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03、鬼上司はたまに優しさを見せてくる(side千夏)
実験室の隣はミーティングルームになっている。測定装置や資料、共通パソコンなどが置かれたりしていて仕事中行き来することは多いが。
「今は行かないほうがいい」
高田さんに言われて足を止めた。
「どうしました?」
「井上くんが久世さんとお話し中……」
お話し中という名の説教中とも言える。
ガラス越しからそっと様子をうかがっていると井上さんが必死に話をしようとしているけれど冷たく一括されている様子が見て取れる。
(こわ……)
井上さんは必死のプレゼンもむなしく、書類を突き返されて肩を落としていた。
「今度の技術発表会のことだろうね。添削厳しいからなぁ、久世さん。私も早い目に資料作っておかないとやばいわ」
「大変ですねぇ……」
肩を落として実験室を出て行った井上さんの悲しそうな背中を見送りつつそうつぶやくと高田さんが肩を叩いてきた。
「菱田ちゃんがいてくれて仕事だいぶさばいてくれてるから大助かりだよ?試験してたら資料まとめる時間なんかないからさ。依頼に追われるだけだもん」
そう言われてあいまいに微笑む。派遣の私の仕事は依頼を捌くこと、言えばそれだけだ。
責任のある薬品の管理や在庫のチェックもしない、発表会や自分でテーマを決めて研究することもない。毎日の仕事の中で依頼をさばくのは大事なことだ、それがここにいて大半の仕事でもある。
でも、日に日にそれだけでは満たされなくなってきているのも本音だった。
私には責任のとれる仕事は何一つないのだと、五年勤めだしてその現実を突きつけられている。
このままでいいのか、これからどうしていきたいのかを悩んでいることは誰も知らない。誰にも言えずにいる。言える相手がいないだけとも言えるが。
なんだか虚しいのだ、ずっと、だんだん……満たされずにいる。
「アルコールを排水に流すのってどうなんでしょう」
ぼんやりとつぶやいた言葉に井上さんが振り向く。
「あんまり……よくないよね」
「産廃の廃液ボックスにいれたらどうですか?」
「ボックスってあった?」
「ありますよ?あんまり使ってないですけどあの棚に」
あるだけ、みたいに場所だけ占領していたそれを戸棚から取り出して井上さんに見せると「いいじゃん」と乗り気になる。
「これからはそこに廃液として捨てて産廃処理にしようか」
「ボックス内に容量が分かるように記載もしていかないとですね。薬品ファイルにアルコール廃液のタグ作って記入していきましょうか」
「そうしよう、木ノ下さんには僕から伝えておくよ」
木ノ下さんは薬品管理を任されている社員さんだ。
「お願いします。じゃあ洗浄に使った廃液は今日からここに戻すようにしますね」
「うん、お願い」
井上さんと二人で話して決めたことだから深く考えなかったが、木ノ下さんに呼び出されて――怒られた。
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