳的な見た目にはそぐわない、下品で油断ならない笑みを湛えている。
その胡桃沢が鬼島の登場に気が付くと、心底嬉しそうに鬼島の名を呼んだ。
「鬼島ァ! やっと来たか!!」
「お前こそ、どの面下げてここに来やがった」
「ハハッ、お前の店にゃ初めて来たが、お前とは趣味が合う気がするぜ?」
グイっと酒を煽り、吸いかけのタバコをキャストの肌に押し付け火を消した。先程まで口移しで高級なアクセサリーを貰っていた膝上のキャストは、突然の痛さに呻きを耐えられずに絶叫する。
絶叫するキャストの反対隣りに座っている滝中は、そっとそのキャストから顔を背けた。
「おーおー、暴れんなって、よしよし」
「い゙や゙ぁ゙ぁ゙ぁ、痛ァ゙ぃ゙」
火傷し皮膚が爛れたそこを恋人でも甘やかすように、ぐりぐりと撫で付ける。嫌がるキャストへの胡桃沢の対応を、その場の誰も止めることはない。
ここはそういう店だからだ。胡桃沢がこのキャストを金を出して買っている以上、それは鬼島が立てたルールの内で許される。
キャストの時間を買ったものは、殺す、殺させる、欠損以外の一切を全てキャストへと指示できる。
これが、この残酷な店の絶対のルールだ。
鬼島は慣れた様子で感情の揺らぎもなく、大層楽し気な胡桃沢へドスを効かせた声で用件を聞く。鬼島の背後に侍る赤畠と青柳の気配は一瞬にして殺気を滲ませた。
「お前に交渉しに来たんだよ、俺ァ」
「交渉だと?」
「ああ、そうだ。お前、最近秋津ヨルを手元に据えたんだろ?」
「さぁ、どうだろうな。そんな事より俺は三年前の落とし前を、どう付けてくれるのか教えてもらいたいモンだなァ?」
胡桃沢も鬼島も互いに笑みを浮かべているというのに、場の空気はまさに地獄のようだった。
いつもなら上手く話の軸を折り、話の内容すらすり替えるであろう滝中が固唾をのむ。
誰一人として気を抜けない。
カランっとグラスに入った氷が音を立て、時間の経過を指摘する。
「三年前の事は悪かったよ。気になっちまったモンは、一度つついてみなけりゃ気が済まない性質だからよ」
「で? つつき過ぎた結果、殺し屋を仕向けたってか? テメェ、ふざけてンじゃねェぞ」
「それは、お前もだろうがよ。なぁ、鬼島ァ?」
尊大な態度を崩さず、両者一歩たりとも譲らない。目を逸らした方が負ける、そんな気概さえ感じられた。
しかし、そんな空気を破ったのは胡桃沢の方だった。胡桃沢は膝の上に乗せ、恐怖に染まった顔をしているキャストを降ろすと退出させた。
そして、右隣に座る滝中の肩に腕を乗せ、引き寄せる。
「あー、つまらねェ。やっぱ交渉は止めだ、止め。せっかくお前と会えたんだ。共通の話題でも探そうぜ?」
「……共通の話題だと?」
「そう、例えりゃ、ヨルの話とかな。アイツはいいぞ、俺の一等のお気に入りだァ」
「興味ねェな」
「そうか……?」
滝中を秋津の代わりにしているのか、胡桃沢は滝中の肩や背中を優しい手つきで撫でている。時に首筋を手の甲でくすぐったりと、秋津とどう関わっていたのか片鱗を鬼島へと見せつけた。
「本当に興味がないってンなら、早々に返して貰いたいモンだな」
「アイツはお前の愛人ってだけだろうが、どうしてそこまで執着する?」
「フフフッ、お前見る目がねえなァ? アイツくらいだぜ? 俺らみたいな裏のモンに対して、何処までも強気でいられる奴は。それに、アイツの過去は聞いてるだけで面白れェぞ」
「…………」
「なァ、気になるだろォ??」
自分の話に食いつかぬ筈がない、確信を持って胡桃沢は鬼島に笑いかける。下品な笑みですら上品と言わせる男は、鬼島とは心底相性が悪い。
「赤畠、青柳、お前らは少し下がってろ」
胡桃沢の話が気になるわけではないが、鬼島は話を聞くため二人を部屋から退出させた。
気になった訳では決してない。
そう、これは秋津の弱点を一つでも知る為なのだ。
鬼島は誰に対してか、鬼島は言い訳を心の中で言うと、視線を胡桃沢へと返した。
「お! 聞く気になったか!」
「勘違いするな。俺は情報を一つでも多く持っておきたいだけだ」
「そうかァ? まぁ、何でもいいがよ」
胡桃沢は何を話そうかと迷っているようで、珍しく長い間静かに考え事をしていた。そして、ポツポツと話し始める。
「元々、ヨルは海外で生まれたんだよ。そんで母親に人身売買に出されたんだが、父親の方がどうしようもないヤツでよォ?」
嬉々として話し始める胡桃沢に、鬼島が眉をひそめる。胡桃沢の隣で話を聞いているであろう滝中は、やはり客同士のこういったやり取りに慣れているのか表情一つ変えない。
どこが見捨てられた気持ちになりながら、鬼島は胡桃沢の話を聞く。
「ヨルの父親は投資家で、海外では広く名前が知られてるようなヤツなんだが、クソみたいなペド野郎だ」
「……そりァ、救いがねぇな」
胡桃沢がイカてるだろ?と、鬼島の不快げな顔に嬉しそうに笑っている。
ペド、ペドフィリアとも呼ばれるそれは、一般的には小児性愛嗜好者の事を指す言葉だ。そんな一般社会において異常な性癖を、秋津の父親は持っていたらしい。
「そんなぺド野郎が、試しに当時18歳だったヨルの母親に手を出した。自分は成長した女という生物を抱けるのか気になったんだと。
金持ちの試しに、付き合わされた方からすれば溜まったモンじゃねぇが、起きちまった事は仕方ねェ。その後、妊娠が発覚した母親はヨルを産んだそうだ。産んだ後は、逃げる事を視野に入れながら、そのペド野郎に監禁つーか、まぁ養われてたんだと」
「母親は一般人だったのか?」
「ああ、母親は日本人で旅行に来た所を攫われて、売られ流れ着いた先がクソ野郎の所だったみてぇだな」
「随分と詳しいんだな?」
「まぁな、で。そんな時、三・四才になったヨルを、父親が犯そうとしたそうだ。未遂で終わったが、母親はこの事件を切っ掛けに逃げる事にしたんだと」
胡桃沢は滝中にタバコの火をつけさせ、話を一度切る。胸糞悪い話に、鬼島はいつの間にか肩の力が入っていたらしい。
ため息を吐くように、肩に力を抜いた。
そんな鬼島を見てか、胡桃沢がいつになく嬉しそうにしている。
この男も大概、人の事を観察しているものだ。
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