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第1章. 現在
真っ暗な夜の道をただひたすらに歩く。
月のない夜。
どこからかホロウ、ホロと夜の鳥が鳴いていてカサリ、コソと生き物の気配がある。
夜って意外と賑やかなのね、と考えたとたん、不意に後ろから羽交い締めにされた。
『探したわ、リーシャ』
喉の奥からくぐもった声が漏れる。
そんなはずない。
そんなはずがない。
ああ、そうだった。これは夢なんだった。
そう思ったところで、目が覚めた。
それでもなお、目を開けてから夢だったのだとわかるまでには少しの時間が必要だった。
なおん、と甘えたような声がしたので見れば、そこには真っ白な猫がちょこんと座っていた。
寝ているリーシャの顔の真横で前足を出し、時折顔をちょんちょんとつついている。ご飯の催促だ。
(久しぶりに見たな………)
何年か前まではこの夢を見て目覚めた朝は最悪だったのだけれど、今はスノウを見るだけでさっぱりと夢の世界の余韻から解き放たれる。
「おはよう、スノウ」
眉間とあごのあたりを軽くなでてやってから、リーシャは寝台から抜け出した。背中の寝汗が朝の冷気にさらされ熱を奪われていくと、もう悪夢の名残はどこにもなかった。
リーシャが身支度を調えてダイニングルームに行くと、すでにテーブルの上には一人分の朝食が整えられていた。
「おっはよう、リーシャ」
「おはようございます。キシャラおばさん」
スクランブルエッグと腸詰めを、軽く温め直してあるパンにはさんでかぶりつくと、じゅわりとした腸詰めの肉汁が口内にあふれた。
フォークでサラダを串刺しにし、一緒に放り込むと、しゃくっという音とみずみずしさ。
ここにくるまでリーシャは生のサラダがこんなに美味しいと知らなかった。これは家主が庭に植えているものを朝採りしているからだ。
おいしいでしょう、リーシャ。貴族はこんな美味しいものを食べられないのよ。
「かわいそうにね」と言ったいたずらじみた声が思い出される。
リーシャがどうして?と尋ねると、貴族階級では生の野菜を食べるのは下級だと思っているからだと教えてくれた。しかもこんな風にいっぺんに食材をはさんで頬張るなんてことは御法度なんだと。
ここの家主はそんなことを気にしない。むしろ片手で食べられるものでないと、食べることを面倒がる。上級貴族どころか王族なのに。
添えられたリンゴをこれまたいい音をさせて咀嚼していると、キシャラが湯気の立つカップをテーブルに置いた。
「養父さんは?」
リーシャの問いにキシャラは肩をすくめて、
「んー、センセイなら昨日も遅くまで起きてたってリューさんが言ってたわ。でもま、今日は研究所に行くって言ってたからそろそろ起きてくるんじゃないかなぁ」
と答えた。
まだ熱いミルクを、慎重に、できるだけ早く飲み干して、リーシャは席を立つ。
「ごちそうさまでした。今日は早いクラスだからもう出るね。スノウのことお願い」
慌ただしく出かけるリーシャを見送りながら、キシャラは少し痛ましげな顔をした。
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