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◆1 大樹のふたご◆
――――――――――
大海原のまんなかに、一本の木がたっている。
木といっても、ただの木ではない。
その頂きは山より高く――、
その枝は雲をつき抜け――、
おいしげる深緑の葉は、天をもおおいかくさんばかり――。
これは、そんな大樹のいちばん東の枝に住む、ちいさなふたごの物語。
* * *
海のかなたから太陽がのぼる。
夜の暗闇 と朝の光が、ゆっくりとまじりあい、たくさんの色が大空をそめていく。
「んー、今日もいい天気!」
ちいさな赤髪の少女――アンナは、大樹の枝さきにある風見台にたち、深く息をすいこんだ。
海のかおりと、朝のしめったつめたい空気が、しずかに体をみたしていく。
ここからながめる景色は最高だ。
とくに、海のむこうからお日さまが顔をのぞかせる瞬間は、いつだって胸がどきどきする。
なにか楽しいことがおきるような、そんな不思議な気分になれるのだ。
「――さぁて、」
アンナは皮のポシェットから、木製のオカリナをとりだした。
やわらかな朝日にてらされて、美しくこまかな彫刻がうかびあがる。
このオカリナは、アンナがおかあさんからもらった、大切な宝物だ。
すがすがしい風が、彼女の長い髪をさらった。
その風にさそわれるようにして、アンナはオカリナへと口をつけた。
「♪――」
高く軽やかな音色が、さわやかな風にのって、青い空へとけていく。
枝葉がざわめき、鳥たちが、笛の音につられて歌いだした。
「♪、♪――」
毎朝、太陽がのぼる時間にここへきて、オカリナをかなでる。
それがアンナの仕事だ。
曲がはずむにつれて、水面がきらきらと輝き、世界に光がみちていく。
新しい一日のはじまりだ。
いまごろ、おねぼうな村人たちが、ベッドの上でまぶたをこすっていることだろう。
アンナは、オカリナをしずかにおろして、まぶしそうにあたりを見わたした。
目の前には、どこまでもつづく大海原がひろがっている。
そしてその海の上に、まっすぐにそびえたつ大樹。
それはまるで、天と海をつらぬく巨大な柱のようだった。
そのてっぺんは雲よりも高く、枝の上にはさまざまな植物がおいしげり、洞にはたくさんの動物や鳥たちが暮らしている。
アンナは、この雄大な大樹の上を、あちこち探検するのが大好きだ。
この海のむこうには、なにがあるんだろう?
この大樹の下は、どうなっているんだろう?
その答えを、アンナは知らない。
うわさでは、大樹の下には〝根の国〟という死者の国があって、巨大な大蛇という怪物がうろついているとか、恐ろしい針の森がまちかまえているという。
アンナは風見台のふちにしゃがみこんで、おそるおそる下をのぞきこんだ。
巨大な大樹の幹が、ゴツゴツとした壁のごとく、垂直にそそりたっている。
まさに断崖絶壁。
そのはるか下のほうには、白い雲がとりまき、かすんでいてよく見ることができない。
アンナは、ゴクリ、とのどを鳴らした。
大樹に暮らす民――ポコロ族は、その一生を枝の上で終える。
だから、大樹の下がどうなっているのか、知っている人はほとんどいない。
しかし、冒険家だったアンナの両親は、アンナがもっとずっとちいさかったころに、大樹をおりていったらしい。
「とてもながい旅へでたんだよ」
と、おばあちゃんはいっていた。
おとうさんの顔も、おかあさんの顔も、アンナはおぼえていない。
しかしアンナにとって、ふたりはあこがれの存在だ。
「いつか絶対、わたしも冒険へいくんだから!」
アンナは胸をはって、遠い水平線のむこうを見すえた。
その時だ。にわかに、突風が吹いた。
とつぜんの強い風にあおられて、アンナはよろめく。
あわや風見台から落ちかけて、すんでのところでふみとどまった。
しかし、その直後――。背後で大きな悲鳴があがった。
「うわぁっ!?」
あわててふりかえると、アンナと同じくらいの背かっこうの少年が、枝から足をふみはずし、いまにも落ちそうになっている。
「ニック!?」
アンナは大急ぎでかけよると、男の子の手をつかんだ。
なんとか引きあげ、ふたりいっしょに風見台へと倒れこむ。
「だ、だいじょうぶ?」
「あ、ありがとう。たすかったよ、アンナ……」
息をきらしながら、ふたりは同時に顔を見あわせた。
そこには、まるで鏡でうつしたかのように、そっくりな顔がならんでいた。
ハチミツを煮つめたような濃い金色の瞳と、やや低めの鼻。ぷっくりとまるみのあるほっぺた。すこしたれぎみなまゆ毛まで、じつによく似ている。
ひとつ違うところをあげるとすれば、アンナは燃えるような赤髪で、ニックは深くおちついたこげ茶色の髪、ということくらいか。
――ふたりは、ふたごの姉弟だ。
アンナとニックは、生まれた日も、身長も、大好物のお菓子もおなじだ。
しかし性格はすこしばかりちがう。
朝おきが得意で活発なアンナにくらべ、ニックは家でのんびりと本を読みながら、夜ふかしをするのが大好きだ。
昨夜も、ずいぶんと遅くまでベッドの上で本を読んでいたようだった。
「めずらしいわね。こんな朝はやくに、風見台へくるなんて」
アンナは不思議そうに首をかしげた。
するとニックは、「そうだった!」と両手をうった。
「大変なんだよアンナ!」
そういうと、ニックはポケットからちいさな花をとりだした。
それは風見台のまわりにもよく咲いている、ごくふつうの花だ。
「これのなにが大変なの?」
「ほら、よく見て。つぼみが閉じちゃってるだろ?」
「……そうね。枯れちゃったのかしら?」
「ちがう!」
もどかしそうに頭をふるニック。
アンナは、「おや?」と目をみはった。
こんなにあせった様子のニックはめずらしい。
これはただごとではないぞ、とアンナは背すじをのばした。
「いいかい。この花はいつも、太陽の光をあびるとつぼみが開いて、夜には閉じてるだろ?」
「……そ、そういわれると、そうだったかも」
アンナはおぼろげな記憶をほりかえした。
たしかに、朝のオカリナを吹くこの時間帯は、風見台のまわりに白い花が咲きほこっていた。
しかし今日はどうだろう。
周囲を見わたしても、白い花のつぼみは、かたく閉じたままだ。
「太陽がのぼっても、この花が閉じたままってことは、つまり……」
その時だ――。またしても強い風が、ふたりのあいだをかけぬけた。
とっさにアンナとニックは、おたがいの手と手を、ぎゅっとにぎりしめた。
風見台が、枝ごとゆさゆさと大きくゆさぶられる。
木の葉が空へとまいあがり、鳥たちが興奮した様子でさわぎだした。
しばらくして風がおさまると、ふたりは同時に、顔を見あわせた。
「――嵐がくるよ、アンナ!」
その言葉を聞いて、少女はすぐさまたちあがった。
大空はどこまでも晴れわたり、水平線のむこうまで見わたしても、雨雲ひとつありはしない。
しかしアンナは、自分の瞳にうつる景色よりも、ニックの言葉を信じた。
ふたりは、ふたごだ。
顔も、身長も、大好物のお菓子もおなじだ。
しかしながら、すべてが同じというわけではない。
ニックは、アンナよりもずっと――頭がいいのだ。
「大変! すぐに家へ帰らなきゃ!」
ふたりはそろってうなずくと、風のように大樹の奥へと走っていった。
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