若気の至り

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若気の至り

 人間ドックの業務が終わり私服に着替えた明子は、勤務先の病院のロビーで男性に呼び止められた。旧姓で呼ばれたため初めは気づかなかったが、 「覚えてる?」 と声を掛けてきた男性の顔には見覚えがあった。 「山……ちゃん?!」  山田だったか山村だったか……。  正確な名字までは思い出せなかったが中学時代の同級生の男の子。いや、もう男の子ではないのだが…… 「そう!山川!覚えててくれたんや!」  明子は曖昧に微笑んだ。名字は忘れていたが覚えている。  中学の頃、1年と2年だったか、1年と3年だったか、同じクラス、同じ委員をしていたため結構良くしゃべっていた男の子だ。 「久しぶりにこっち帰ってきて、ちょうど自分のこと思い出しててん。会いたいなぁって!マジで会えるて思てなかった!神様って居んねんな~」  大げさに叫ぶ山ちゃんを見て明子は笑った。 「私、看護師になってここで働いてんねん」 「そうなんや!俺、今名古屋に住んでんねんけど、親父が入院することになったからちょっと様子見に帰って来てん」 「え、何科に入院してはんの?」 「整形外科。転んで足折ったって。本人は大したことないっていうけどやっぱり年やし。ちょっと心配で…でも手術も必要ないみたいで安心したわ」  山ちゃんの言葉に明子は心の底からホッとした。  病院で知り合いには会いたくない。本人が病気だったり、家族が病気だったり、何にせよここで会うというのはあまり良いことではないからだ。明子は勤務先で知り合いに会うことをいつも畏れていた。 「そっかぁ。でもお大事にな」  全然元気やったけどな、と笑う山ちゃんは記憶の中の少年ではなくおじさんになっていた。でも良い年の重ね方をしたのだなと思える素敵な笑顔だった。    二人はそのまま近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら話した。あの頃の若々しい気持ちが自然と甦ってくる。昔話で盛り上がり明子は楽しい時間を過ごした。 「じゃあ土日は休みなんや?」 「うん。今は人間ドックで働いてるから。パートみたいなもんやねん」  この病院の人間ドックは遅くとも午後3時には看護師の業務はほぼ終わる。病棟勤務の時のような夜勤もない。何年か前から明子はフルタイムで働くのを辞めた。急な欠員が出たときには別の部署にヘルプに入る事もあるが今は時間に余裕のある働き方をしている。 「仕事ばっかりっていうのも何か嫌になって……今旦那も単身赴任中やから結構家事も楽してんねんけどな」  笑いながらそう話すと山ちゃんが急に真顔になった。 「あのさぁ、俺、中学の卒業式の日に自分に告白してんけど……覚えてる?」  明子は驚いた振りをした。   「えー!そうやったっけ?もう何年前よ、35年?!そんな昔のこと覚えてへんわー」  嘘だった。本当は覚えていた。  確かに中学の卒業式の日、明子は山ちゃんに告白された。そして「友達としか思えない」と返事をしたのだ。  しっかりハッキリ覚えている。 「いや、全然忘れてくれてる方がええねん。むしろ忘れてて欲しいわ。俺、振られたのにあの後制服の第二ボタン、自分に送りつけたりしたから」  山ちゃんは恥ずかしそうにそう言って笑った。 「若気の至りやなぁ……今思い出しても死にたくなるわ~」  頬を染めながら話す山ちゃんを見て明子も思い出してきた。そうだ、第二ボタン。そう言えば手紙と共に送られて来た。アレは今どこにあるんやっけ? 「恥の多い人生やなぁ……でもせっかくこうして会えたんやから恥は掻き捨てよかな……」  山ちゃんは小声で囁くと、鞄から封筒を取り出した。 「俺、日曜までこっちに居んねん。明日土曜日やから仕事休みやろ?良かったらコレ……」  渡された封筒の中には大阪で開催される展覧会のチケットが入っていた。明子が昔から好きな日本画の大家の作品が展示されるようだ。 「知り合いの代理店さんがこっち帰るなら見に行ったらってくれてん。自分、昔この画家さん好きやって言うてたやろ?こんな偶然ないと思うねん。これは誘えって神様が言うてるんちゃうかと思って。だから……もし良かったら一緒に行こう。11時に会場で待ってる。来てくれんでもええねん。全然ええから……」   山ちゃんはそう言うと明子の返事も聞かず、伝票を持って逃げるように席を立つ。明子は渡された封筒を手に、そんな山ちゃんの後ろ姿を呆然と見つめていた。  喫茶店を出て家に帰った明子は、ついこの間母親の終活とやらで持ち帰らされた、結婚当時実家に置きっぱなしにしていた子供の頃からの思い出の品々を確認してみた。そうだ、思い出した。 (たぶんこの中や……)  それは中学生の頃、技術家庭の時間に作成した留め金の付いた木箱。留め金のひねり金具には小さな南京錠が付いているのだが、その鍵がどこを探しても見つからず何十年も開けることなく放置していたのだった。  明子はドライバーで留め金のネジを回した。鍵がないなら留め金ごと外してしまえばいい。  年期が入っているため回らないのではないかと思いきやネジはスルスルと取れた。明子は自作の不格好な木箱の蓋をゆっくりと開けてみた。 (やっぱり……)  中には、中学生の男の子らしい文字で明子の実家の住所が書かれた封筒が入っていた。  封筒の中には山ちゃんの第二ボタン。そして『迷惑だろうが記念に貰って欲しい。捨ててくれても構わない。出来ればこれからも今まで通り友達でいて欲しい』という内容が書かれた短い手紙。  予想外だったのは木箱の中には明子が書いた山ちゃんへの手紙も入っていたこと。  投函はしなかったようだが、どうやら明子は山ちゃんから贈られた第二ボタンと手紙に対する返事を書いていたらしい。全く覚えていない自分が書いた手紙。  明子は封を開け恐る恐るその手紙を読んでみた。    『山ちゃんのことは友達として大好きです。  でも今まで通り友達として付き合っていくのは無理そうです。 だってもう山ちゃんの気持ちを知ってしまったから。  今まで通り友達にとして付き合えるようになるのは、山ちゃんに私以外の好きな女の子が出来た時だと思います。  早くその日が来ることを願っています』  明子は静かに手紙を封筒に戻すとため息を付いた。 (若気の至りか……)  出さなくて正解だったと15歳の自分を誉めてやるべきなのか、優越感に満ち満ちた15歳の自分を詰るべきなのか……やれやれ。  これがもし自分の娘のことだったなら「若いなぁ…」と微笑ましく思えただろうに。  自分のこととなると羞恥心と嫌悪感で居たたまれなくなるのは何故なのだ。若い頃の自分とは誠に厄介なモノである。    木箱の中には南京錠の鍵も入っていた。    15歳の自分が封印したのなら50歳の自分もそうしよう。やっぱり山ちゃんの想い出は15の明子のままがいい。    明子は、山ちゃんの第二ボタンと出さなかった自分の手紙、そして先ほど貰った展覧会のチケットをそっと木箱にしまった。勿論南京錠の鍵も。 (今更15の自分と張り合うこともないか……)  苦笑いしながら明子は若気の至りを封印すべく留め金に手をのばした。
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