43人が本棚に入れています
本棚に追加
『保坂清海さんですね。ご主人が……保坂先生が――』
訃報と共に、銀色のキャリーバッグが届いたのは、赴任からわずか半年後のことだった。プロジェクトチームの乗ったバスが、現地の過激派組織に誤爆されたという。バスは激しく燃えて遺体も残らなかったそうだ。キャリーバッグの中の遺品だけでは到底信じられなかった。現地に飛んで彼の見た景色だけでもこの目に納めたかったけれど――そのとき、私のお腹には娘たちの生命が宿っていた。優しい夫は、私が独りにならないように最高の贈り物を残してくれていたのだ。しかも、2人も。
『保坂先輩は、どうして見下ろす花見に拘るんですか?』
いつだったか、彼に聞いたことがある。
『簡単なことだぜ、清海君。見上げると、首が疲れるだろう』
『なにそれ』
『僕はね、好いたものは近くでじっくり眺めたい質なのさ』
そう言うと、彼はジッと私を見詰めたから、思わず頰に熱が集まった。
『君は、ハナミズキみたいだなぁ』
『は、花見好きなのは、先輩じゃないですか』
一瞬、キョトンと真顔になったあと、彼は破顔し私を抱き締めた。
『ああ、その通り。僕は、花見も清海君も大好きだ』
昨年、エアメールが届いた。夫が赴任したあの中東の国からだ。プロジェクトチームが築いた緑化の基礎がようやく定着し、多年草が初めて白い花を付け、褐色の大地が雪が降ったように白く染まったのだという。彼は花咲か爺さんになったのだ。
今年の秋には、この植物の地下茎が食料になるそうだ。貧困地域の人々の救世主になることは間違いないだろう。
「おやつにしましょう。2人とも、お手々を洗ってらっしゃい」
「「はぁい!」」
娘たちは赤いサンダルを脱ぎ散らかして、パタパタと家の中に戻っていった。やれやれと身を屈めて、サンダルを揃える。
2人が生まれた初夏、産院の窓の外では優しい薄紅色の花水木が満開だった。天を向いて咲くこの花のように、いつでも明るい方を見ていて欲しい。そんな願いを込めて、私は「花菜」と「瑞樹」と名付けた。
「「ママぁ、洗ったよぉー」」
娘たちが可愛い掌をブンブンと振っている。
そろそろ、見下ろす花見を教えてあげても良いかもしれない。あの神社の境内は、美しく彩られている頃だろう。今度の日曜日、行ってみようか。バスケットにハムサンドをたくさん詰めて。
【了】
最初のコメントを投稿しよう!