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結局母屋には入らずカイルが案内してくれたのは庭の裏手にある温室だった。カーテンで仕切られた空間がいくつかあり、植物の栽培に適した温度管理がされているようだ。これだけの設備を保有しているなんて王都でもアルグラント商会ぐらいのものだろう。
「きみに見せたかったものはこれ」
しゃがみこんだカイルが指し示したのは、小さな鉢植えだった。真ん中から土を押しのけるように茎が隆起して白い蕾がのびている。
「〝春の妖精〟と呼ばれているそうだ」
「たしかにかわいい花ね。蕾かと思ったらこれが咲いている状態なの?」
一見華奢そうに見える花茎から、数個の花が首を垂れるように下を向いて咲いている。
「見た目だけじゃないよ。この花は雪の中に咲くんだ。雪をおしのけて、こうして茎を伸ばして咲く」
「春を告げる妖精、ってこと?こんなに小さくてかわいいのにたくましい」
「栽培は難しくない。実際この花はぼくが球根から育てたんだ」
「あなたが?なんだか意外ね」
カイルはリーシャの視線を受け止めて、少し照れくさそうに笑った。
「遠隔商人にこの花を仕入れてくれるように頼んだら、咲いているものを届けるのは難しいと断られてしまって。球根なら、と」
「こういう花ははじめて見たわ。カイルはこの花のこと知っていたの」
「ぼくも医学科の資料室で見て初めて知ったよ。でも………きみが喜ぶんじゃないかと思ったんだ。よかったらもらってくれないか」
「いただけるのはうれしいんだけど……どうして」
「スノウドロップというんだ」
この花の名前、カイルは微笑んで言った。
送ってく、というカイルと、まだ暗くもないのだから平気だと少し押し問答をしてから、結局大通りを並んで歩いている。
スノウドロップは手で提げて持てるようにしてもらったが、今はまだカイルが持ってくれていた。なかなか手渡してくれる様子がないので、そろそろリーシャが切り出そうかと思っていたら、リーシャ!と聞き覚えのある声がした。
前方に簡素ながらも二頭立ての馬車が停まっており、その横に声をかけてきた女性と黒いローブの男性が立っていた。
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