葬式

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葬式

 山梨の別荘は焼香の匂いに包まれていた。  普段は閉じられている門は朝から開いており、ひっきりなしに何台も車が出入りしていく。大勢の親戚や章太郎の旧友達が故人を弔おうと訪問に来ていた。 「このたびはご愁傷様です」 「心からお悔やみ申し上げます」  まだ冷たい風が吹く春先、章太郎の容体は急変した。夜中、ナースコールが響き渡り、バタバタと屋敷の中を動き回る足音が響いていた。隣で寝ていた文彰はオロオロするだけで、医者に早々と出て行けと追い出されたのだった。    部屋で覚悟を決めていると、兄弟達の声が聞こえて――最期のお別れも言えず、章太郎と今生の別れとなった。    死を悲しむ間もなかった。文彰は早々に、与えられていた自室を取り上げられたのだ。  葬儀に文彰は身内(息子)として出席を許されたが、愛人だと周囲はなんとなく察していた。受付や駐車場といった身内が任される仕事もなく、実の息子や娘から冷たい視線をぶつけられながら、身を縮こまらせた。  明日は告別式があり、それは都内の某会場で大きな献花台を準備されるらしい。そこに文彰は参列を許可されていない。告別式は財界人やらメディア界の重鎮も来るような規模なのだ。章太郎の愛人=汚点である文彰を、香園家は秘匿しようと必死だった。  とにかく世間体が悪いと長女の薫子など喚き散らし、葬式が始まって早々、別荘の荷物置き場のような場所に追いやられてしまった。  焼香の匂いが漂ってくる荷物置き場で、座布団は重ねられて乱雑に置かれていた。その合間に挟まるようにして、文彰は膝を抱える。高く盛り上がった座布団に体を傾けてぼんやりとしていると、襖越しに歩き回る足音やヒソヒソ声が聞こえてきた。 「――さん、あの人を追い出すって」 「ああ、かいとさんも――って」  厳かな葬式の裏で動き回る使用人達は口もよく回る。話ぶりからどうやら、文彰の処遇を聞いた使用人が噂しているらしい。特に驚きもなく、荷物置き場で体を丸めた。  文彰を追い出す話は章太郎の存命時代からあった。床につく章太郎に、実の子ども達は文彰との養子縁組解消を迫っていた。体が動かなくなっても、どんなに言われてもがんとして首を立てに振らなかった章太郎がもう、いないのだ。 「……」  文彰はそこでやっと、章太郎の死を実感した。  養子(愛人)になって数十年。文彰は71歳になっていた。年相応に老いた体は弱まり、腰も曲がった。だけど時が止まったような、奇妙な若々しさを保っていた。章太郎から無制限に与えられる金、食、装飾品の数々のせいか、文彰の生活は怠惰を極めていた。あれが欲しい、これが食べたいよ、パパ……文彰の甘えをいつでも受け止めてくれた。  遠い昔に強請ったロレックスも、今ではそこまで惹かれない。同じか、それ以上に良い時計を沢山知ったから。せこせこと集めて節約の生き甲斐になっていたクーポン券。もう何十年も使っていない。パパが美味しいもの、高い物、なんでも与えてくれたから。 「――生きていけるのかしらねぇ」  不意に襖の隙間から聞こえてきた囁き声に、文彰は力を無くした。高齢者とは思えないほど肌つやがよく、手など気味が悪いほど皺がない。章太郎が苦労させまいと、身の回りの事は全て使用人にやらせてきた。文彰が動く時は章太郎が用意した竿役に騎乗位で腰を振っている時くらいだった。  金とセックスだけを与えられてきた。  その結果、文彰は無力な老人と成り果てていた。 「パパぁ」  ぽつりと呟かれた声は弱々しく、べたりと粘ついていた。与えるだけ与えて、甘やかすだけ甘やかした男は天寿を全うした。一人残された愛人は、ぽろぽろと涙をこぼすが、誰も慰めてくれない。  章太郎が存命であれば、すっ飛んできて「どうしたの?」「どうしたのふみちゃん」と背中を撫で、抱き締めてくれた。欲しい物を何でも買ってくれた。もう満足させられないからと、硬くて太い竿も連れてきてくれて……誰も頼れず、庇護されず、どうやって生きて行けばいいのか。  涙も引っ込み、これからの生活で頭がいっぱいになる。いっぱいになるだけで、何も考えなくていいんだよとパパに教えられた頭はぼんやりとしていて、良い解決策が見つからない。  兄弟達に土下座して、ここで使用人として働かせて貰うか。でも思うように体は動かないのに。そもそも、兄弟達は文彰を忌み嫌っている。同じ空間にいるのも耐えられないと、こうやって葬式を追い出されてしまったのだ。特に末の天外など、まだ葬式に到着していないが彼の恨みや怒りは恐ろしく、できたら顔を合わせたくないのだ。でもここを追い出されたら自分はどうやって生きていけば…… 「パ、パパっ、パパっ、助けてぇ」  突っ伏しながら、章太郎に助けを求める。極限まで甘やかされて、思考力を失った老人はガリガリと畳に爪を立てた。パパに助けを求めるが、決してパパの後を追うなど考えていない。死ぬのは嫌だ。苦しそうだし。でもこのまま生きて、今までの生活水準を落とすのも嫌だ。できたらここに住まわせて貰って、できたら今までの生活そのままで過ごして行きたい。  老いた愛人は、自分に都合の良い夢のような展開を願う。今までそれを、叶えてきて貰えていたから。 「あ、いた」 「……っ」  すっと襖が開き、体を起こす。目の前には竿役――喪服姿の美青年が入ってきた。 「追い出されたんですか?」 「……ぇ、あ……うん」  同情してくれるのかと思ったら、青年は楽しげに笑い声を上げた。文彰は怯えから、目を見開く。いつも微笑みを絶やさない、穏やかな若者というイメージだったのが、場違いな笑い声を出すものだから薄気味悪い。切れ長の美しい目が細まり、小動物をいたぶるような目をしていた。 「あ、あ……あの」  襖を締めると、青年はどかりと腰を降ろす。線香の匂いが漂ってきた。 「ねぇ」   今まで「ねぇ」なんて、ぞんざいに呼びかけられることなんてなかった。労るように微笑んで腰に手を添える優しい青年の姿はどこにもなく、嗜虐的な目があった。 「俺の名前、知ってる?」 「へ……」  知るわけない。竿役の青年は章太郎が連れてきて、彼は「竿だよ」と紹介してきた。それっきりで、文彰は彼の名前を知る事もなかったし(興味がなかった)、知ろうともしなかった。  あの、とかその、と話しかければ相づちを打ってくれて、硬いペニスを突っ込んでくれる若者。それだけだった。  言葉に詰まった老人を前に、青年は陽気そうに笑った。 「そうだよね。あんた、そーいう人だよね」 「……」 「ねぇ、これからどうするの? どうやってあんた、生きてくの?」  あんたとまで言われて、面と向かって軽んじられる。でも文彰には怒ることができない。オドオドとしながら、口ごもった。 「噂だけど、あんたの事追い出すって」  聞いていた。 「贈与されたもの全部返せって」  それは困る。 「養子縁組解消されるんじゃない?」 「……ぅぅ」  乾いた目から再び涙がこぼれ落ちていく。ぞっとするほどハリのある頬に生暖かい体液が伝った――若い男を咥え込んできた文彰は若々しさを保っていた。力は弱っているのに若いまま。この奇妙な愛人を、青年は値踏みするように見つめた。 「ねぇ、どうするの?」 「わ……わから、ないぃ……よぉ」  青年は笑いを堪えきれず吹き出した。贅沢の限りを尽くされて、そして全てを取り上げられる(予定)の老いぼれを今なら――自分のモノにできるとにじり寄った。ひとしきり笑うと眉尻を下げて、悲しそうな表情を作った。 「可哀相だね。あんた可哀相な人だよ」 「ぅうっ……」 「ねぇ、香園家の人達もちょっと冷たいよね。あんたを身一つで追い出そうとしてるんだよ?」 「うぅー……」  他人に言われると、現実感が増す。パパ、助けて。お願い、助けて。心の中で縋り付くが、もう自分を気にかけ、ご機嫌を伺う父親はいないのだ。突きつけられるたびに章太郎の死を実感し、これからの生活を恐怖した。  どうやって生きていけばいい  一人で生活なんかできるわけない  誰か助けて 「――ね、俺と一緒に出る?」 「へ……」  見上げると、青年は慈しむような微笑を浮かべていた。昔の、章太郎が生きていた頃の笑顔に戻っている!文彰は縋り付いた。 「ぃ、いいぃい、の……?」 「うん、あんた可哀相だもん。一緒にこの屋敷出ようか。あんた、一人じゃ生きていけないでしょ?」 「う、うぅんっ、うん、うんっ」  手をぎゅっと握られて、涙が再び溢れた。若者の手が温かくて、胸に何かが流れ込んでくる感覚がした。この指に何度もアナルを好き勝手されて、痴態を晒してきた。でも今は、そんなのどうでもいい。彼が助けてくれるかもしれないのだ。彼が文彰の、新しい庇護者になるかもしれないのだ。 「た、助けて、助けてぇ」 「うん、助けてあげる。助けてあげるけど――条件があるな」 「うん、うん、何でも言って。何でもするよぉ」  この場で上手くいけば、彼が文彰の世話をしてくれる。そう考えて、とにかく彼の機嫌を取ろうと必死になった。 「なんでもするよぉ。そ、掃除とか、料理とか、なんでも、なんでもしますっ!なんでもするからねぇ!」 「ふふっ」  青年の笑みが深くなる。口角が耳まで届きそうで、口が裂けそうな笑顔だった。青年の頭は、この老人をどうしてやろうかと妄想でいっぱいになっていた。可哀相で可愛いこの年寄りを思うがままにいたぶれる。股間がテントを張っていた。 「じゃ――」  青年の条件は、荒っぽい足音にかき消された。ぎゃーとかわーっと悲鳴が聞こえる。嫌な予感がして襖の方を見ると、声がはっきりと聞こえてきた。 「どこだーーーーーーーー!!ふみあきーーーーーーー!!!出てこーーーーーいっ!!!!」 「ひぃー」  今一番、文彰が会いたくない、見たくない、聞きたくない男の声だった。
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