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秘密の心
「これは……ええと、誰にも言わないでもらいたいんだが」
「……別にいいですけど。どうして穴を掘っているんですか」
夏休み期間中の大学の敷地内。部室がある古い棟の庭を一人で穴を掘っていた杉山春樹は後輩の加藤美月を見て、スコップを土に刺し休憩に入った。不思議そうな美月は、額の汗を拭う彼に、そばにあったペットボトルを手渡した。
「どうぞ」
「ありがとう」
「……それにしても、こんなに一人で掘ったんですか」
「まあ。ちょっとな」
「先輩って穴掘りが上手なんですね」
「ありがとう。っていうか、お前は旅行に行かなかったのかよ」
彼らが所属しているサークルは毎年恒例の旅行がある。今年は沖縄だった。それなのにどうしてここにいるのか杉山は美月に尋ねた。
「私は、その……実は予算が用意できなくて」
「行かなかったのか?水着を買うとか言っていなかったか?」
「すみません……あの時は話を合わせてそう言ったんですが、本当はそんな余裕がなくて」
「はあ」
呆れ顔の杉山に美月は体調不良を理由に行かなかったと打ち明けた。
「でも大丈夫です!代わりに行きたい人を見つけておいたので」
「……そうか」
やる気を失せた杉山は、腰を下ろした。そんな彼に美月は持っていたタオルで彼を仰いだ。
「それよりも先輩。確かこの沖縄旅行は先輩が企画したと思っていたんですが」
「まあそうだ」
「出発の前の日。シュノーケーリングをするって張り切ってい」
「ふう、加藤!まあ、落ち着け。あの木陰でお茶でも飲もう」
迷彩服姿の杉山は木陰に美月を誘い、麦茶を出しながら説明をした。灼熱の夏の敷地にはうるさい蝉の声が響いていた。汗が引いてきた杉山は、事情を語り出した。
「半年前。俺の祖父が亡くなっただ。その後、実家の蔵の中を片付けていたら、この大学敷地内に江戸時代の宝があると言う古文書が出てきたんだ」
「すごいですね」
「だろう?俺もすごいと思ったんだ」
……いけるぞ、これなら。
素直な美月は、杉山の話に目を輝かせている。杉山はこのままいけると話を続けた。杉山は、枕元に亡きご先祖の声が聞こえて『穴を掘れ』とお告げを受けたため、沖縄旅行を取りやめたと説明した。
「それはそうですよ。枕元にご先祖様が出たら、誰だって旅行なんか行けないです」
「だろう?だがな。そんな理由は恥ずかしくて仲間には言えないじゃないか」
杉山はサークル仲間を排除するために遠方の旅行を企画をした卑怯な男である。それを知らない美月は、彼の行いを真顔で納得していた。
「そうでしょうね。確かに理解してもらうのは難しいかもしれないですね」
「なあ、加藤。この話は秘密にしてくれないか」
杉山はそう言って美月をじっと見た。
「頼む。ご先祖のためなんだ」
「先輩……」
誤魔化したい彼は、彼女に頭を下げた。杉山はサークルを仕切っている立場である。そんな彼の必死な様子に、地味な美月は声をかけた。
「いいですよ」
「本当に」
「はい。それに私も旅行をサボったし」
……助かった。
杉山の卑怯な作戦に気がついていない美月は、時計を見た。
「先輩。私も穴掘りをします」
「え」
「だって。二人の方が早いじゃないですか。ええとスコップを」
美月はそういうとスコップを探してきた。彼は必死に遠慮したが、彼女は翌日も掘ってくれた。そんな二人は夕刻に土の中から水瓶を発見した。
「これなんでしょうね?杉山先輩」
「どら!避けろ!おお。重いな……」
「何が入っているんでしょうね」
二人は土がついた瓶を見つめた。開封する前に杉山が話した。
「加藤。これは大学に届けないとならないな」
「そうですね。ここは大学だし」
「これは俺が大学に報告する。お前は触るな。呪いがあるかもしれないし、泥棒と見なされるぞ」
美月はこの話を信じた。そして彼に全てを渡し、穴を元に戻した。
翌週。仲間達が沖縄旅行から帰ってきたが、美月は誰にも宝探しの事を話さなかった。
そんな杉山は大学の帰り道。美月にあれは偽物だったと告げた。
「せっかく掘ったのに?」
「すまなかったな。手伝ってもらったのに」
「いいんですよ。これで先輩のご先祖の思いが晴れれば。あ。そうだ!」
美月はバイト代が入ったのでラーメンを奢ると言い出した。
「よせ。お前、金がないんだろう」
「いいんですよ。沖縄に行けなかったし、二人でささやかに打ち上げしましょう」
沖縄の代わりが札幌ラーメンなのは気になるが、杉山は美月の好意を甘んじて受けた。
そして半年後。バイトに明け暮れていた美月は、杉山が学生でありながらベンチャー企業を立ち上げたと仲間から聞いた。
「杉山先輩ってすごいですね」
「でもさ。資金ってどうしたんだろうね」
「親に出してもらったんじゃないの」
「そうか。資金か……」
驚く美月であったが、大学の仲間達は彼の高収入を羨ましがっていた。
……そうだ。おめでとうくらい言っておこう。
最近は杉山と疎遠になっていた美月は『起業おめでとうございます』とメッセージを送った。やがて彼から返信がきた。内容は感謝を述べていたが、多忙のため今後は返事ができないというものだった。
……そうよね、私はただの後輩だし。
仕事で忙しい彼にメッセージに迷惑をかけてしまったと思った美月は、申し訳ない気持ちで返事ができずに終えた。そうして杉山は大学を卒業した。
数年後。杉山は成功していた。金も立場も手に入れた彼は、小判の事で思い悩むようになっていた。あの時の小判は、一部を大学に届け、残りは密かに換金し企業の資金にしていた。他者には競馬で当てたと嘘を言っていたが、一緒に発見し真実を知る美月の存在は、年々彼の心を脅かしていた。
仕事も軌道に乗った杉山は、美月の近況を知ろうと大学時代の仲間達の飲み会を主催した。
「杉山先輩。いや、社長なんですね。すごい」
「まあな」
「六本木ヒルズに住んでいるのでしょう?一度行きたいです!」
「ああ。それよりも」
杉山はこの日、不参加だった美月のことを何気なく聞いてみた。すると女後輩は彼女の仕事先を教えてくれた。これを聞いた杉山は美月に接近し、食事に誘う仲になっていた。
「え?私、こんな高価なバッグは要らないです」
「いいんだ。君には昔、世話になったし」
「でも。本当に困ります」
一般的な会社員の美月は、ブランド品のプレゼントに困惑していた。大学時代、地味だった彼女は社会人となっても地味だった。高収入の彼は他の女にするように高額なプレゼントで美月を喜ばせようとしていた。
「いいんだよ。他の仲間にもあげているんだ」
「先輩……こういうものは本命の彼女とかにあげるものですよ?私がいただくわけには行きません」
東京の青山通りの夜。一緒に歩く杉山は、美月の本意を探っていた。
「それは。俺と交際したいということか?」
「い?いいえ!決してそんなことはありません。私なんて、その」
言葉と裏腹に美月は恥ずかしそうにしていた。彼女の様子から自分への好意を感じた杉山は、彼女を恋人にしようと思った。そうすればあの小判の話を誰にもしないからである。
彼はお金もあり、顔も整っていた。その気になれば美月を恋人にできると思っていた。そんな彼は、秘密の口止めのために質素に暮らす彼女に贅沢をさせ気を引こうとした。しかし、真面目な美月に拒否される日々が過ぎていた。
……なぜ俺をそんなに拒むんだ?
何度会っても彼女は自分を異性と見ていない様子だった。これ以上、心の距離を埋められない状況の打開策を考える彼は、気がつけば美月のことばかり思っていた。
そんなある日、急に美月がいなくなってしまった。
……勝手に引っ越したし、連絡も取れないなんて。
会社は多忙時期。仕事で忙しい彼は、美月は自分を嫌い、去ったと思っていた。
「失礼します。杉山さんですか」
「はい、そうですけど」
「お仕事中、すみません。警察の者です」
突然オフィスにやってきた刑事にドキとした杉山は、詳しい話を聞いた。それは美月の事だった。
「え?美月がTwitterで、そんなに誹謗中傷を受けていたんですか」
「ご存知なかったんですね」
「全然……」
警察の話によれば、杉山の過去の恋人が、美月を新恋人と思い込み、ネット攻撃をしていたと警察は話した。
「加藤さんの勤務先の会社のホームページに誹謗を送ってきましたし、加藤さんの実家を調べて近所に悪口を言いふらしたり」
「何を言いふらしたんですか?」
警察官が見せてくれた資料には、読んでいられない虚偽内容があった。合成写真で作った美月の裸の写真もあると聞いた杉山は、許せない内容に吐き気がした。
警官は犯人の女について尋ねてきた。この女は確かに杉山の元恋人であった。嫉妬深い元カノの顔を思い出した彼は、背筋がゾッとしていた。
警察官は顔色の悪い杉山を見て、彼の関与がない事を感じていたが、話を続けた。
「そうでしたか。加藤さんはなぜこんな目に遭うのか見当がつかないとお話でしたので」
「あの。彼女は今、どこにいるんですか」
「……それはちょっと」
実名で悪口を言われた美月は、これを信じた会社に居られず、さらに借りていたマンションにも住めなくなり引っ越したと警察は話した。
「そんな?全然知りませんでした」
「今は名前を変えて、別の場所にいるんです」
「そこまでですか」
「犯人は彼女に懸賞金を掛けたんですよ」
ベンチャー企業の社長の金目当てに強奪愛をした女、として美月はネットで炎上していたと言う事実に、何も知らなかった杉山はショックを隠せなかった。刑事は話を続けた。
「加藤さんは仕事の帰り道。この話を本気にした男に襲われ掛けたことがあるんです。申し訳ないですが。我々は加藤さんを守るために居場所は言えません」
「どうして……」
頭を抱えた杉山は苦しそうにつぶやいた。
「どうして彼女は。何も言ってくれなかったんでしょうか」
「……自分もそれを聞いたんですけど。以前、杉山さんと約束したとか」
……まさか、あのときのことか?
穴掘りのことを誰にも言うなと彼は彼女に言っていた。その約束をこんな形で守っている美月に杉山は目の前が真っ暗になった。
「マジかよ……」
「私には杉山さんの足手纏いになりたくない、と言っていましたね」
「はあ……もう……」
落ち込む杉山を見た刑事は、彼が事件に関与していないと判断した。
「杉山さん。加藤さんは、現在、安全な場所にいるのでご安心ください」
「……彼女に会えないんでしょうか」
「伝言があれば、お伝えしますが」
杉山は刑事をまっすぐ見た。
「謝りたいんです。彼女に」
「伝えておきます。では」
こうして警察官は帰っていった。入れ替わりに社員が入ってきた。
「社長。会議の時間ですが」
「あ?ああ」
……俺は一体、何をやっているんだ。
気持ちを奮い立たせて仕事へ向かったが、杉山の心は空っぽになってしまった。
その後。ベンチャー会社の社長をしていた杉山は、この会社を売った。その資産をそのままに彼は沖縄にやってきた。
……ここで俺はシュノーケーリングをしようとしたんだっけ。泳げないのにな。
大学時代。密かに穴彫りをするために仲間を旅行に行かせた彼は、今さら一人でやってきていた。美しい海に虚しさを抱えた彼は、あの時、泊まるはずだったホテルに長期滞在をしていた。
……よし。明日はここを探そう。
大金を使って調査した彼は、美月が沖縄にいるという情報を掴んでいた。それしかわからない状況であるが、彼なりに彼女を探していた。
そんな彼はとうとうビーチで彼女を見つけた。
「美月?」
「杉山先輩?奇遇ですね」
驚き顔の彼女がそこにいた。杉山は涙が出そうになった。
「何が奇遇だよ……探したんだぞ……」
エコバッグを手に日焼けした彼女は笑顔でポニーテールを揺らした。彼は思わず腕を掴んだ。
「どうして、何も言わずにいなくなったんだよ」
「すみません。なんか、事件になっていたんで」
「だが、連絡先くらい」
心底心配していた杉山を見て、美月は目をぱちくりさせた。
「……迷惑かけると思ったし、先輩がそんなに心配してるって思いませんでした」
「はあ」
……そうだ、こいつはこういう奴だった。
彼女はいつも自分のことよりも、人のことを思いやる人だった。彼は自分とは真逆な彼女にコンプレックスを抱いていることにようやく気付かされた。
「……それはもういい。ところで、なぜ沖縄にいるんだ」
「だって。あの時。ここに来れなかったから」
「ああ。旅行か」
「はい。今は仕事ですけれどね」
恥ずかしそうな彼女は、現在はこの近くのホテルで働いていると笑った。
「先輩はどこのホテル、あ?そうですよね、一流ホテルに決まってますよね……」
「……美月。教えてくれ」
杉山は、夕陽が沈む海辺で彼女に尋ねた。
「お前、知っているんだろう?あの時の小判を、俺が使ったことを」
「……薄々」
「じゃあ、なぜだ?なぜ黙っているんだよ」
「だって。先輩、苦しんでいたから」
「え」
青い海の黄昏の風は、杉山の心に静かに流れた。
「先輩は、私が秘密を知っていることを、すごく怖がっていましたよね」
「あ。ああ」
「だから私にプレゼントをくれたり、優しくしてくれたりしたんですよね?私のこと、好きじゃないのに」
美月の横顔は寂しそうだった。杉山の心はきゅっと痛んだ。
「先輩は口封じでしていただけなのに、先輩の彼女さんはそれを誤解したんだと思います」
「それは違う」
「いいえ。私が悪いんです。先輩のことはなんとも思っていないって、彼女さんに言えばよかったんです」
「だから彼女じゃないんだって」
「私が悪いんです!」
二人には波の音が流れた。
「私。先輩が好きだったから、彼女さんにそれがわかってしまったんだと思います。だから彼女さんが怒って」
「待てよ。美月、いいから落ち着け!」
だが彼の声が大きな声だったので、周囲の人が振り向いた。これに二人は冷静になろうと、砂浜を歩き出した。
「……なあ、美月。その後、こっちで暮らして平気なのか」
「はい。苗字を母方に変えてこっちに住んで、全然問題ないです」
「そうか」
波音。白い砂。夕暮れの太陽は彼に勇気をくれた。
「美月。あのな……俺、お前が怖かったんだ」
彼は夕日を見ながら彼女の手を握った。
「私。別に怖くないですけど」
「いや怖い……何が怖いのか、ずっとわからなかったけど。今わかった」
「何がですか」
「俺は金とか、地位とかそんな事ばっかり考えていたけど、お前は違うんだな……」
サンダルの足に砂がかぶっていた。二人はゆっくり歩いていた。
「お前って。人の気持ちばっかり考えているんだな」
「先輩は違うんですね。私も今、わかりました」
「いや!?今はお前のことだけ考えている」
杉山は立ち止まった。遠くで犬の声がした。
「お前が好きなんだ。俺と、結婚してくれ」
「……」
「美月。俺はもう何もいらないんだ。お前にそばにいて欲しいだけなんだよ」
「……」
「美月」
「先輩……あれ見て」
それは水平線に太陽が沈む光景だった。彼女の頬がオレンジ色に染まっていた。
「ねえ、先輩」
「ん?」
「……美味しいラーメン屋さんがあるんですよ」
恥ずかしそうな美月は一緒に行こうと言った。
「また札幌ラーメンか?」
「ううん。こっちにきて九州豚骨にハマってるんです」
「よし。今度は俺が奢るからな」
うんと優しく微笑んだ彼女を、彼はギュと抱きしめた。
「ああ、良かった。お前、元気で」
「泣いているんですか?」
「うるさい。好きな女にやっと会えたんだ……いいだろう」
「ふふ……さあ行きましょう。一緒に」
南国の夕日は緩やかに輝いていた。口づけを交わす二人を波音は優しく包んでいた。
Fin
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