47人が本棚に入れています
本棚に追加
第六話
下駄箱にまだ靴があることを確認して、海人は空を探しに校内を巡った。一階から順々にのぼっていき、空き教室も扉を開けてなかに人がいるか覗いた。
吹奏楽部と現音部の音が重なりあって、きれいなハーモニーを奏でているのを聞きながら新校舎を繋ぐ渡り廊下に出る。
真っ赤な夕日が沈もうとしていた。青と橙が混ざり合い大空にコントランストをつくり、ちぎったよ
うな雲はゆったりと流れていく。視線を下に戻すと中庭に人影をみつけ、海人は目を凝らした。
ベンチに座っている人影は虚空を見上げているようだった。逆光の影が身体の輪郭をはっきりとつくり、一目で空だとわかった。
海人の気配に気付いたのか空の顔がこちらを向いた。逆光のせいで表情が読みとれず、泣いているのか怒っているのかわからない。
海人がベンチに近付くと、空が先に口を開いた。
「よくここがわかったね」
「だって空のことなら全部わかるしって言いたいけど。けっこう探した」
「そっか」
空は隣の席に座るように促し、海人は腰を落ち着けた。
「裏切られたって言ってごめん」
海人が切り出すと空の肩は小さく震えた。
「いや、俺が海人に言わせたんだ。海人は悪くない」
「俺、自分の気持ちばっかりだった。ただショックで泣いてみっともないところみせちゃった。空のことを理解しようって思えなかった。だから教えてくれる?」
海人は息を呑み、空の喉が鳴った。二人の緊張が無音を生み出す。
「理由を言ったら俺を軽蔑するよ」
「するわけないよ。だって兄弟だろ?」
「……兄弟か」
空は乾いた笑い声を零し、西へ沈んでいく太陽を眩しそうに目を細めた。
「海人は自分がモテるって気付いてる?」
「それはないよ。友だちも武田だけだし、いままで告白されたこともない」
小学校から現在までの人間関係を思い返しても、これといって思い当たる節がない。親しい友人どころか恋人すらいない。
「やさしくて理知的で物静かな海人は王子様なんだって」
「なにそれ」
「女子からの評価。あと唇がエロいって。それは俺も同感」
目尻をきゅっとさせ笑う空にどぎまぎさせられる。エロいってなんだよ、エロいって。
「榊と井上、田端、山井もだっけか。みんな海人のことが好きだったんだけど、全部俺が食った」
まるで悪意のない言葉に海人は反応できず、ただ空を眺めた。
「どうしてかわかる?」
なんとか首を横に振ると空は口の端をあげた。
「海人を好きな子を口説いて、俺に向けさせたの。これならわかる?」
「……わからない」
「じゃあヒントは海人に触れさせたくなかった。俺だけの海人にしたかった」
海人はまた首を振った。そんな都合のいい考えがあるわけがない。
空は海人の手を握りしめて、身体ごとこちらに向き直る。逸らしたくなるほどまっすぐな瞳が海人をみつめている。
「俺は海人のことを愛しているんだ」
言葉が出てこない。なにか言わなきゃと思うのに、口の中の唾が乾いていて喉が詰まる。
「海人と似てるから、みんなコロっと俺の方に転がったよ。適当に相手すれば満足そうにしてたし。海人を誰の手にも触れさせたくなくて必死だった」
「だから兄弟でよかったって」
「そうだよ。俺らって性格は真逆だけど、見た目だけならみんな騙されてくれる。でもまさか海人に知られるとは派手にやりすぎたな」
困ったように笑った空の目尻に光るものが溜まっていて、零れないように上を向いた。
「海人にはこんな醜い俺をみられたくなかった。ただ海人を護りたかったのに、どうしても我慢できなかった」
同じだと思った。相手の傍にいるために理性を保って行動しても、綻びは出てしまう。
それが醜い感情だとしても、根底にはきっと同じ想いがあった。
海人は空の手を強く握り返した。
「空と兄弟じゃなきゃよかったって何度も思った。だって赤の他人だったら、すぐに好きだって言えたもん」
空の驚いた表情があまりにも間抜けで、つい笑ってしまった。きっと海人も同じ情けない顔をしていた。だって双子だから。
「空を好きだと自覚した同時に俺は失恋したんだ。だから兄弟として空の傍にいようと思ってたのに、どうしても嫉妬ばかりしてた」
「ごめん。海人の気持ちを知ってたら、あんなことしたくなかった」
空に抱き締められて海人は子供みたいにわんわんと泣いた。醜い感情を身体から出し切るように、長い時間二人で涙を拭い合った。
日か沈み星が顔を出し始めるころになって、ようやく二人は落ち着いてきた。お互いの顔をみやると真っ赤に目を腫らしていて、まるで鏡をみているように瓜二つだった。
「酷い顔」
「空だって変な顔してる」
ひとしきり笑い合うと空が海人の手を取った。
「帰ろうか」
「うん」
「でもその前に」
空は海人に顔を近付けると唇を重ねられ、温もりを堪能する間もなくすぐに離れていった。
「ファーストキス奪っちゃった」
「莫迦」
負けじと海人も空の頭を固定して唇を押し当て、通じ合った気持ちを確かなものにした。
最初のコメントを投稿しよう!