放課後の教室

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放課後の教室

 思い出すのは、匂いだった。  埃っぽい、いくら掃除しても取れない教室の匂い。あの日は、文化祭が終わって一週間くらい経っていた。授業が終わり、クラスメート達が思い思いに教室を出て行く中、窓から差し込む西日に颯太は目を眇めていた。  いつもだったら、放課後は図書室に向かうのが颯太の日課だった。国体は早々と負けて、さっさと引退してしまったから。引退した三年が部室に溜まっていると、後輩に気を遣わせてしまう――部活の苦々しい結果を忘れるように、図書室で勉強に打ち込んでいた颯太も、今日は教室に留まっていた。幼馴染みから放課後に、どうしても話があると言われてしまい、渋々居残っていた。  開けた窓から、運動部のかけ声が聞こえる。数ヶ月前の出来事が、遠くに感じた。 「っ、颯太!ごめん、急に呼び出されちゃって!」  ドアが開き、溌剌とした声の方を向く。きっちりと第一部ボタンまで締めた学ランに、すっと伸びた長い首。さすが、新入生のパンフレットに全身の写真を掲載される優等生だった。  生徒代表として挨拶をする央を、新入生が歓声を上げていたのを思い出し、苦々しくなった。 「いいよ……なに?」  急な呼び出し……きっと告白だろうなと、颯太は白けた目で見上げる。身長はとうの昔に差が付いてしまい、体格も比べものにならないほどだった。 「ごめんねっ、颯太!あの……」  教室に差し込む西日ですら、彼を輝かせるスポットライトに思える。央の怖いぐらい整った顔はもう小学生くらいの時から片鱗があり、クラスの女子達の大半は彼が初恋だろう。スポーツ万能、成績優秀なイケメン「あきらくん」として、モテモテだった。 『そうたくんってー、あきらくんのマネばっかりするよね』  ふと、嫌な事を思い出した。央と対峙すると、颯太はいつもこうだった。幼馴染みとして一緒に過ごしてきた時間が長い分、それだけネガティブな感情しか湧かなかった。 「だからなに」 「ごめん、いきなり呼び出して、ごめん。ごめんっ……」 「いや、いいよ……で、それで……?」  頬を染めた央が、後頭部を掻く。珍しく言い淀む幼馴染みに、颯太は首を傾げた。いつもクラスで、生徒会で、剣道部の主将として堂々としている央。彼が焦ったり、動揺する姿をあまり見たことがなかった颯太は、彼をじっと見つめた。  颯太の視線に気がついたのか、央が意を決して表情になる。 「っ……好きですっ!俺、颯太の事が好きですっ!」  窓から、運動部のかけ声と一緒に楽器の音がする。多分、吹奏楽部が窓を開けて練習しているのだろう。フルートの優美な演奏を聞いて、颯太は束の間の現実逃避に入った。  居残ったのが間違いだった。  颯太はどうして今日、央の言う通りにしてしまったのか、後悔していた。告白相手が醒めていることに気がつかないのか、央は涙目で颯太を見つめていた。 「あの、俺ずっと、ずっと……っ、颯太の事が好きでっ!一生懸命頑張る君が好きなんだぁぁ!」  央は顔を真っ赤にして、声を震わせていた。 「……」  颯太は言葉を飲み込んだ。どうして自分が、一生懸命頑張っているのか──原因を作っている当の本人は、美しい顔を赤く染め、期待で目を潤ませていた。  それから央はどもりながらも、颯太の「好きなところ」を挙げていく。半分も頭に入らない状態で、央を見た。  彫りの深い瞳に、美しさを左右する通った鼻筋は、職人が作った精巧な人形みたいだった。央は誰が見ても、どこから見ても「美しい」と手放しで絶賛されるだろう。これでクラスメート達から慕われ、教師からも可愛がられる優等生なのだから、天は二物を与えずとか嘘だと、颯太は恨みがましい気持ちでいっぱいだった。  どうして俺が一生懸命頑張ってるのか分からないのかーー? 「昔からっ……その俺!もう気づいた時には颯太の事好きになってた!颯太は昔から一生懸命で、影で努力する人って感じでっ!俺は颯太のそういうところが昔からーー」  無邪気な様子で語る央に、どうして自分が努力するようになったのか教えてやりたかった。原因は目の前で告白する──家族ぐるみの付き合いをしていた菊元家の次男、央の存在だった。  颯太はこの幼馴染みに、物心付いた頃から悩まされていた。  のどかな田舎で同じ小学校に通っていたが、気づくと央は何でも颯太の真似をしたがった。颯太が毎週楽しみにしているアニメはあれば、もちろん央も一緒に見るし、クラブから委員会、同じ道場にも通い始めた。  今だに央の真似っこは理解できなかった。小学校高学年くらいの時、どうして真似をするのかと颯太が声を荒げたところ「好きだから!!」と馬鹿デカい声で宣言されてしまった。  無邪気そうに「颯太が好きだから」真似をするという央。ただ真似をされるだけなら、颯太もギリギリ耐えられたかもしれない。  地味に嫌だったのが、央が颯太を必ず結果が上回る「上位互換」みたいな奴だったことだ。  成績、クラブ活動、部活動……全てにおいて、央は優秀な成績を収め、リーダーシップを発揮した。そうして颯太は常にぱっとしない成績、部活動での活躍、全てが央の影に隠れるようになってしまった。  どんなに努力しても、央には遠く及ばない現実を突きつけられて、それでも藻掻いていた小学生時代。決定的な出来事があった。 『皆と話してたんだよねー。そうたくんってさー、あきらくんの真似ばっかりするよねーって』  クラスの女の子に言われた。もう顔も名前も覚えてないクラスメートなのに、言われたことだけは覚えている。あの時、ランドセルに付けていたキーホルダーを指さしていた。  当時クラスで流行っていたものとは外れて、颯太は剣道をモチーフにしたキーホルダーを付けていた。父親が買ってきてくれたのを喜んで付けたら数日後、央も同じキーホルダーを付けるようになった。  いつもそうだった。家がご近所でも父親が大学教授、母親は街で人気の料理教室を開く菊元家とは経済格差もあり、颯太が欲しい物は必ず央が手に入れて、颯太が手に入れた物は央が簡単に所有してしまうのだった。  キーホルダーから服、ゲーム機、全て央が、颯太を真似をしているのに。それでも周囲からは、央に全てが劣る颯太が、央の真似をしていると見られていたのだ。 「す、すすす好きなんだぁ!そ、颯太はっ、颯太は俺の、こと……?」  それでも央に負けたくない──そんな気持ちで、今まで影ながら努力をしてきた。それが、この結果。一生懸命頑張るのが好きだと、原因の張本人が告白をしてきた。  一体、これは何の悪夢だろう。 「颯太の事がす、好きですっ!お付き合いして頂けませんか!?」  央がガバリと頭を下げる。罰ゲームの空気もなく(央は悪ノリする性格ではない)、教室は時が止まったようだった。そろそろと央が顔を上げると、期待に潤んだ目が、逆光になってそこだけ怪しく光っている。身長差のある央が一歩踏み出した時、颯太の体がびくりと震えた。  ぎらぎらと痛みを覚えるほどの視線に、颯太は怯えた。 「あの……ごめん」 「……」 「ご、ごめ、ん……あの、ごめん、その……無理です」 「ぉごぉおおおおおっうぐぅっ」  地鳴りのようなうめき声が響き、颯太は鳥肌を立てていた。分厚いレンズ越しに、大きな体を震わせて泣く男に、こっちが泣きたい。西日が照りつく教室で、颯太は冷や汗を掻いていた。 「ぉごごぅおぅぅおぅっ」 「あ、あの、ごめん、本当にごめん。その、央は幼馴染で、だからそういう気持ちになれないっていうか」 「ぉぉおおおおぅぅ!!」  地響きのような泣き声に、颯太の鼓動が早くなる。顔を腕に突っ伏して泣く男から響き渡る泣き声は動物みたいで──自分より何倍も腕力とか体重なんかがある動物と檻に閉じ込められた気分だった。今すぐにでも教室から出ていきたいのに、恐怖で足が動かない。 「おぉおおおおおお!!!!」 「……」  おいおい泣く幼馴染の前で突っ立っていると、嗚咽交じりの声がした。 「ぞ、ぞぞ、ぞうだぁっ!」 「……はい」 「と、とどっ、どもだっち、友達でぇ、これからもいて、ぐぐっ、ぐれるぅ?」 「……」  それは颯太のセリフじゃないのか。まるで先手を打たれたようで、すぐに「はい」と言えなかった。黙りこくっていると「ううぅうぅぅ!!」と獣の唸り声がした。 「ぞ、ぞうだぁっ!」 「あ……うん……はい……友達で……」 「ぞうだぁ!!」  央ががばりと顔を上げる。颯太は思わずたじろいだ。西日と混じり、目から異様な光が溢れていた。飢えた、何かを渇望するような目──学ランの上から体を舐め回すように見られ、体が震えた。 「ぁ……」  やっぱり断ろう──これを機に、央から距離を取りたい。なけなしの勇気を出そうとした時だった。「央くーん!」と弾けるような声。ホコリ臭い教室に、ふんわりと甘ったるい香りが漂ってきた。 「……ぇ」  教室のドアが開き、数人の男女が入ってきた。男子は髪をワックスで逆立て、女子はスカートを折り曲げている。全員、クラスで権勢を振るう一軍グループ。颯太が恐れる央の友人たちだった。 「央君、頑張ったね! 偉いよー!」 「央、泣くなよぉ。みんなお前の頑張り聞いていたから。な、カラオケ行こっ!」 「央かっこよかったよぉ!」  颯太は体の震えが止まらなかった。進学校の制服を着崩し、自由気ままな振る舞いをする陽キャ集団。誰も颯太がかけている度の強い眼鏡なんか死んでも付けないだろう。  女子はもらい泣きし、同性は央の肩を組み、慰めている──舞台客の一人になったような、颯太はその美しい光景を見つめていた。 「ねっ! カラオケ行こ!」 「央君の良さを分かってくれる人、いっぱいいるからね!親友の私が保証する!」 「そうだよ、苦しい事があれば俺たちに言えよ。仲間だろう?」  仲間、友情、親友──恥ずかし気もなく、大真面目に語る集団の中で、主役が笑顔をとりもどした。 「あ、ありがとうっ! みんなぁ!颯太も、颯太も変わらず友達でいてくれるってっ!」 「よかったね!央君!」 「みんなでカラオケ行こうよぉー! 柚木君も行くよね!」 「あ……あ……」  颯太が返事をする前に、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった男が勢いよく頷いた。 「うん!颯太っ!行こう!」  腕に太い指が食い込む。じっとりとした暑さが伝わってきて、颯太は唇を噛んだ。  央を取り巻く誰か、一人でもいいのだ。颯太を糾弾する人間がいたらよかったのに。央の友人達は皆性格ができていて、央を慰めながら、颯太を気遣った。居心地の悪さを感じていたのは、颯太だけだった。カラオケが盛り上がる中、メニューを見つめて俯いていた。  後日、央がフラれたという話は、クラスメート全員が知る事となった。でも誰も、颯太を責めたりしない。いつも通り、央君、央君と纏わりついていた。   央は相変わらず教室の中心として輝き、告白を断った颯太は卒業まで、教室の隅で息を潜めていた。
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