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【松を挟んで】【浜松の三英傑】
冬枯れの田を前に焚火に当たる人足さん達と旅人とねえや。
この一瞬だけの人の交差、寒々しい景色でありながら温もりを感じるのは、焚火のせいだけではないようです。
【松を挟んで 左】
背中まで着物をまくった人足さん、大胆な温まり方ですね!着物越しよりも直接肌を温めた方が早く温まるんでしょうね。
上機嫌で鼻歌の一つも聞こえてきそうです。煙管の煙が♪マークにも見えてきます。
そのお隣さんが焚き火に向けた手の平の位置と、背中丸出しさんの立ち位置がだいたい同じ。という事は、温まるにはこの位置が丁度良いんでしょうね。この二人の位置から、見えないはずの焚火の熱気が見えてくるようです。
背中を向けてる人足さん、今来たばかりでしょうか。脇を締め、身を縮めている後ろ姿から「う~さぶさぶさぶ」という声が聞こえてきそうです。それにしてもお尻は冷たくないんでしょうか?
松の木から顔だけ出してる人足さんも良い味出してます。
【松を挟んで 右】
広重『東海道五拾三次 浜松・冬枯ノ図』,保永堂. 国立国会図書館デジタルコレクション加工済み
煙管を持つ旅人はこの焚き火から火を貰ったようです。言葉を交わしているのか、彼らの話を聞いているだけなのかはわかりませんが、口元に笑みが浮かんでいます。
焚火と人情、あたたかいものに触れると自然と体の緊張も解けますね。
右手からは、この付近の子守のねえやでしょうか。赤ん坊を背負った少女が歩いてきます。持っているのは竹の棒。この先に鈴や風車を取り付けて遊んでいました。取り付けるものによって「かざぐるま」や「鈴棒」と呼ばれていたようです。棒の先は見えませんが、何か取り付けて背中の子供をあやしていたんでしょうね。
こちらから耳の裏が見える程、顔だけ旅人の方を向いています。竹の棒を握りしめているのは緊張しているのかもしれません。勝てるはずもないのに背中の赤ん坊を守る姿勢にも見え、いじらしくなります。旅人の笑顔を見てちょっと安心したかな?
平和でおおらかな時代といいつつ、弱者にとってはやはり辛い面もあった時代なのだと改めて思います。
少女とすれ違う時、旅人は軽く会釈するだけかもしれませんし、「気を付けていきなさいね」と声をかけるかもしれません。
人足さん達も黙って行き過ぎるのを見守るか、「寒いね、ちょと当たっていくかい?」と、もしかしたら焚火から焼き芋を取り出して少女を喜ばせるかもしれません。
少女は足早に立ち去るかもしれませんし、恥ずかしそうに焼き芋を齧るかもしれません。
この後の様々なパターンの場面が想像されます。皆さんはどのように見られましたでしょうか。
この土地に根を下ろしている者、目的地を目指し行く者、この土地の未来を担う者、冬枯れの田の前でもう二度と揃う事の無い組み合わせのすれ違い、焚き火の温もりと共に、見る者にもう一つ「何か」を感じさせてくれる一枚かなと思います。
【浜松の三英傑】
戦国時代の三英傑といえば『信長、秀吉、家康』ですが、浜松の方は三英傑なんて言葉も無用なほど『家康、家康、家康』だそうですとコメントで教えて戴きました。
浜松の方なんて熱狂的!と思いました。でも、よく考えてみれば、この土地のお殿様だった人が乱世を征して江戸幕府を開き、日の本一の偉い人になっているんですもんね。自慢に思う気持ち、わかるような気がします。
誰しも心の内で薄っすらでも自慢に思ってる郷土の偉人っているんじゃないかなと思います。
私は松陰先生は呼び捨てに出来ない事に最近気が付きました(^_^;)家族で話していても、松陰先生がさ~、のような感じです。
皆さんの自慢の郷土の偉人、尊敬する偉人、教えてください😊
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