第十二話

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第十二話

 事のあらすじを聞いていたらしく、父親は帰ってくるなり海人と空の頬を叩いた。それを見て母親は小さな悲鳴を上げてもう一度泣いた。  ひりひりと熱をもつ頬は両親の痛みだ。たくさんの愛情を注がれ、何不自由なく生活させてもらっていた。彼女がすぐできると言っていた母親の言葉が傷口に擦り込まれていく。  きっと父親も同じようなことを願っていただろう。大切な両親を裏切っているという事実が、海人の肩に重くのしかかった。  正面に座った父親は二人に目を向け、ゆっくりと口を開いた。  「母さんから話は聞いた」  低い抑揚のない声は父親の感情を表していた。生唾を飲み込んだ。  「なにかの間違いではないのか。家族への愛情を履き違えているだけではないのか?」  「海人への気持ちは兄弟のものじゃないよ。一人の人間として海人を愛している」  「まだ高校生でそんなものが分かるわけないわ!」  「年は関係ない。母さんたちから何と言われようとも海人への気持ちは本物だ」  空は一向に譲る気配をみせず、挑むように両親を睨みつけた。元々頑固な空が、一度決めたことを捻じ曲げるような柔な性格ではない。  「海人も同じ気持ちなのか?」  縋るような両親の目に決心が揺らぐ。  時間が経つにつれて、冷静に状況を見定められるようになってきた。ここで違う決断をしたら円満に収まるのではないかと頭に過ぎる。  空への気持ちが兄弟のものだと。  そう言えば両親も納得してくれる。可愛い弟に迫られて拒められなかったと言えばいい。  空に求められて断われない海人の性分は、両親もよくわかっている。全部良好な兄弟関係を築くために必要だったと言えばいい。  空の傍にいたい。  けれど両親を裏切ってまで叶えるべきものなのか。  「俺は……」  どうすればいい。ここで選択を間違えたら、家族が崩壊する。考えれば考えるほどわからない。答えがはっきりでるから数学は嫌いだと言ったくせに、いまはそれを求めている。  握り拳をつくっていた手に空の手が重なった。  見上げると空は両親を鋭い眼光でみつめていた。その瞳に決して揺るがない強い意志が感じられる。  どうしてそんなに強いの。  両親の怒りに触れて、気持ちが揺らいでしまう自分の弱さが情けない。  空の「傍にいる」とはこういうことだ。両親と溝ができてしまうことを分かっていた。分かっていたけど海人との未来を描かずにはいられなかったのだ。  「ごめんね……空」  空の強さが羨ましい。真っ直ぐ筋の通った空の後ろ姿が青空のように広く、逞しく映った。  俺ももっと空みたいに強くなりたい。  熱い涙が込み上げてきて、海人の頬を濡らした。  「父さん母さん、ごめん。俺も空と同じ気持ちなんだ。二人を裏切るような真似をしてごめんなさい」  頭を深く下げると両親は深い息を吐いた。  諦めにも似た落胆。  「おまえたちは兄弟で、ましてや男同士なんだぞ」  「分かってる」  「本当に分かってるのか?」  「それでも空が大切なんだ」  母親は背もたれに頭を乗せ天井を仰ぎ、遠い昔を思い出すように目を細めた。  「母さんたちはね、あなたたちに空のように広く、海のように深く人を愛して欲しいと思って名付けたのよ。その結果がこれって」  肩が震え母親の目から涙が溢れていた。父親も目頭を指で解し、涙を堪えているようだった。  「昔から仲の良い兄弟だと思っていたが、やはり育て方を間違えたのかもしれん」  「そんなことないよ。父さんたちには感謝してる。二人が俺たちをきちんと愛してくれたから、俺は海人への気持ちが芽生えたんだから」  「空……」  「なにを言っても無駄なのかしら」  どんなに言葉を取り繕っても結局は両親を傷つけてしまう。海人も空もそれ以上口を開けなかった。  お互い視線を合わせないように下を向き、時計が針を刻む音だけが響いた。  「お通夜みたいだねぇ。一体どうしたんだい?」  「……ばあちゃん」  扉から顔を覗かせた祖母は四人の様子に眉を下げていた。  「お母さんどうしたの?連絡もなしに来るなんて珍しいわね」  「虫の知らせってやつかね。嫌な予感がしたんだ」  祖母はゆったりとした動作で海人と空を見据えた。糸のように細い瞳からは感情が読めない。  祖母だけが海人の気持ちを知っていて、反対はしないと言ってくれた。自分で決めて、人のせいにはしてはいけないと。  でも海人たちの選んだ道は家族を深く傷つけてしまった。この責任をどう償えばいいのだろう。  祖母はしわくちゃの唇を開いた。  「しばらく距離を置いてみてはどうかね? お互いゆっくり考える時間は必要だと思うよ。煮えきった頭では正常に働かないだろうし」  年長者の意見に誰も口出しはできなかった。  これ以上不毛なやり取りをしても成果を得られないとお互いが悟っていた。  目配せをしてこの件は保留にしようと意見がまとまった。  その様子に祖母はうんと一つ頷いた。  「空はしばらく家で預かるよ。それで文句ないかい?」  「俺はいいけど……」  空は不安そうに海人をみたが、安心させるように小さく頷いた。きっと祖母にもなにか考えがあるのだ。  有無を言わせない祖母の言葉に両親も納得してくれた。  空は急いで荷物をまとめ祖母の家に向かう準備をする。両手にボストンバックを下げてリビングに戻ってきた空に、祖母は「行こうか」としわくちゃの顔で笑った。  「風邪引かないようにね」  「うん。海人も体調には気を付けて」  三人で空と祖母を見送った。両親は空になにも言葉をかけなかった。  残された三人はしばらく玄関で立っていたが、一人また一人と部屋に戻り、海人は最後まで残っていた。
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