酒と桜とコンビニと

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「――俺さ、つい最近、フラれたんだ。他に好きな奴ができたんだってさ」 桜は黙ったまま、渉の言葉を聞いていた。 「かれこれ三年間、付き合ってたんだけどさ。駅から彼女の家まで送る時、いつもこの道を通ってんだ。この桜並木の川べりをね。それこそ川原で花見したこともあったよ。お弁当とお酒をたくさん買い込んでさ」 「――存じてました。いつも仲よく私の下を通っていかれてましたね」 渉は驚いて顔を上げた。 「知ってた? 俺たちを?」 「ええ。私たち桜の木は、いつも通る人を眺めていますから、自然に覚えちゃうんですよ。毎朝遅刻ギリギリで走っていく学生さん、ゆっくりお散歩するお年寄りのご夫婦……それに絶対、犬の糞の始末をしない飼い主さんとかね」 渉と桜は、揃ってぷっと笑った。 「そうか。じゃあ俺たちが最近一緒に歩いてないのも知ってたんだ。それならきっと、彼女が別の……」 そう言いかけて、渉は口をつぐんだ。まだ言葉にするのは辛かった。 「おっしゃるとおりです。だからおとついの晩、あなたが一人でお酒を買ってここに来た時……」 「――俺に付き合ってくれたのか」 桜の木はまた、さわさわと花びらで渉の頬を撫でた。 「こんなの相手でも、お話ししてたら少しは気が紛れるかもしれないでしょう? もっともあの時言ったとおり、お酒というものを飲んでみたかったっていうのも、ちょっとはありましたけど」 渉は、悪戯っぽく笑う桜を見上げた。 「少しどころか、すごく楽しかったよ。おかげでこの3日間は、あんまり彼女のこと考えずに済んだんだ。それまではずっと一人、頭の中でぐるぐるしてたんだけどさ。せっかくの春なのに、俺ときたら見事に “サクラチル” だもんな。それで未練がましく、二人で歩いた道を辿ったりもしてたんだけど……それももう止めるよ。気が済んだ」 恥ずかしそうに笑う渉の顔は、どこか吹っ切れたようだった。 「それにあんまりいつまでもこの辺うろうろしてると、ストーカーに間違われかねないしね。だからもう明日からは来ないと思う。ごめんよ」 桜はしばらく黙って枝をそよがせていたが、やがて静かに答えた。 「あなたはとても優しい方です。私に大事なお酒を惜しげもなく分けてくれて、二日酔いになったらたくさんのお水を買ってくれて、今日はお茶まで用意してくれて。ご自分が辛い時でも誰かに親切にできるって、すごいことだと思います。それにね、桜は散ってからが勝負なんですよ。たくさん葉っぱを茂らせて、厳しい冬を乗り越えるための栄養をいっぱい蓄えないといけないから」 「はは、桜に励まされちゃって……でも何だか嬉しいもんだね。応援してくれる人がいるってさ。あ、ヒトじゃないか。まあとにかく、元気出た。ありがとう」 「こちらこそ。よかったら、またぜひ来年いらしてください」 渉は一瞬迷ったが、すぐに笑顔で頷いた。 「そうだな。きっとその頃には元気になってるさ。その時はまた、お花見カクテル作ろうか」 「ふふ、私は “のんある” でお願いします」 渉はベンチから立ち上がった。 「じゃあまた来年。元気でね」 「あなたこそ。次の春を楽しみにお待ちしています」 吹き渡る春の風に、ずらりと並んだ桜たちが一斉に花びらを散らす。 軽やかな雪が舞うような花道を、渉は名残を惜しむようにゆっくりと歩いていった。
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