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「お待たせ! 買ってきたよ」
「何だか気を遣わせてしまったようで申し訳ないですね。ところで何を買っていらしたんです?」
答えるかわりに、渉はがさがさと音を立てて袋から小さなビンを取り出した。
「えーと、それは何でしょう。すみません、私はヒトの食べ物・飲み物がよく判らないので」
「赤ワインだよ。今はこんな小さなミニボトルがあるんだね。それからこっちはソーダ。炭酸、つまりしゅわっとするやつ」
「赤ワイン……確かそれもお酒じゃなかったですか? なんかさっきのとはずいぶん色が違いますが。これは名前のとおり真っ赤ですねえ。ソーダは何となく判りますが」
「そうか、花見でワイン飲む人なんてあんまりいないから、知らないかもな。これは葡萄で作るお酒だよ。赤と白、あとロゼっていう綺麗な薔薇色の3種類があってさ」
桜は感心するように枝を震わせた。
「それはまた風流ですねえ。それで、そのワインとソーダをどうなさるんですか?」
渉はにやりと笑うと、ワインのキャップを捻った。ぱきりという軽い金属音とともに、甘くつんとした香りがただよう。
「えーと確か、まず赤ワインを大さじ1杯……いいや、もう適当で」
渉は酒の空きビンに赤ワインを少し注いだ。ビンはさっき、ちゃっかりコンビニで洗ってきてある。
「あの、それはいったい何を? たったそれっぱかしのお酒を……」
「これでカクテルを作るんだよ。ああ、カクテルっていうのは、お酒と何か別の飲み物を混ぜたものでさ。いいや、百聞は一見に如かず、ちょっと見てて」
渉はソーダの缶のプルタブを開けた。ぷし、といつ聞いても小気味いい音が鳴る。
「さあ、こいつをさっきの赤ワインに混ぜると……」
「――おわあああああ!」
桜の木が感嘆の叫びをあげて、ざわざわと枝を揺らした。
「すごい! 色が変わりました! 美しい、なんと美しい色合いでしょう……!」
渉が手にした透明なガラスビンは、濃淡の織り交ざった可憐なピンク色の液体でたっぷりと満たされ、その中で沸々と涼しげな泡がはじけている。
渉は満足げな顔で、桜に向かってビンを掲げてみせた。
「へへ、ちょうど今日、なんかの画面で見たんだよ。“ 赤ワインとソーダでお花見カクテルを作る ” ってやつ」
「お花見カクテルですか。それはまた、ずいぶんと洒落たアイデアですねえ」
「だろ? もっともそれには、“ 仕上げに桜の花の塩漬けを浮かべる ” って書いてあったけど、まあそこまでは無理だから、とりあえずベースだけでもと思ってさ」
するとまた桜の木が枝を震わせた。
だが今度はさわさわと、静かに静かに、まるで狙いをすませるかのごとく……
「あ……!」
綺麗なピンクのグラデーションに溶け込むように、本物の桜色の花びらが数枚、ビンの中に音もなく落ちる。
「どうです、これでらしくなるでしょう」
桜の木は、自慢げに太い幹を反り返らせた
「うん、すごい! すごく綺麗だ。よし、さっそく……」
渉はひとくち口に含んで舌鼓を打つと、残りを気前よく桜の木の根元に注いだ。
「わわわ、こんなにたくさん……うわあ、美味しいですねえ! これが ”かくてる” という飲み物ですか。甘くてちょっと酸味が効いてて、何よりビジュアルが素敵です」
「はは、ビジュアルなんて言葉、知ってんだ」
「いつも皆さんの宴会を上から眺めてばかりいるもんですから、すっかり耳年増になっちゃって……」
念のためソーダをたくさん買ってきたのは、正解だったようだ。
渉と桜は、夜をとおして桜色のカクテルを味わい、艶やかな春の夜に酔いしれた。
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