嘘も方便

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 今日もボートレースで負けが込んだ。賭(かける)は舟券をポケットにしまうと、くわえタバコでレース場を後にした。そして、なけなしの小銭で缶コーヒーを買うと、それをグイッと飲んで昼飯代わりにした。 「さて、バイトいくか・・。」 賭は大学受験を控えている生徒のいる家に向かった。 「ピンポーン。」 「開いてるよ、先生。」 インターホン越しに、生徒のぶっきら棒な返事が帰ってきた。今日も彼以外、家は誰もいない様子だった。賭は二回に通されると、早速生徒の勉強を見た。 「うーん、よく出来てるなあ。いい式だ。だが、この部分は必要無いぜ。」 「必要無いって?。」 「此処を、こう括弧で括れば、上の式を代入出来るから、下の三行の式が省けるだろ?。」 「あ、ホントだ。」 理系の賭は、数字や論理の読みが強かった。それを活かしてのバイトで、人気もそこそこあったが、如何せん、無類の博打好き。貰った尻から、お金は水泡に帰した。 「なあ、先生。」 「ん?、何だ?。」 「先生、たばこ臭いよ。このご時世にフィルター無しって・・。」 「オマエには解らねえよ。ヤニを吸うと、頭が冴えるのさ。」 「そんなものかな・・。」 生徒は賭の数理的冴えが嫌いでは無かったが、聞かずとも窺える破滅的な生き方を、それとなく軽蔑していた。 「よし。今日はここまで。共通テストなんて、出題の上限が決まってるから、オマエだったら満点獲れるだろ。」 賭はそういうと、立ち上がりながら生徒の肩をポンと叩いた。二人は一階へ下りると、 「あ、そうだ。これ、お母さんから預かってる月謝。」 生徒はお金の入った封筒を賭に手渡した。 「お、サンキュー。」 「どうせ、またすぐ賭け事に使っちゃうんでしょ?。」 「まーな。でも、今日は違うぜ。まずは飯だ。オレまだ飯食って無えからな。じゃあな。お母さんによろしく。」 賭は封筒を握り締めると、ズボンのポケットにねじ込んだ。そして、生徒に礼をいうと家を去った。 「よーし。軍資金は出来たし、その前に、ちょい腹ごしらえするか・・。」 いつもならコンビニで簡単に買い物を済ませる賭だったが、道すがら、小さなお握り屋さんが目に入った。 「へー、こんな所にお握り屋かあ・・。」 賭は立ち止まって、ショーケースの中のお握りを覗き込んだ。 「あ、コンビニより安いな。しかも、ボリュームあって、美味そう。」 「いらっしゃいませ。」 品定めをしている賭に、若い女の子の店員が声を掛けてきた。 「えっと、この葉山葵と明太のお握り一つ下さい。」 「はい。」 賭はラップに包まれた大きめのお握りを手にすると、代金を支払った。可愛い店員さんがにこやかにお釣りを手渡すと、賭は少し気恥ずかしくなった。そして、何気に視線を逸らせた先に、妙な張り紙があるのに気付いた。 「ん?、何、これ?。エイプリルフールを、そのまま終わらせないコンテスト?。何だそりゃ?。」 不思議がる賭に店員が、 「あ、それ、アタシ達が主催してるコンテストなんです。」 と、にこやかに答えた。聞くと、彼女の通う学校のサークルで、毎年そのコンテストを行っているとのことだった。一定の参加料を払って、四月一日に大嘘をつく。そして、そのついた嘘を実現出来た者が優勝者になれるというコンテストだった。 「ふーん、それって、期限は?。」 「実現の期限ですか?。それは無期限です。数ヶ月で実現する人もいれば、何年もかかって報告に来る方もおられます。大嘘をみんなの前で発表して盛り上がるのが主体の大会ですから。実現者の表彰は、いわばオプションのようなものです。」 「じゃあ、もう何年もやってるコンテストなんだ?。」 「はい。今年で五十年になります。」 「ちょっと面白そうだね。」 「もしよかったら、此処でも参加の受付は出来ますが?。」 それを聞いて、賭は張り紙の一番下の部分を見た。 「千円・・かあ。よし。」 そういうと、賭は貰ったばかりの月謝から千円札を取り出すと、店員に手渡した。 「有り難う御座います。これ、当日の入場券です。」 「サンキュー。あ、そうだ。ついでにお茶も下さい。」 賭は入場券とペットボトルのお茶を手にすると、店を後にした。そして、近くの公園まで来ると、ベンチに腰掛けながら、ラップに包まれたお握りを取り出すと、一気に頬張った。 「美味っ!。」 山葵のツーンとくる香りと、明太の程よい塩加減が絶妙だった。賭はあっという間に平らげると、お茶を飲んだ。そして、一息つく間もなく、軍資金を手にレース場へ向かった。ポケットからタバコとライターを取り出し、くわえて火を着けようとしたその時、 「・・・参加費は、全額寄付に使われますって、そう書いてあったな。」 と、さっきまで見ていた張り紙の一番下の文言を急に思い出した。大ボラが人の役に立つ。そんな発想など、賭はこれまでしたことも無かった。 「ろくに当たりもしねえ賭け事に大枚叩いて、一体誰が喜んだってんだ。ま、せいぜい、胴元ぐらいだろう。そんなのは、人助けとはいえねえな・・。」 賭はそう呟くと、タバコとライターをポケットにしまった。そして、元来た道を逆方向へと歩いていった。  しばらくいくと、賭は再びお握り屋さんの前辺りまで来ていた。すると、 「あ。」 と、さっきの店員が私服で店の外で立っていた。賭も会釈しながら、何かいわないとと思い、 「さっきのお握り、メッチャ美味かったです。ホント。」 と、端的に感想を伝えた。 「よかった。有り難う御座います。あれ、アタシが握ったんです。」 彼女は嬉しそうに微笑みながら答えた。そして、 「アタシ、バイト上がりなんです。お近くですか?。」 気さくな感じで、賭にたずねた。 「ええ、すぐ近所です。」 レース場にいく以外に、賭にはほぼ何もすることが無かった。そんな自分に、あらためて気付いて、得も言えぬ空しさが一瞬漂った。 「もしよかったら、お時間、あります?。」 「え?、あ、はい。ありますけど・・。」 「じゃあ、どっかでお茶しません?。」 何と、賭は逆ナンされてしまった。二人は並んで歩いた。その道すがら、 「さっきのコンテスト、今度、アタシが実行委員なんです。」 「へー。だから、彼処に張り紙出してたのかあ。」 「ええ。店長さんにいって、張らしてもらいました。そしたら早速、アナタが興味津々でたずねてきたので、つい嬉しくって。」 そういいながら、彼女はニコニコ顔で賭を見た。前髪の揃ったショートヘアの彼女は、如何にも健康的な感じで、何とも弾けそうな愛くるしさが漂っていた。しばらくいくと、二人はこぢんまりとした小さなスィーツ屋さんの前までやって来た。 「此処のタルト、美味しいんですよ。」 彼女は目を輝かせながら、そういった。軍資金も使わずに済んだので、今日は人に奢るだけの余裕もある。二人は早速そのお店に入ると、窓際の席に座った。そして、彼女は苺タルトと紅茶を、賭は日頃の不摂生をカロチンで補うべく、カボチャのタルトとコーヒーを頼んだ。 「あの、ところで、お名前は?。」 「あ、オレ、賭。賭け事の賭。」 「へー。不思議な文字ですね。あ、御免なさい・・。」 賭の名前を聞いて、彼女は想ったことを口にしてしまったことを詫びた。 「いや、いいよ。親父が博打好きで付けたらしいんだ。だからオレも例外なく、そうなったけどね。」 「アタシは中(あたる)。なかって書いて、あたる。」 「キミこそ不思議な名だねえ。何でそんな字を?。」 賭も彼女と同じ疑問と気持ちを、思わず口にした。 「アタシ、親がいなくて、預けられた施設に二番目に来たから、そう名付けられたらしいんです。だから、中。」 それを聞いて、賭はかなり気まずい雰囲気になりそうな気がした。 「あ、何か悪いこと聞いちゃったね。コメン。」 申し訳なさそうに賭が謝ろうとすると、 「いえ、逆です。その後は、周りのみんなにとっても良くしてもらって、何不自由なく過ごせましたから。で、その一番の支えになったのが、例のコンテストを主催している所だったんです。だから、アナタがそれに興味を持ってくれたのが嬉しくて、何が凄く縁みたなのを感じちゃって・・。」 と、彼女は例のコンテストに対する思い入れを語った。と、其処へ、 「おまちどおさまでした。」 と、店員がタルトと飲み物を運んできた。二人は早速運ばれてきたスィーツを口にすると、 「美味っ!。」 「美味しい!。」 二人揃って、途端に笑顔になった。そして、暫く無言でタルトを頬張った後、 「賭さんって、何をしてる方ですか?。」 中はたずねた。 「オレ?。オレは学生。理系の。」 「へー。じゃあ、頭いいんですね?。」 「どうかな?。数字には強い方だけど、それ以外はからっきし駄目かな。」 「でも、数字に強いって、何か憧れるなあ。アタシ、施設にいたでしょ?。だから、周りのみんなが、何時か自分だけは裕福な家庭に貰われていくって、そんな夢みたいなことばかりいってたけど、アタシは常に現実を、自分の足元ばかりを見つめて、堅実に生きようと、そう思ってました。でも、残念ながら数字には強くなくって、いつも見通しが聞かないなーって。」 彼女の打ち明け話を聞き終えた賭は、 「なるほどねー。確かに、数字に強いと、筋道立てて、物事を考えれるようにはなるし、読みも速くはなるかな。でも、それだけさ。先が見えるからといって、必ずしもいいことばかりじゃ無いし。現にオレなんか、簡単に見通しの利く現実なんかよりは、どうなるか解らないギャンブルに嵌まっちまってるしな。」 賭は自身が抱える、論理的にして刹那的な矛盾を、彼女に吐露した。すると、 「あ、でも、解るような気がします。アタシも、嘘なんか吐かずに、真面目に生きた方がいいって、そう思ってたんです。例のコンテストに出会うまでは。」 と、再びコンテストのことを語り出した。其処には、日頃は嘘のつき慣れてない人達が集まって、みんなを楽しませるべく、そして、自身を鼓舞すべく、大ボラを吹きにやってくること、そして、そのことが思わぬ人と人とのつながりを生み、人生の転機にもなるといった話まであった。  彼女の話を聞いて、賭は数学の話を始めた。 「数字や数式で先が読めれば、どんどん先は開ける。そして、さらに奥へと引きずり混まれる。それが数学特有の、抽象概念の世界ってヤツさ。」 「抽象概念?。」 「そう。目の前に見える具体的な物とは真逆の世界。でも、そういう法則性みたいなものが、この世の全ての物質や現象を貫いて存在する。といっても、一般には解りにくいことだけどね。それ故に、悪用して数字で人を騙して一儲けしようって輩も少なからずいるけどね。ま、いわば、オレも嘘つきの申し子みたいなもんさ。でも、どうせ嘘に塗れるなら、人を騙すんじゃ無くって、不確定要素いっぱいのギャンブルという嘘に身を投じた方が、誰も傷つけない。」 賭の言葉は、中には時折難しいようだった。それでも、 「じゃあ、コンテストでは、みんなを楽しく、幸せにさせるような、そんな嘘をつくのね?。」 彼女は期待を込めて、賭にたずねた。 「さあ、どーだろう?。数字の話だけでいいのなら、嘘は得意ってことにはなるかな。みんなを惑わせて、さも本当のようにみせかけて。」 そういうと、賭は頭の後ろに手を組んで、天井を見つめた。そして、 「ねえ、キミ、宝くじは・・、買わないかな。」 と、中にたずねた。彼女の生い立ちから察するに、夢みたいなものには手を出さないと、そう考えたからだった。ところが、 「えへへ。実は、年に一度、一枚だけ買うの。万一、当たったらどうなるかなって。」 そういいながら、彼女は胸ポケットから一枚の宝くじを取り出して、誇らしげに見せた。 「へー、買うんだ。じゃあキミは既に、確率論を超えてるね。」 「確率論?。」 「そう。どんな現象も、そうなるか、ならないか、いわば確率の問題なんだ。宝くじに当たるのも当たらないのも。事象の計算は、極めて合理的。分母が大きくなればなる程、当たる率は下がる。それが客観的ってことさ。でも、そこには重大なことが含まれていない。」 「重大なこと?。」 「その事象の中に、自身の存在を盛り込まない。常に冷静に客観的に判断する。それが分析ってヤツさ。」 「分析・・かあ。そんなこと、アタシ、したこと無いなあ・・。」 「だろ?。そして、キミは自分が当たるかも知れないってのを想定して、それを買った。その時点で、既に客観的じゃ無くなってる。主観的ってヤツさ。」 「ふーん、なるほどねー。確かに他人の当たり外れなんて、どうでもいいもんね。これが自分にとってワクワクさせてくれるかどうか、そして、ひょっとしたら当たるかもってのが、やっぱ、いいんじゃない?。」 「その通り。」 「じゃあ、ギャンブルはどうなの?。」 中は賭の中に、何か自分に似たものを感じているようだった。 「ま、御同様さ。枠の数とか読みで、分母の数を幾分は小さくは出来るけど、常に当たって儲けれるって訳じゃ無い。でも、ひょっとしたら、そうなるかも知れないっていう、痺れる様な感覚に身を投じたい。だから賭け続ける。そんなところさ。」 「じゃあ、それって、嘘で自分を麻痺させてるって感じかな?。」 「あるいはね。現実が厳しくって、生きるのが嫌な人達にとっては、格好の逃避場所かもな。でも、その先は決して長くは無い。」 賭はそういうと、少し悲しげな目をした。ギャンブルに身を投じて亡くなった、父親のことを思い出してのことだった。 「アナタは?。賭さんはどうなの?。それでもやっぱり、ギャンブルを・・?。」 彼女の問いに、賭は暫し考えた。お握り屋さんの前を通るまでの自分なら、迷わずギャンブルの日常にいただろう。しかし、お握りを買ったことで、いや、彼女に会い、コンテストのことを知ったことで、確実に自身の中で変化が生じているのに気付いた。 「うーん、解らないな。次また、ムズムズすることがあったら、迷わずレース場に向かってるだろうな。でも、もし、そうで無かったら・・、」 「そうでなかったら?。」 「人生の転機・・、ってヤツかも知れないな。」 といいながら、賭はカップに残ったコーヒーを飲み干した。 「さて、オレ、いかなきゃ。」 そういうと、賭は彼女に楽しいひとときの礼を伝えて、レジで支払いを済ませた。 「あ、アタシから誘ったのに・・、」 と、中は奢ってもらったことを申し訳なさそうにいった。すると、 「へへ。今日オレ、儲かったから。あ、ギャンブルじゃ無いぜ。バイト代さ。」 賭はくしゃくしゃになった封筒を見せながら微笑んだ。別れの挨拶をすると、賭は店を後にして繁華街へと歩いていった。煌びやかなネオンサインが、賭を誘おうとしていた。 「パチンコ・・かあ。でも、何か気分じゃ無えなあ・・。」 そう呟くと、賭はズボンのポケットに手を突っ込んだ。そして、タバコを取り出そうとしたが、それもしなかった。そして、腕組みをしながら、一人トボトボと、考え事をしながら歩いていった。何か途轍もなく面白い嘘を考えながら。  数日後、賭はとある大学のキャンパスに来ていた。其処は先日、張り紙で告知されていたコンテストの開催場所でもあった。入学式も相まって、場内は大賑わいだったが、とりわけ伝統があるらしいそのコンテストには、色んな層の人々が集っていた。簡単に設置された舞台の回りに、老若男女、様々な人達が開催を今か今かと待ちわびていた。すると、 「えー、では、ただ今より、第五十回、エイプリルフールを、そのまま終わらせないコンテストの開催を宣言いたします!。」 と、あのお握り屋にいた中が、高らかに開幕の音頭を取っていた。 「へー、やるなあ。」 賭が彼女の晴れやかさに関心していると、まずは今年の表彰式から始まった。それは、失われた海賊船を発見した人物がサルベージの末、財宝を手にしたというものだった。その時の財宝の一部を持って来た男性は、みんなから祝福の拍手と共に、コンテストの名誉ある賞を手にした。賭は後に知ったのだが、その人物は手にした財産のほぼ全てを、このコンテストの主催組織に寄付したのだった。受賞の弁でも、 「嘘は大きければ大きいほど、夢がありますから。ボクはそれが出来れば十分です。どうも有り難う。」 と、晴れやかに、そして淡々と答えていた。その後、コンテストが挙手形式で始まった。選ばれた人が舞台に上がり、一人数分程度のホラ話を披露するというものだった。早速、色んな人達が選ばれ、 「ボクはモンスターを退治する!。」 「アタシはお月さまに別荘を建てる!。」 「幽霊と友達になる。」 「ハッシュタグはハッシュドポテトと婚姻関係にある。」 などなど、奇想天外なホラ話が次々に語られると、会場は大盛り上がりした。恐らくは何処かの慈善団体が、自らの名を明かさずに、洒落た趣向でみんなを盛り上げてるのだなと、賭はそう感じていた。と同時に、賭は絵に描いたような善意の押し売りじゃ無く、馬鹿話を共に笑い合う雰囲気に得もいえぬ親しみを覚えた。そして、舞台の上で忙しくコンテストを盛り上げる中の輝く姿を、目を細めて見つめていた。そしていよいよ終盤になった頃、 「他に我こそは・・という方、いらっしゃいますか?。」 と、中は挙手を求めた。すると、 「はい!。」 と、賭は彼女を真っ直ぐに見つめながら手を挙げた。彼女は一瞬、ハッとなったが、 「それでは、最後になりました。この方にお願いします。」 彼女はにこやかに賭を壇上に迎えた。そして、マイクを手渡しながら小声で、 「飛びきりの嘘をお願いね。頑張って。」 と賭の耳元で囁いた。賭は小さく頷くと、 「えー、ボクは今、数字を中心とした研究をしています。この世には経済という、巨大な数字の化け物が世界を覆っています。しかしそれは、相手の正体を知らないからこそ、そう思うのであって、正体を知ってしまえば、つまりは、数字というのがどういうものかさえ解ってしまえば、全く恐れるに足りません。それぐらい、経済というのは、簡単な者なのです。」 と、まるで財テクセミナーのカリスマ講師のような口調で語り始めた。楽しいホラ話を期待して集まった聴衆だったが、彼の数字を駆使した、実に分かり易い話は、次第にみんなの心を掴んでいった。難しいと考えていたお金儲けのシステムが、実は如何に簡単なものか。そして、そのシステムを忠実に実現すれば、誰もが富をなし得るであろうと、賭は切々と語った。身分を隠しながら普段着で参加していた年輩の層は、久々に聞くドラスティックな経済論に、思わず前のめりになって注視していた。 「彼は何者だ?。」 「何処の経済学者だ?。」 最前列で話を聞いていた老人達は、顔を見合わせつつ、そう噂した。そして、一頻り演説をした後、 「というようなことは、お金に興味のある資産家諸氏にお任せしましょう。で、最後になりましたが、今日のボクが一番話したかったことは・・、」 と、突然話題を変えた。すると、会場は一瞬静まり帰った後、響めいた。 「先日出会った、とある可愛い女性を幸せにすること・・かな。お握り屋さんの。ご静聴、どうも有り難う御座いました。」 そういうと、賭は深々と頭を下げた。すると、会場中から割れんばかりの拍手と指笛が何時までも鳴り止まなかった。そして、賭はマイクを彼女に手渡すと、 「楽しかったよ。今日は。じゃ。」 と、驚きながら、少し涙目になっている彼女とハグをすると、壇上からさっていった。  時は流れ、その大会も、第六十二回を迎えていた。そして、運営を行っている若者が辿々しい挨拶で開会を宣言すると、 「それでは、まずは今年の表彰式から始めたいと思います。」 そういうと、ある女性と二人の子供が壇上に招かれた。そして、本来、夫である男性が受賞する予定だった賞を受け取ると、 「すみません。今日は大事なレースがあるそうで、主人はいません。」 女性は揃った前髪でにこやかに答えた。
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