歓迎会

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歓迎会

 店員の間延びした独特な挨拶に、グラスがぶつかり合うような音が聞こえる。居酒屋の喧噪に、颯太(そうた)の心は早速浮き足立っていた。足を踏み入れた居酒屋の狭いシューズボックスに靴を入れた時、古い木々の匂いがした。  歩くたびにギシギシと鳴る廊下を突き進んで行くと、頭巾を被った店員と目が合う。 「陽東(ようとう)大学のお客様でしょうかー?」 「ぁ、は……はぃ……」  団体客用の座敷のテーブルに案内され、颯太はペコペコ頭を下げながら席に着いた。既にテーブルには先輩数人が座っており、入学式でチラシを配っていた副部長が「あー!」と声を上げた。 「お、お疲れ様で、すっ」 「お疲れー!新人君?」 「今日の主役だねー!何呑む?」 「ぁ、あ、あの……」  何を頼めば良いんだろう。というか、ここで先輩に向かって烏龍茶とか言って良いのか分からなかった。颯太は小学生の時から続けてきた剣道で、礼儀作法と上下関係をきっちりと叩き込まれている。先輩と気安く会話する術を持てなかった颯太は、言葉に詰まった。 「うん? 何がいい?」 「……ぁ」  約9年間続けた剣道を捨て、入った散歩サークルは緩い空気が漂っていた。颯太が理想としていた場所に来れたのに――口を開く前に、後からやってきた新入生が「烏龍茶で!!」と声を張り上げた。 「新入生はとりあえず烏龍茶で!お願いしまーすっ!」 「りょうかーい」  振り向くと、にかっと白い歯を見せて微笑む同期だった。名前は知らない。見かけたこともないので、学部も違うのだろう。ぽんっと肩を叩かれ「よろしくね」と言われた。 「ぁ、あ……はぃ……」 「あはは、なんで敬語なん? タメでしょ?」 「……ぃ」  返事をすると、同期はなんとも言えない表情をしていた。颯太にはこの顔は見覚えがある。教室の机で一人、勉強する颯太を「可哀相」だと気遣って話しかけてくるクラスメートが今まで何人もいた。 「あ、そっか……」  颯太のかき消えそうな声と、始終下を向いた態度に、お手上げといった顔をする。友人が今までまともにできなかったのは、自分の性格に原因があることは19歳を迎える年になれば、さすがに理解できる。 「じゃ、新入生は最初、ここのテーブルに座ってー」 「はーい」  ぞろぞろと移動し、座敷の中央テーブルに新入生がかき集められる。颯太は両隣を男女に挟まれて、身を縮こませて正座になった。 「烏龍茶どーぞ」 「……ぁ、あ」  ありがとうございます。と言いたかったけど、既に同期は先輩に話しかけられて、盛り上がっていた。徐々に人が集まり始めたサークルの歓迎会、颯太はグラスを見つめた。烏龍茶が注がれたジョッキは水滴が付き、ひんやりとしていた。  徐々に、周囲と颯太の周りに「膜」ができたようだった。颯太に覆い被さって、周囲から見えなくしてる。その証拠に、颯太の両隣に座った新入生は、それぞれ別々の方向を向いてお喋りに夢中になっていた。  眼鏡をコンタクトに変えた。  髪は表参道で染めた。  服も渋谷のセレクトショップで選んだ。  でも誰も、颯太に関心を払わない。 「じゃあ、皆集まったところで!まずは新入生の皆さん、陽東入学おめでとうございまーーす!」  部長の音頭と共に拍手が起こり、颯太もワンテンポ遅れて手を叩く。 「また、陽東の散歩サークルに入部おめでとうございます!部長として沢山の新入生が入ってきてくれて嬉しいですっ!うちはインカレなんで、他大学のお友達も誘って都内のお散歩楽しみましょー!」  部長は鼈甲色の眼鏡をかけた、垢抜けた男子学生だった。人懐っこい笑顔が親しみやすそうで、新入生の間で安堵したような空気が漂い始める。颯太がそっと周りの先輩達を見渡すと、男女共に流行を抑えた、洒脱な格好をしていた。 「それじゃ、かんぱーい!」 「かんぱーい!」  部長がビールジョッキを掲げる。サークルメンバーがグラスを持ち、颯太もおずおずと腕を上げた。周りの新入生とおそるおそるグラスを合わせて、烏龍茶に口を付ける。当たり前だけど、どこにでもある烏龍茶の味。だけどなんだが、違う気がする。そっとメニュー表を見つめた。表面に薄い傷が付いたラミネート加工のメニュー表に、ドリンクオール299円とある。ソフトドリンクで200円超えるのは高くないか。これが東京なのか。 「……すごい」  飲み会に指定された新宿の居酒屋は全国展開しており、颯太の故郷である福岡にももちろんある。だけど颯太はメニュー表をまじまじと見つめていた。  初めての大学、サークルの歓迎会、夜の新宿……鬱蒼とはしている颯太だったが、初めての大都会に胸を躍らせていた。颯太の生まれ育った場所は、福岡といっても都心部の博多から電車で二時間離れた、のどかな場所だった。  進級するのは同じ顔ぶれのクラスメート、代わり映えしない寂れた駅、そして…… 「……」  ぞっとすることを思い出し、グラスを傾ける。記憶にへばりつく「影」に、ぶるりと肩を震わせた。  今「あいつ」はいない  ここに「あいつ」はいない  しっかりしろと、心の中で何度も言い聞かせる。「あいつ」がいない、自由な空間で息を吸えると、深呼吸をした時だった。「えーっと」と声がした。 「隣、良いですか?」 「っあ、あ……はい」  さっき、斜め前のテーブル席に座っていた女子学生だった。颯太は必死にサークル初回時の自己紹介を思い出す。ブラウンの髪をゆるっと巻いた女の子。確か学部は環境学部の…… 「……下田さん?」 「わー、嬉しい!名前覚えててくれたんだぁ!」 「ぁ、は、はい……」 「下田(しもだ)柚葉(ゆずは)です!よろしくね~」  颯太の額から汗が噴き出していた。下田はニットのノースリーブを着ていたが、縦縞模様が盛り上がった胸で楕円形になり、気を抜くと視線が胸に吸い込まれそうになる。  どうしてこんな可愛い女の子が、話しかけてきたんだろう。大学デビューしたが、中身は何も変わってないのは自身が一番理解している颯太は、視線を彷徨わせていた。  下田が横髪を耳にかけた。女の子っぽい仕草を間近で見てしまい、心拍数が一気に上昇する。彼女は颯太の疑問に答えるように「柚でしょ?」と照れたように微笑んだ。 「名前に柚って文字が入ってるな~って。だから声かけちゃった!」 「あ、あ~……あはは……」  喉が異様に乾いて、グラスを握りしめていた。 「あ、あ、ありがとう……」 「うん」  二人の間に沈黙が落ちる。ざわざわとした周囲から切り離されたような、微妙な空気が流れていた。 「……」  颯太は初対面の人間と雑談する能力を持っていない。虚空に向かって「あー……」と言っていたら、下田が口を開いた。 「……柚木君って、地元は東京?」 「あ、いや……九州、の方。福岡……下田さん、は?」 「私は横浜。九州って珍しいねぇー。同期に同じ高校の人とかいるの?」 「あー……」  確かに、都内でパッとしないこの大学に来たのは自分くらいだろう――陽東大学は都内の中堅私立大ポジだが、特質する学部もなく、第一志望にする受験性は少ないだろう。  颯太は希望の第一志望に落ちた、第二志望に、第三志望に、落ち続けていった。そうして第四志望の陽東から合格を貰った時、自由になれたと泣いたのだ。不安よりも開放感を味わった。だって「あいつ」がいないから。少しでも遠くに、彼の存在を感じない場所に行きたい―― 「た、確かに……高校の同級生も……地元とか、関西に出る人、多くて……」 「そうだよねー」  グラスについた水滴が落ちて、手が濡れていた。  異様に緊張した喉を潤そうと、颯太は烏龍茶をあおる。下田が笑いながら「言い飲みっぷりー!」と笑顔を見せた。 「あ、はは……」  いつまでもリラックスできない。目の前にある、ニットがはち切れそうな胸にドギマギしていた。 「……高校は、あんまり……いい思い出なくて……」 「そうなんだぁ?」 「勉強もきつくて、部活もがっつり、やる感じの……」 「部活? 何やってたの?」  じっと見つめられて、颯太の喉が鳴る。紅茶色の瞳はカラコンを入れているのか、髪の色と似合っていて、全体的に垢抜けている。まさかこんな、可愛い女子と自分が話しているなんて。  分厚い眼鏡をかけて、机で英単語帳をめくっていた高校生の頃を思い出した。 「あ、あ……け、剣道」 「えー、かっこいい! だから姿勢とか綺麗なんだね!」 「あ、や、ぜ、全然、全然そんなっ、あ、でもインターハイとか、えと俺は地区予選でっ」 「うんうん」  颯太は団体戦に選ばれたが、活躍していたのは「あいつ」だ。一年生で選抜されて、インターハイ出場も決めて、主将にも満場一致で選ばれた。颯太が小学3年生の時から剣道を始めた事を人づてに知ると、同じ地元の道場に通い始めた「あいつ」。いつもそうだった。後から後から、颯太と同じことをして、颯太を追い抜いていく「あいつ」。 「――君? 柚木君?」 「あ、ご、ごめんっ、ごめんっ、ぼーとしてて」  「あいつ」はいない。ここにはいないのに。颯太は亡霊に悩まされるように、周りを見渡す。似たような、体格の良い同姓を見ただけで緊張が走る。でもよくよく見れば、顔など似ても似つかない。ほっとして、烏龍茶を流し込んだ。 「あはは、酔った?」  冗談っぽく問いかけられ、笑みがこぼれる。やっと肩から力を抜くことができた気がした。 「あー、あはは、だいじょうーー」  柚葉のことがもっと知りたい。問いかけようとした時だった、出口付近から歓声が上がる。彼女が何気なく振り向き、颯太も目を向ける。体が石のように硬直した。 「おー、来た来た!主役ぅ!」 「えー、部長だれですか!?イケメン!!」  部長が肩を叩く相手に、サークルメンバーの視線が集中する。スタイルの良い長身に、はっと目を奪われるような美貌。男子学生はぽかんと口を開け、女子達は高揚したように声を上げた。 「えー!! 誰!?」  さっきまでと違う、語尾の上がった歓声に、颯太は地底に突き落とされた気分だった。見つめ合っていた瞳が眩しげに細まる。視線を浴びた中心の男は「遅れてすみません!」と溌剌とした声だった。 「紹介しまーす!栄橋(さかえばし)大学の菊元(きくもと)央(あきら)君です!うちのサークルに入りたいって連絡くれてー……あ、そうだ柚木君、友達なんだよね?!」 「……っ」  部長に声をかけられ、体がびくりと震える。いや、違います。全然知らない人です、赤の他人です……言えたらどんなに良かっただろう。口を開く前に「そうなんです!」と明朗な声が、座敷に響いた。 「颯太の親友の、菊元央と言います! 彼とは小中高一緒で、部活からクラスまで全部一緒でした! 大学はこうやって離れてしまいましたが、サークルでは颯太と一緒に楽しめたらと思います!よろしくお願いします!」  がばりと頭を下げると、割れんばかりの拍手が起きた。イケメン、かっこいいという賛美の中に、栄橋大学!?と驚愕の声も混じる。都内難解国立大の栄橋大学。颯太の第一志望だった。 『颯太、栄橋目指してるの? じゃぁ俺もそこ行くね!』  白い歯を見せた笑顔で、進路表を覗き込んできたあの日。自分が合格することは無いだろうと踏んで、受験した。そうしてやっと、央と離れられると思ったのに―― 「ぁ……知り合いいたんだね」 「い、いい、いや、あの、えと……」  何気なく柚葉に問われ、言葉に詰まる。これ以上関わりたくなった。逃げる気持ちで、この大学に入学したのに。唇を噛んでいると「そうたぁ!」と馬鹿でかい声で呼ばれた。 「あ……」 「隣、いい?」  当たり前のように問われ、血の気が引く。助けを求めるように柚葉を見たが、にこやかに頷かれた。 「どーぞどーぞ」 「ありがとうございます!」  颯太の目の前で二人が一瞬、見つめ合う。やめろ、やめろ、やめてくれと、この場で喚きたくなるのを堪えて、颯太は下を向いた。下田はにこやかに手を振って、女子グループのテーブルに行ってしまった。 「……なんで」  ここに来た?  恨みがましく幼馴染みを見上げると、央は密着するように腰掛けた。 「へへ……お散歩サークルに入るかもって、メディスタで呟いてたでしょ?だから陽東で探したんだー!」  メディスタは主に写真や動画をアップロードするSNSで、高校のクラスメートはほとんどやっていた。周りに合わせるように颯太も始めたが、いいねを付けてくれるのは大体2~3人で、必ずいいねを付けるのは幼馴染みの央だけだった。 「……あらかじめ言って欲しかった……」 「サプライズっ!」  ずしりと肩に重みを感じて、颯太の眉が歪む。体格差のある央に腕を回されると、体が沈み込むようで負担を感じる。それに体だけじゃない、央の言動にはいちいち不安を掻き立てられた。 「そうた……」  耳元でぼそりと名前を呼ばれて、ぞわりと鳥肌が立つ。颯太は央の「こういうところ」が、受け付けきれなかった。まるで気心が知れた友人のように振る舞うが、密着する肉体は熱でも発しているのか暑いし、颯太の肩を掴む手はじっとりと汗を掻いているのが伝わって不快だった。 「……暑いから」 「あ、ごめんっ!ごめんね!……なんか頼もうか!」  ぱっと腕が離れる。物理的に距離を取っても、央の視線がうっとうしい。メニュー表を見るフリをしながら、颯太の様子を伺う様子にげんなりした。    大学が離れたら自由になれると思ったのに    どうしてサークルまで追ってきた    どうして隣にいるんだ   「あ、ここ颯太の好きなバターコーンあるよ!頼むね」  笑顔を浮かべる央の横で、颯太の意識は暗い記憶に落ちていった。  
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