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ハナミズキ
「ママー、なんか緑のあるよぉ」
「え? あら、それは水仙ね」
「こっちも、なんかー」
「ああ、それはクロッカスだわ」
市内の積雪量がゼロになって、日差しに熱量が増してきた3月の末。
ベランダから庭に出た双子の娘たちが「なにか見つけた」と口々にまくし立てるから、私もサンダルを突っ掛けて庭におりる。湿り気の残る黒土をよく見ると、ポツポツと植物が芽吹き、春の訪れを告げていた。そんな新芽を指差しながら、娘たちは頰を染め、キラキラした瞳で私を見上げる。
「水仙は、黄色いお花が咲くの。クロッカスは、紫と白かしら。オレンジ色のもあるわね」
「お花、いつ咲くの?」
「明日、咲く?」
「ふふ、明日はまだ早いわねぇ」
2人の頭をクシャクシャと撫で、笑みが溢れる。
「あなたたちが幼稚園に行く頃には、きっと咲いているわ」
「「本当ぉ?」」
娘たちはキャッキャとはしゃいでいる。そう、この子たちは来月から幼稚園に通う。早いもので、今年5歳を迎える。保坂先輩、いいえ、私の夫が遠い異国の地に旅立ってから、もう5年。あっという間に流れた日々だった。
芝桜の丘でリングをもらって、7年後。彼の大学院博士課程の修了を待って、私たちは入籍した。地球環境保全をテーマに研究者の道を歩き始めていた彼は、既に何本も論文を発表し、緑化の実践でも成果をあげていた。同じ道を追いかける私にとって、彼は尊敬する先輩であり、誇らしい伴侶だった。
『清海君。僕は、花咲か爺さんになってくる。現地の人々にも、見下ろす花見の素晴らしさを知って欲しいんだ』
結婚して間もなく、彼は国際的な「乾燥地域の緑化プロジェクト」に抜擢された。赴任先は中東の某国、決して治安の良い地域ではない。本心では止めたかったけれど、彼の黒縁眼鏡の奥の瞳が希望に満ちていた。止められるはずがない。2ヶ月後、私は精一杯の笑顔で彼を乗せた飛行機を見送った。
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