ミドリが美味しい

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ミドリが美味しい

「食い物食べてる姿って、エロくない?」 白ワインを口にした遠野さんは、唇を舐めるとそう言った。 そこは高さ300mを誇る超高層複合ビルの上層部に位置する、ラグジュアリーな天空のホテル。 世界水準の上質な時間と空間を提供される。 30階より上が客室となっており、そこからは圧巻の眺望が見渡せる。 そんなホテルの客室の中でも最高級のスイートルーム。 ダイニングエリア、リビングエリアはシティービューを挑める大きな窓の側に配置され、仕切りの向こうに寝心地の良い大きなベッドが置かれている。 仕事終わりに車で連れ去らわれ、訪れたのがそのホテルだ。 「仕事の為に借りてるんだよね」 そう言われたが、予想外の場所に呆気に取られ、更には手を繋がれた事で動転して話が頭に入ってこない。 「...聞いてる〜?...ゆったりメシを食べるには良いかと思ってね〜」 手を繋いでいる遠野さんは、私が動揺しているのも気付いているのにお構い無しだ。 「...ホテルで食事?」 「週末だしさ、ダラダラしたいじゃん。どうせ借りてる所だし、のんびり出来るよ?」 何時もと変わらない態度に、過剰に反応する私が可笑しいのかと感じ始める。 「...分かりました...けど、...でも...手...」 「...手?...あぁ、良いじゃん、良いじゃん。仲良し、仲良し。」 握った手は離されず、ゆっくりではあるが、歩みも止まらない。 しかし、それにしても、同じ言葉を繰り返し使われると適当に返事をされているような、あまり重みを感じなくさせるのは何故なんだろう。 そんな事を考えながら、案内されたスイートルームへと入って行った。 そしてスイートルームのダイニングで食事をし、お腹が満たされた所でリビングエリアへ移動した。 既にセッティングされたリビング。テーブルにはワインラックが置かれ、その上にワインとワインが掛かっている。 そしてワインで乾杯をした遠野さんが、私に向かって言ったのがその言葉だった。 ◇◇◇◇◇ 「...はい?」 私は、おつまみに出されたドライマンゴーが思いの外美味しくて、既に3枚目に齧り付いていた所だった。 「...そう言った意味で言うと、デートに食事は付き物なのも必要な過程なのかな。」 ソファで隣に座り、私の方に身体を向けた遠野さんは、ドライマンゴーを握った手を掴んだ。 そしてその手を自分の口元まで持っていくと、食べかけのドライマンゴーをガブリと食べてしまう。 食べ物を食べている姿がエロい。 美味しそうに食べている遠野さんの姿に、私もドキリと胸が高鳴った。 「...あ、あの...、今日は...緑黄色野菜を美味しく食べる...話...でしたよね?」 そもそも、緑黄色野菜を美味しく食べるって何だ。 そう思うものの、話のキッカケはそれだった筈だ。 「...違うよ。『ミドリを美味しく食べる』話だよ。」 そう言った遠野さんは、ジッと私を見て、そして手を伸ばした。 その指先が、私の頬を僅かに撫でた。 「ダジャレ好きの店主の友達も、ダジャレ好き...?」 「...何それ?」 タベルナの屋号の由来を思い出した私は、ついつい呟いてしまった。 意味が分からなそうな遠野さんに、その事を告げる。 「...なるほど。確かに類友なのかもね」 「...で、私が食べられちゃうって話なんですか?」 ホテルに着いた時点で疑ってはいた。 だから中に入るのも躊躇した。 そして結局の所、自分が拒否もせずに着いてきたのだから仕方ないとも言えた。 でも『食べられる』と言うのは、遊ばれるという事なんだろうか。 責めるような目で遠野さんを見つめる。 それに答えるかのように、遠野さんは笑顔を見せた。 「...誤解の無いように言っておくけど、遊びやワンナイトのつもりで連れてきた訳じゃないからね?」 私の、非難めいた視線を的確に捉えた遠野さんは言う。 「『ダジャレ好き』の言葉遊びで誘ったから誤解されたんだろうけど、本気で口説くつもりで連れてきてるんだ。」 笑いを収め、遠野さんは私をジッと見た。 「確かにこの部屋は仕事の為に借りている場所だが、むしろ仕事が絡んでいる場所に連れて来ているんだから『本気なんだ』と思ってもらいたいね」 そう言われ、『確かに』と思った。 仕事が絡んでいる所で、わざわざ悪評に繋がる事はしないのかもしれない。 「それに、食事も場所も『勝負』を仕掛けるには持ってこいの状況を整えたつもり。」 遠野さんの両手が、私の両手の、指先を掴んだ。 「この半年、遠山さんの食事をする姿をひたすら観察した。」 掴んだ指先を、遠野さんの指先が撫でる。 「『お腹空いた〜』って笑顔を見せる君の姿、食事をする姿勢、咀嚼する表情...。好ましいと思った。」 繰り返し撫でられる指先は、ジワジワと遠野さんの欲情が染み込んでくるかのようだ。 「...それで、最初の言葉に戻るんだが、食い物を美味しく食べる君に...、随分と焦らされている、腹が減ってる気分なんだ。」 「...私は...食べられて...飽きられるのは嫌ですよ?」 ドキドキしながら、遠野さんの顔は見れずに指先を見ながら答える。 「...まさか。俺は君が知っている通り『偏食』で偏った好みの男だよ?逆に好きな物は何時までも繰り返し食べるタイプだ。」 掴まれた指先は、向かい合った遠野さんの口元まで持っていかれる。 そして指先に、軽く唇が触れる。 「当然、美鳥(ミドリ)が好きな俺は、美鳥(ミドリ)を美味しく食べるし、手放さない。...ね、食べさせて?」 指先をパクリと咥えられる。 「...もう少し...、ロマンチックな...口説かれ方...したい...」 「...好きだよ、美鳥(ミドリ)」 私の顔の高さに屈み、遠野さんの顔が近付いた。 「...実は...」 なのに話し始めた私の言葉を待つ為に、遠野さんは鼻先がくっつく程の距離で止まった。 「ん?」 「...私も遠野さんの食事をする姿...好きです。...吸い込まれるように食べ物を食べるのを見てると...」 それ以上は言わなかった。 言えなかったとも言う。 遠野さんの唇が、チュッとリップ音をたてて触れた。 「...似たもの同士」 囁いた遠野さんの、微笑んだ唇が再び重なった。
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