32、鬼上司は結局仕事を振りまくってくる(side千夏)

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32、鬼上司は結局仕事を振りまくってくる(side千夏)

   翌朝、実験台に分厚い本が置かれていてこれはなんだろうと思う。ペラッと好奇心でめくると新しく導入された測定装置の手順書だとわかった。 「なにこれ」  呟くとその上に紙が一枚降ってきた。 「優先に測ってほしい元素は丸つけてるからそれからデータ取ってくれる?」  いつのまにか傍にいた久世さんが見下ろしてくる。 「……えっと」  渡された紙と久世さんを交互に見ながらも、理解が追い付かない私に納得したように椅子を引いてきて腰を落とした。 (ち、近いな)  ドキドキしかけた私をよそに完全仕事モードの久世さんは一気に話し始める。 「新しい装置のばらつきを確認したいからそのデータ取り。混合できるやつはしてくれていいし測定は一気にできるけど……解析がまぁめんどいよな。最終的には全元素測るから随時進めてくれる?」 「……えっとぉ」 「やり直しのやつはちょこちょこ空き時間あるだろ?納期もまだあるしまぁなんとかなるだろ。もちろん試験を優先して構わないけど、このデータがとれないと装置も使えないからそこは考えて進めて?なにか質問は?」 「……この装置、まだ触ったことありません」 「だろうね。俺と井上しか触ってない。井上もほぼ触ってないに等しい。だからはやく立ち上げたい。部長にも急かされてるし」  その言葉に眉を顰めると笑われた。 「初めて触るときはとりあえず声かけて。立ち上げからは俺も立ち会うし、いきなり一人で全部やれは言わない」 「……全部?」 「全部。データ取りから解析まで全部」 「……え?」 「悪いけどさ」  下から見上げるように久世さんが見つめてくる。  背の低い私が椅子に座る久世さんと並べば見下ろす位置にはいるけれどさほど目線は変わらなくて。むしろ無駄に近くなっただけなのにさらに距離を詰められた。 「山ほどあるんだわ、やらせたいこと」  そう言う瞳は意地悪く光っている。 「仕事、したいんだろ?」 「!」 「頼りにしてるよ」  そう言って頭をクシャッと撫でられた。  その手がそっと頬に触れて長いゆびさきでほっぺをきゅっとつままれた。 「よろしく」  意地悪そうに、でもとてつもなく甘い笑顔で笑って立ち去っていく。その後ろ姿を見つめながらつままれた頬に触れて思う。  手の温もりが、かけてくれる言葉が、触れたゆびさきが……目の前にあるだけで十分だ。  久世さんとこうして繋がり合えたなら、それだけで私の毎日が輝きで満ち始める。  ~完~
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