呼ぶだけ

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呼ぶだけ

「お~い。さかえ。お~い。さかえ。」  奥の部屋から、父の母を呼ぶ声が家中に響く。 「ほら、さかえの大安売りが始まったよ。」  実家で営んでいる店に買い物に来ている常連さんが母を見て笑いながら言う。  母は接客中なのだ。  見かねて早苗は父の部屋に降りて行く。 「どうしたの?お母さんお店でしょ?」 「あぁ、早苗でもいいや。お湯が沸いているみたいだぞ。」 『あぁ、またか。』  早苗は 『お父さんは大人なんだからそれくらい自分でやってよ。』  と、思いながら台所にガスの火を止めに行った。  早苗はまだ流しに手が届かないので、流しの中にあるポットにやかんからお湯をうつしてはいけないと言われている。 「おとうさん、お湯、ポットに移してよ。私はまだやっちゃいけないって言われてるし。おかあさんお客さんの相手してるよ。」  そう、早苗が父に行った時には、もう、母はちょっとお客さんにことわりを入れて、自分でポットにお湯をうつしに来た。 「早苗、お父さんにお茶入れてあげて。」  なんのことはない。このお湯は父がお茶が飲みたいと母に言ったので、母が沸かしていたのだった。  そう。昔から、軍人のお家に長男で産まれて、祖母が大人になっても魚の骨を取ってくれていた父は家のことは何一つしない。  できないわけではないらしい。昔、お金のない時には丁稚奉公に、うなぎ屋に行ったことがあるというのだから。すぐに逃げ帰ってきたらしいが、包丁も使えるだろうし、お湯をうつす位わけもないことだと思う。  でも、どんなに母がお店で忙しくても絶対に自分でお茶も入れようとはしない。  早苗は、お茶を入れて、ついでにお代わりの分のお湯を急須に入れて、お盆で父の所に運んだ。 「はい。お茶。」 「もうちょっと愛想よく持ってきてくれよ。お茶が不味くなるだろ?」 『だったらお茶位じぶんでいれなよ。』  などとは口が裂けても言えない。  ひどく叱られるのが分かっているから。何も言わずに立ち去る位が精いっぱいの反抗だった。  母は店に一日出ている他に、3食きちんと食事を作り、洗濯をし、掃除機をかけ、一日中クルクルと働く。  一方父は、店から見えない場所で日がな一日自分の趣味の碁を並べているか、問屋に電話を架けているか、自分が教えている高校生の部活動の関係の先生たちと電話で話しているかのどれかである。  夕方になると、高校の部活動を教えに行ってしまうので、店の一番忙しい夕方には早苗も店番にかり出される。  そうでもしないと夕食の準備ができないからだ。    いざ夕食の時間になると、母が皆のご飯とお味噌汁をよそって、おかずをテーブルに置き、ようやく座って自分が食べようとする瞬間に、皆がそろっていただきますをする前に食べていた父が 「おかわり。」  と、言って、座ろうとする母にご飯茶碗をだす。お箸で茶碗の内側を刺して、ここまで盛って来いと示しながら。  母は、きっとおなかが空いているだろうに、座ることもできず、父のお代わりを取りに行く。  父はご飯は家で食べるが、その後、近所に飲みに行ったり、近所の囲碁仲間の家に行ったりするので、いなくなってしまう。  お店はまだ開いているので、食事中にお客さんが来ると、母は食事もできずにそのまま接客に立つ。  早苗と姉は、小さい頃から、できるだけ早く食事を済ませて、食器を流しに下げ、子供部屋に行くように言われていたが、ある程度大きくなると、早苗は母に変わって、接客をするようになった。  だが、母じゃないとだめ。というお客さんの場合手伝いようがない。  食器の跡片付けなどは母が任せてはくれなかった。祖母がうるさい人だったので、食器を割ったり、洗い残しがあると、父がうるさいのでそう言ったわずらわしさを考えると自分で洗った方が良かったのだろう。  だんだん大きくなり、母と一緒に食事の支度をするようになっても、作るのも任せてはもらえなかったし、調理も教えてはもらえなかった。  とにかく、忙しい母は教える暇も一緒に作る時間も惜しかったのだろう。  ただ、一緒に台所にいて、できたものを食卓に運んでいるうちに、母が、どうやって空腹を満たしているのかが明らかになったのだ。  母は 「作っている人の特権!」  と、いいながら、よく味見と称して結構な量のおかずを食べていた。  一緒にいる早苗もご相伴にあずかった。 「味見味見。」  と言いながら、全種類のおかずを食べている。  こうやって、食卓にゆっくり座れないお腹を満たしていたのかと思うと、お行儀の悪い大量の『味見』も責められなかった。  そして、少しほっとした。  最後にご飯をちょっと食べているだけだと思っていた母は、おかずを前倒しで食べて、ちゃんと空腹を満たしていたのだった。  これぞ、生きる上での、生活の知恵というものだ。  ともあれ、早苗は母親がいつもおなかを空かせているのでは?という心配からは逃れられたのだった。  そうそう、晩年の父は釣りが趣味になって、近くの綺麗な川でヤマメをつってきたりしていたが、さすがに母は、 「釣った道具を洗ったり、釣ってきた魚を捌いたりは自分でしてね。」  と、言って、趣味に関しては手伝わなかったが、早苗が思っていた通り、魚の網や竿を綺麗に洗って干し、釣ってきた魚を見事に捌いていた。  焼くところだけは母がやっていたが、結構何でもできる人だったのは確かだった。    何故、お湯さえ沸かさなかった父を昔放っておいたかについては、ただ一つ、喧嘩をしている時間さえ惜しかったのだと、早苗は思っている。 【了】
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