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28、鬼上司は甘く抱きしめてくる(side千夏)
乾燥機から取り出したサンプルは乾きすぎていてヒビまで入っている。
さっきのタイマー音、あれは誰でもない私がセットしたタイマーだ。誰だよ、止めたのは!そう思ったけれど、自分でまた突っ込む。誰が止めるじゃない、勝手に止まった、それを放置してただけだ。
(これはもう誰が見ても……)
「やり直しだな」
頭上から冷静な言葉が降ってきてさらに絶句した。
「二週間の努力が……」
乾いたサンプルを手に肩を落とすとフッと笑われた。
「ねぇ、結構大事な話してたと思うけど」
笑いを含んだ少し楽しそうな声、それだけで胸がキュッと締め付けられたが落ち込む気持ちも察してほしい。
「だって、今日やっとここまで……これやり直し三回目なんですよ?」
「知ってる」
「はぁ……またやり直し……っ!」
肩を落としていたらそのまま背後から抱きしめられて息が止まりそうになった。
「ほんと、仕事好きだな」
好きだ……この仕事も、久世さんのことも。
久世さんはいつでも仕事をする私を見てくれる。仕事をする私を受け入れてくれる。抱きしめられた腕にそっと触れたら、腕の力が強まった。
「あのさ……遊びや慰めであんなキスしないから」
彼の唇が耳に触れて、「こっち向いて」と、身体を反転させられた。
「いちいち自分と派遣を結び付けて物事を決めつけるのはやめろ。そんなに派遣を切り離せないなら言うようにやめたらいい。それでもやめられないのはこの仕事が好きだからなんだろ?だから頑張ってきたんだろ?だったらそのまま受け入れて分析者としてもっと自信をもって仕事しろ。自分のしている仕事に今以上にプロ意識を持て。自分で派遣の線引きをして勝手に諦めるな」
向き合って真っ直ぐに見つめながらそう言われてまた目頭が熱くなる。
「自分のやりたい仕事だけをやりたいだけできるのなんか逆に派遣の特権だろ、もっと割り切って利用してやればいいんだよ。それくらい自分に強かになれ」
逃げたくなるほど弱くなった心に強い言葉を投げつけてくる。
その言葉は胸の中にどんどん落ちてきてやがて私の心をいっぱいに締め付け始める。
もう止められない。
胸から溢れるように気持ちが湧き上がって、止めることなんかできない。
久世さんが好き。
きっとずっと前からもう好きだった。その思いに素直になったら涙が勝手に零れ落ちた。
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