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その男は、頑丈でとても狭い部屋の中に居た、
部屋の四方を、体操で使用するマットレスで囲まれた異様な造りだった、
顔は、汚れた長い髪の毛で隠れ、だらしなく壁にもたれ掛かっている、
拘束服で身動きとれない身体を、左右にゆらゆら揺らしながら、窓を見上げていた、
鉄格子越しに見える、いわし雲で霞んだ小さな四角い青空、
鳥たちがかたちを変えながら、群れ飛んでいく、
「あぁ~」
「あうあぅ~」
「おぅおぅ!おぅおぅ!」
男は、空を見上げては言葉にならない声をあげる、
くぐもった声は、
時にはチンパンジーの鳴き声のように、
また犬の遠吠えのように、
部屋から病棟の廊下を伝わって行く、まるで木霊のように響きながら、
新館病棟は、
真っ白な綺麗な壁、
天井も白で統一され、白色灯が3本並んで連なる、
昼夜をとわず長い廊下を照らしていた、
廊下の床は、綺麗に薄緑色にペイントされていて、壁から60センメートル離れた床に黄色の太いラインが引かれている、
壁に掛かった時計を確認しないと、今が朝なのか夜なのか、判別出来ない明るさだ、
パジャマ姿の患者たちが、
当てもなく彷徨い歩く、
まるで、心を盗まれた、機械仕掛けの人形のように、
薄いピンクのパジャマ姿は女性の印で、
薄い水色のパジャマ姿が男性の印だ、
『パジャマ姿』と言ったのには訳がある、
パジャマ姿は、患者たちにとって、男女の性別を識別する制服のようなものだ、
患者たちが若い頃は、長髪でも坊主頭でも、化粧の有無に関わらず、肌の色艶や体型で、なんとなく性別の判断がつく、
しかし、患者たちが中年、中年を過ぎ老年になるにしたがい、性別の判断が紛らわしくなってくるのだ、
髪の毛は、長いままの者、白髪混じりの者、薄くなり禿げる者、投薬のせいで抜け落ちスカスカの者もかなり居る、
女性は、老年になるほど化粧が濃くなるが、この病院では、化粧しているからといって、一概に女性と判断しかねるのだ、
体型も又変化をもたらす、
女性の象徴である乳房は垂れ下がり、
あばら骨が浮き出、骨皮に痩せる者、
膨らんだお腹やわき腹、太い腰回り、尻も余った肉で垂れ下がる者、
肥った体型も痩せぎす体型も、男女の性別を不詳にしていく、
廊下は、そんな男女の患者たちのうごめく心探しの砂漠…
どんなに近代的な病院を造っても、どんなに綺麗な病棟空間を造りだしても、
患者たちが抱える病は、彼や彼女たちの精神だけではなく、肉体に連結しているものだから、
物体としての人間を蝕み、腐らせていく、彼や彼女たちの臭気が根っこから這いまわり、真っ白な壁を蔦のように張り巡らせ、見た目だけの綺麗な病棟を腐食していく、
患者たちに罪などない、
自身を傷めつける心の声が、棘の苦しみ、哀しみが、
病んだ患者たちの無数の足跡を残していく、
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