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13、鬼上司は簡単に人をときめかせてくる(side千夏)
久世さんと前より話が出来るようになったのは仕事を振られるようになってからだ。仕事を通じて話す機会が増えたし、残業すると雑談だってたまにした。
最初のころは確かに怖いこともあったし取っ付きにくいというか、話しかけにくいオーラがひしひしと伝わってきたけど、踏み込んでみたらそうでもない。くだけた話もしてくれるし言い方はそっけなくてもいつも気にかけた言葉をくれる。
態度よりずっと優しい人……今ではもうそれがわかっている。
思わず掴んでしまった服の裾。離れようとされて咄嗟に力が入った。
「ぁ……や……」
(行っちゃやだ)
その思いは飲み込めた。
頭では離さないととわかっているのに、掴む手は言うことを聞いてくれなくて久世さんを困らせた。
「……あー、ちょっとドア確認行く……けど、待てる?」
(待てます)
頭の中ではちゃんと返事が出来ている。なのに、手の震えを止められない。それに焦った。
「ごめん。ちょっと、触る」
(え?)
暖かい大きな手に手首を掴まれて、グイッと引っ張られて驚いた。なにに驚いたって、触れられて何も嫌な気にならなかったことだ。
あたたかい手。あの、長い指が手首に触れて巻き付いている。それを見て胸が締め付けられた。
ドアの前で頭を抱えた久世さんの気持ちとは裏腹に、私はただ掴まれた腕のことだけが気になってどうしようもなかった。
決して強い力じゃない。でも、ギュッと掴むその手が熱くて、胸が苦しくなるばかり。
体に力が入って思わず身じろぎすると、痛かった?と、熱が離された。
(そんなんじゃない)
それも言葉にはならない、咄嗟に頭を振った。離されたら途端に不安になった。暗闇がどうとかそんなことじゃなく、自分の気持ちにだ。
こんなに近寄ってしまってどうしたらいいんだ。手を伸ばせば触れられる距離に今さら気づいて焦り出す。
私はなにを久世さんにしでかしてしまったんだろう、その思いにただ焦った。
「ごめんなさい」
とにかく謝った。
迷惑をかけた、なにより久世さんを困らせたことが嫌だった。でも、久世さんは私の恐怖心を笑ったりもしない。しかも、「一人にさせなくてよかった」そんなセリフまで吐いてくる。
(そんなの言ったらダメじゃないですか?)
心の中でそうつぶやいた。
久世さんが無意識に発した言葉に胸を高鳴らせた自分がいて、どこか勘違いをしてしまったのかもしれない。
「すみません…これ以上近づかないので…も、持たせてもらっていいですか?」
言ってから後悔したけど、もう遅い。久世さんの了解も得ずに制服の裾をまた掴んでしまう。
(困らせたくないなんてどの口が言うの)
離さなきゃ、わかってる。でも――離せなかった。掴んでいたかった。
この距離から――離れたくなかった。
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