ミズバショウ

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ミズバショウ

「僕はね、清海(きよみ)君。花見といえば『桜』、そういう安直な発想に辟易しているんだよ」  鳥の巣――後輩の誰かにディスられていたボサボサの頭髪を掻きながら、その男は今時流行らない太いフレームの黒縁眼鏡をクイッと上げてみせた。その仕種も、記録映像で見るような昭和感満載だ。一体、どこを間違えたら、こんなレトロな風体の男が出来上がるんだろう。 「だけど、お花見っていえばやっぱり桜じゃないですかぁ」 「わかっとらんなぁ。見下ろす花見も乙なモンだぜ」  でた。この21世紀の、令和の時代に、「~だぜ」なんてキザったらしい語尾を口にする三次元の(リアルな)人間がいようとは。 「それで? 保坂(ほさか)先輩、いつまでこんな足場の悪い道を歩かなきゃならないんですか?」 「ははは。もうすぐだ、もうすぐ」 「それ、さっきも聞きましたけど?」  「お楽しみは、じっくり待つモンだぜ、清海君」  保坂先輩に花見に誘われた――そう話すと、ゼミの同輩達は一様に一歩引いた。そして、私がその誘いを断らなかったことを知ると、更に三歩、引き潮のように下がっていった。  確かに、私はどうかしているのかもしれない。入学して早々に「学部の先輩に変わり者がいる」という噂を耳にしておきながら、その彼が大学祭のディベート大会で、相手チームの手強い論客をバッタバッタと論破する姿を目の当たりにして、格好いいと思ってしまった。……そう、早い話が、心奪われてしまったのだ。 「さぁ、着いた! 見たまえ、この一面の可憐な白き絨毯を!」  気合いを入れて履いてきたスニーカーが元の色をなくした頃、ずっと保坂先輩の背中が遮っていた前方の視界が、突然私に明け渡された。 「なっ……」  なにこれ。 「そうか、そうか、あまりの壮大さに言葉もないかね、清海君!」  弾んだ声とは対照的に、私の気持ちはトーンダウンが加速する。 「なんなんですか、この地面から生えたティッシュみたいなのは!」 「ほほう、なかなか味な表現をするなぁ。これは水芭蕉(ミズバショウ)というのだよ」 「あ、ああ……」  その名前は、どこかで聞いたことがある。確か尾瀬(おぜ)……で群生しているんだっけ? 「さぁ、花見と洒落こもう!」 「ええっ、こんなぬかるんだ場所でレジャーシート広げるの、嫌ですよ!」 「だから、見下ろす花見と言っただろう。僕はね、サンドウィッチを持ってきたんだよ。こういった大自然の中で食するなら、やっぱりハムサンドウィッチに限るねぇ」  そう言って背負っていた茶色いナップザックを抱えると、中から某コンビニのパッケージに包まれたハムサンドが出てきた。 「さぁ、遠慮せずに君も食したまえ」 「えっ、私の分もあるんですか?」 「ははは。なにを言ってるんだ。花見なんだから、当たり前だろう。ほら、遠慮は不要だぜ」  グイッと差し出され、その勢いに圧されるまま、税込313円の「ジューシーハムサンド」を受け取った。店頭では冷えているはずなのに、保坂先輩の背中の熱が伝わり続けた三角のパッケージは、ほんのりと温かった。
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