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それは、異様な空気だった。同じ言葉を何度も何度もぶつぶつ呟きながら繰り返すようなった京弥。僕がいくら呼びかけても一切反応がない。しまいには。
「あわなきゃ」
彼はぽつりと僕に告げて、そのままドアを閉めて鍵をかけてしまったのだった。僕はあっけに取られて、ドアの前にで立ち尽くすことになった。まるで拒絶されたかのよう。怒られる可能性や泣かれる可能性は考えていたけれど、さすがにこんな異様な雰囲気になるなんて予想もしていなかった。
これはひょっとすると、まずいことになったのかもしれない。僕はそのまま四階の自宅にとんぼ返りしたのである。そして。
「あ、兄貴!大変だ!京弥が……!」
兄に、事の結果を報告した。すると、兄は目をまんまるにして言ったのだった。
「ん?え?……京弥って誰?」
恐ろしいことに。兄は、僕に話した“エイプリルフールに言ってはいけない嘘”の話を覚えていなかった。そして、二階に住んでいる片倉京弥と言う少年のことも。
後日、はっきりしたことがある。
片倉家からは“小学生の息子”の存在が消えていた。あの家には高校生の姉しかいない、そういうことになっていたのである。そして、あの家ではハムスターの“きなこ”を飼っていた。そう、死んだはずのきなこが、京弥のかわりに家のケージに戻ってきていたのである。彼等はそれを、昔から当たり前だったことのように受け入れていたのだった。
ああ、本当に後悔しかない。
どうして気づかなかったのだろう。――誰かが生き返るなら、その代償に誰かがいなくなってもなんらおかしくなかったというのに。
僕達一家は、僕が大学生になってから一戸建てを購入して引っ越すことになった。片倉家とは、それ以来会っていない。
ただ、年賀状は送られてきている。家族と、それからペットの写真を写した年賀状が。
戻ってきた死者は、本当に“そのもの”なのだろうか。
少なくとも僕が二十二歳になった現在まで、ゴールデンハムスターのきなこは生きている。
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